第070話「魔物と人間の共存は可能か?」
夜の帳が森へ降り始めていた。
「見たところ正規兵ではないな。おぬし、傭兵か?」
魔物が流暢な言葉を発した。
レオフォルトは目を見開く。
「お前……何者だ? 魔物なのか?」
「わしはザルバスという。そして、こちらの怯えきっているエンサリア兵はトニじゃ」
「た、助けて……」
トニが血の滲む腕を押さえながら、か細い声を漏らす。
「そいつから離れろ」
ザルバスは肩をすくめるように羽ばたき、ゆっくりと距離を取った。
トニがふらつきながらレオフォルトの元へ歩み寄り、その場へ膝をつく。
レオフォルトはザルバスを警戒しながら、トニの怪我を確認した。
(傷は浅い。)
しかも応急処置までされている。
少しだけ緊張が緩む。
「俺は傭兵隊『銀翼の鷲』の副隊長レオフォルトだ。クワリオス鉱山砦を襲ったのはお前たちか?」
「ほう。わしの祭壇を用いた大規模認識阻害を見破れるのか?」
ザルバスが感心したように呟く。
「クロモリ・マコト……いや、オスカーの召喚にも祭壇を使ったとはいえ、リソースに余裕はあったはずなんじゃがな。すると並行処理の制御にまだ課題があったのかのう?」
「……何を言ってる?」
「ああ、すまんすまん。歳を取ると独り言が増えていかんな」
ザルバスは楽しげに笑った。
「さて、砦を襲ったのはいかにもわしら魔王軍よ」
「魔王軍か……何が目的だ?」
「目的じゃと? そもそも、あの鉱山は魔物の物じゃ。それを取り返して何が悪い」
レオフォルトは黙り込む。
人語を解す魔物など初めてだが、まともな会話が成立している。
ならば、こちらの立場を先に伝えておくべきだ。
「……了解した。見てのとおり、俺はただの傭兵だ。今はエンサリア共和国以外の商隊に雇われている。ゆえに、魔王軍と敵対する意思はない」
「ふむ」
ザルバスが単眼を細めた。
「嘘ではなさそうじゃな。わしは無駄な殺生は好まん。トニを保護してくれるなら手出しはせんよ」
「魔王軍は無益な殺生をしない……そう聞いたことがある。信じよう」
レオフォルトは剣を下ろした。
もっとも、いつでも斬りかかれる構えだけは崩さない。
「それで、俺にこの兵士を保護しろというのは、どういう意味だ?」
「言葉通りじゃ。エンサリア共和国への伝言をトニに頼んでおったが――」
ザルバスは愉快そうに笑う。
「レオフォルト。聡明なお前に任せることにする」
そして、静かな声で告げた。
「まず、クワリオス鉱山は返してもらう。砦もいただこう……」
レオフォルトは無言で続きを待つ。
「反撃するのは構わん。だが、こちらには人質がおる。砦の文官や給仕など、非戦闘員が約五十名。そして守備隊長を名乗る執政副長官の息子。アーリン・ゼルティスとかいう若造も預かっておる。以上を踏まえ、『賢い選択をしろ』と伝えてくれ」
「アーリン・ゼルティスだな? 分かった。エンサリア共和国にそう伝えよう。そちらの要求は鉱山の返却だけか?」
「そうさな。こちらが喉から手が出るほど欲しかった青結晶の鉱山は手に入ったからのう。強いて言うなら『しばらく静かにしておれ』と伝えてくれ」
「しばらく、とは?」
「数日か、数十年か……」
ザルバスはくっくっと笑った。
「お互いの努力が必要だろうて。わしらとて、いつまでも人質の世話などしたくないしの」
「分かった。そのまま伝えよう」
レオフォルトは低く息を吐く。
「もしエンサリアが承諾した場合、どうやって連絡を取る?」
「そのためのトニよ。以後、人間側とのやり取りはトニを通すように」
トニが怯えながら何度も頷いた。
「まず、こちらの誠意を先に見せよう。今回の件を承諾する場合は、解放してほしい五名の名簿を作成し、四日後の正午、この場所にトニがひとりで持ってくるように。そうすればその五名の人質を解放する。言うまでもないが、執政副長官の息子アーリンはダメじゃ。
それとわしはいつでも見ておるからな。余計な小細工はしない方が人質のためだとも伝えてくれ」
承諾しない場合についての話はない。
つまり、他の選択肢は与えないという意味だと理解した。
「四日後の正午だな?」
「そうじゃ。頼んだぞ、レオフォルト」
「分かった。約束しよう」
レオフォルトは深く頷くと、一瞬だけ迷った後に口を開く。
「最後に一つ聞きたい。これは俺個人の興味からの質問だ」
ザルバスは嬉しそうに目を細める。
「こちらから頼みっぱなしじゃからな。答えられる範囲でよいなら答えよう」
「魔物と人間の共存は可能か?」
「なんじゃ。そんな話か」
ザルバスは「かっかっかっ」と心底愉快そうに笑い、無感情に応える。
「――無理じゃな」
その言葉だけを残し、ザルバスは闇の中へ飛び去っていく。
同時に世界が変わった。
認識阻害と沈黙の魔法が、一斉に解除されたらしい。
轟音。
兵士たちの悲鳴。
魔物の咆哮。
そして、あの黒い獣の遠吠え。
暗闇の中に、燃え盛る砦の輪郭が浮かび上がった。
空へ撃ち上がる真紅の信号弾を見上げながら、レオフォルトはトニに肩を貸す。
「行くぞ!」
そして二人は商隊との合流地点へ向け、森の中を駆け出した。




