第069話「今のは……幻だったのか?」
夕焼けに染まるクワリオス鉱山砦を眺めながら、レオフォルトは眉をひそめた。
「どうも違和感があるな」
見張り台に人影がない。
砦に灯りは見える。人がいるのは確かだ。だが、それにしても妙だった。
「使いたくはなかったが……仕方ないか」
レオフォルトは左目の眼帯を持ち上げる。
その下から現れたのは、青結晶で作られた義眼だった。
淡い蒼光を放つ瞳の上に、魔法陣が浮かび上がる。
〝それ〟はアルヴァリス騎兵隊時代の古傷だった。かつてエンサリア共和国軍との戦闘で左目を失い、意識を失っている間に埋め込まれた代物。当時の上官の悪意と共に埋め込まれた義眼。
「思い出すだけで吐き気がする」
本来なら使いたくはなかったが、この義眼には望遠機能と、簡易的な認識阻害を見破る力があった。
今は頼るしかない。
もっとも、認識阻害の突破については期待していなかった。
認識阻害魔法は効果範囲が狭く、しかも不安定だ。意図せず見破られることも少なくない。
しかも認識阻害魔法を使用している術者側は、見破られたかどうか判別できない。
〝役に立たない魔法〟
そう言われている魔法だ。
だから、頼るのは義眼の望遠機能だけ――そのはずだった。
「なっ……!?」
義眼に映った光景に、レオフォルトは息を呑んだ。
燃え盛るエンサリアの国旗。
砦を埋め尽くす魔物の群れ。
逃げ惑う兵士たち。
それは紛れもない惨劇だった。
中でも、ひときわ異様な存在がいた。
巨大な黒い狼。
重力を無視するかのように城壁を駆け上がり、歩哨路へ飛び込む。
剣と槍を構えた兵士たちへ体当たりし、そのまま城壁の外へ弾き飛ばした。
直後、城壁から突き出した小塔――バーティザンの射撃孔から、魔法付与された矢が放たれる。
狼は大きく跳躍して、それを躱した。
真紅の夕日を全身に浴びながら、高空で身を翻す。
そして――
黒い獣は、黒い異国の衣装を纏った少女へ姿を変えた。
少女は回転しながら、手にしたボウガンを射撃孔へ向ける。
放たれた一撃が、正確に射撃孔を撃ち抜いた。
次の瞬間。
内部から悲鳴が響き、不気味な緑色の炎が噴き出す。
少女は城壁の縁へ軽やかに舞い降りた。
倒れた兵士の背に片足を乗せ、満足そうに周囲を見渡している。
まるで、自分が生み出した地獄を愉しむかのように。
少女がゆっくりとこちらを向いた。
獣のような青白い瞳。
その視線が、一瞬だけ義眼と絡み合った気がした。
「――ッ!」
レオフォルトは反射的に眼帯を戻す。
再び目の前に広がったのは、静まり返った砦だった。
夕焼けだけが、茜色に城壁を染めている。
「今のは……幻だったのか?」
半ば、そうであってほしいという願望混じりの独り言だった。
だが、最初から感じていた違和感の正体に気づく。
静かすぎる。
風は吹いている。
森の木々も揺れている。
……なのに。
「これだけ森が揺れてるのに……木々のざわめきがない?」
音が消えている。
砦全体を覆う規模の認識阻害。
さらに、沈黙の魔法。
「そんな大規模な魔法が存在するのか?」
背筋を冷たいものが走る。
本能が危険を告げていた。
レオフォルトは背後を振り返る。
馬を止めていた場所を確認しながら、じりじりと後退った。
――その時、パキリと枝を踏む音。
そこにいたのは、血まみれのエンサリア兵だった。
腕を押さえ、木にもたれかかっている。
瞳には絶望が浮かんでいた。
「あんた、大丈夫か――!?」
駆け寄ろうとした瞬間。
レオフォルトは動きを止め、剣を抜いた。
兵士の背後。
そこに、一匹の魔物が浮かんでいた。
かぼちゃほどの大きさの胴体。
コウモリの翼。巨大な単眼。
見たこともない魔物。
その魔物は驚いたようにレオフォルトを見ると、嬉しそうにひとつ目を細めた。




