第071話「さらに事態がややこしくなるのかよ」
「や、やっと身体の支配権が戻った……」
晩餐会の会場を離れベランダに出たシャルルは、手すりに寄りかかりながら、がっくりと肩を落とした。
先にベランダに避難していたアヤトが力ない笑顔を返す。
ベランダは広々としており、手すり越しに望む風景には、夜の帳が下りていく様子が見える。地平線では夕焼けが燃え尽き、深い藍色へと変わっていこうとしている。見上げた空には、星がひとつ、またひとつと輝き始めていた。冷たい風が頬を撫で、シャルルの心を少しだけ和らげる。周囲には華やかな宴の喧騒が遠くに響いているが、ここでは静寂が心地よく広がっていた。
「アイリスめ、人の身体で好き勝手に色々やりやがって……」
あの後、アイリスが魔力切れになるまで、男を取っ替え引っ替えしてダンスに興じていた。
思い出しただけでも、ぞわぞわする。それに、シャルルに話しかけようとする男たちに向けて、凍りついた笑顔のリュシアンが放つ殺意の波動も凄まじかった。お陰でブラウトロワ総督以下、下心丸出しの殿方連中はシャルルに近寄ることすら叶わなかったのが、不幸中の幸いであったのだが。
「なんというか……お疲れ様です」
アヤトは心底同情した視線を向け、申し訳なさそうに微笑んだ。アイリスに対する苦手意識は理解できるが、この状況を理解しながら助けに入らなかったことに腹が立つ。
「何が勇者だ! アイリスに体の制御を乗っ取られている俺を放置しやがって!」
「す、すみません! でも、あそこで僕がしゃしゃり出たら……あ、後でアイリスさんに何をされるのかと考えただけで」
アヤトが顔を青ざめさせてカタカタと震えだす。どんだけ勇者にトラウマを植え付けたんだ、あの凶悪な魔剣は。
「さて、今日はもう疲れちゃったし、俺達も元の世界に帰っちゃう?」
そう言って会場に目をやる。何が楽しいのかは不明だが、アイリスを帯刀したメイド服の女神は料理が盛られた皿を持って笑顔で会場を走り回っている。それはこの世界の守護神のやることなのか?
「正直、僕も今日は疲れました。さっさと家に帰ろうかとは思うんですが……
ただ、その前にちょっと聞いて欲しい話があるんで、少しだけ時間をもらっていいですか?
今日、僕が戦った相手に関してなんですけど」
「うん? 別にいいよ。あのやたら強かった踊り子の事だよね。たしか、シセとか言ったっけ?」
「そのシセなんですが……僕の世界の住人かもしれません」
思いがけない報告にシャルルは思わず息を呑んだ。猫耳も思わずぴんと立つ。
「どゆこと?!」
「僕が素手で戦っている時にシセが呟いたんです。『まるで格ゲーだな』って。
えっと……格ゲーっていうのは、『格闘ゲーム』の略で、僕の世界の……なんていうか、一対一の戦いを模した遊び、みたいなものなんですが」
「アヤトくんの聞き間違いとかいう可能性は?」
「いや、それはないと思います。はっきり聞きましたし、シセも言った後に『しまった』って顔をしてたんですよね。それとシセを倒した時に、彼女の腰に〝これ〟を見ました」
アヤトは自分の懐中時計を見せる。
「シセってヤツも召喚された勇者かもしれないってことか……」
しかも、シャルル……尾本のいる世界の。シャルルもドレスの腰に付けていた懐中時計を手で確認した。
シャルルは複雑な感情を含んだ視線を楽しそうに働くメイド服の女神へと送る。彼女が黒幕という事は考えたくはないのだが……
「相手が勇者かもしれないってのは、あくまで状況からみた推測ですけどね。今度、女神様と謁見できる時があったら聞くつもりではいるんですが、シャルルさんには事前に伝えておこうと思いまして」
「なるほどね。俺は個人的に女神様に会う機会が多いからさ。詳しく聞いておくよ。それと――
無いとは思うんだけど、アヤトくんは元の世界に帰った後も気を付けた方がいいかもしれん」
「そうですね。こっちは顔も名前も相手にバレてますし……まあ、それは向こうも同じなんでしょうけど」
「――なるほど」
今更だが「アヤトは顔も名前もアバターそのままなんだなー」と改めて気づく。どうもこの少年は性格が素直すぎる。先天性へそ曲がり星人の自分とはまるで正反対だ。
(アバターは顔や年齢、さらには性別まで変更できることを伝えた方が良いのかな~)
一瞬だけ悩んだが、その話題がアバター・シャルルについての話になって、最終的に自分の素性がバレるという社会的リスクを考慮した結果、尾本は沈黙を選んだ。
どうせアヤトも、本気でシャルルが男だとは信じていないだろう。ならば、このままでいいかもしれない……いや、それが最善だろう。保身大事、絶対。
「なんか、事態がどんどんややこしい方向に進んでるなあ……」
シャルルはベランダの手すりに寄りかかって、頬杖をつく。『自分が痩せたらみんなハッピー!』という単純な話から、どんどん離れていっている気がする。
「シャルルさん、あれ!」
アヤトが驚いた表情で、一点を指差している。
そちらに目をやる。猫耳銃士の目が遠くを観測する。距離は北東10kmあたり、そこには真っ赤に燃える砦があった。
燃える砦の闇から、白い光が尾を引いて天に向かって走る。その光は、眩い一瞬の閃光の後、紅い光の花となって夜空にゆっくりと広がり、砦の周りを不気味な色で包んだ。
ベランダの下に設置された監視所から、緊迫した兵士の声が響き渡る。
「おい、あれはなんだ? 敵襲!? いや、救難信号!」
その叫びは、突然の恐怖に押しつぶされるような動揺を含んでいた。
「おい! 何だ? 何が起きている!?」「クワリオス鉱山砦が……燃えてる?」「どう見ても襲撃から数時間は経ってる感じだぞ……」「監視員、何してた! どうして誰も気が付かなかったんだ!」「今はそれどころではない! 早く! 早く、リュシアン隊長をお呼びしろ!」
階下では指揮官や兵士達の声が激しく飛び交う。
「嘘だろ。さらに事態がややこしくなるのかよ」
シャルルは顔を引きつらせ、思わず言葉を漏らす。
信号弾が空に消えた後も、シャルルとアヤトはしばらくその光景を見入っていた。クワリオス鉱山砦を包む真紅の炎が暗い夜空を刺す。その赤黒い輝きは、まるで彼らの心中にくすぶる不安そのもののように、静かに広がっていく。星々がその光にかすかに隠れ、空気には重苦しい緊張感が充満していった。




