第068話「現在、ユーザーへの精神的ペナルティを実行中」
――視線。
無数の視線が、自分へ向けられている。
「……ん?」
不意に意識が浮上し、尾本はゆっくりと瞬きをした。
階段の踊り場。
眼下には豪奢なホール。そして、その場に集まる全員がこちらを見上げている。
その瞬間、脳内に無機質なアナウンスが響いた。
《視覚共有開始。ユーザーの音量出力先をアイリスとフェルネスの脳内に限定》
『なんじゃこりゃあああ!! ア、アイリス! 状況報告!』
《現在、ユーザーへの精神的ペナルティを実行中》
『お、俺の身体を返せ、アイリス!』
「そのように尾本氏が申しておりますが、どうしたものかしら?」
「あらあら。どうしましょう。尾本氏には困ったものですね、シャルル様」
アバター・シャルル――つまり現在の肉体を操作しているアイリスが、傍らに控えるメイドへ微笑みかけていた。
そのメイドは、どこからどう見ても星山めぐみ。しかも、腰には星詠みの剣――アイリス本体が帯刀されていた。認識阻害結界を使っているのは明白だ。そうでなければ、帯刀したメイドなど即座に騒ぎになる。
『どゆことー!?』
「申し遅れました。私は新人メイドのメグと申します。本日はシャルル様専属で、身の回りのお世話を担当させていただきます」
そこで一度、にこりと微笑む。
「以後、よろしくお願いいたしますね……お・も・と・さ・ん♪」
混乱しながら周囲を見回す。
どうやら風呂は終わって、いつの間にかドレスへ着替えさせられているようだ。
会場には煌びやかな照明が灯り、楽団の演奏が静かに流れている。
貴族たちが談笑する光景は、もはや晩餐会というより絵本の中の舞踏会だった。
そして今、自分はその中心に立たされている。
『OK、OK。状況はだいたい理解した。とりあえず、俺の本名を晒すのやめようか、おふたりさん。それとアバターの制御を俺に返して!』
「どう思いますか、シャルル様?」
「そうですわね……」
アイリスは優雅に微笑む。
「でも、せっかく自由に動ける身体を手に入れたのですから、一夜くらい素敵な殿方との恋の駆け引きを楽しみたいものですわ。尾本氏と感覚を共有しつつ」
そう言うと、アイリスはゆっくりと階段を降り始めた。
『ひぃぃぃぃ!?』
「ですが困りましたわ。私が遊びのつもりでも、お相手が本気になってしまったら……どうしましょう?」
わざとらしく頬へ手を添える。その仕草には妙な色気があった。
《警告。バイタル異常。ユーザーの心拍数が120bpmを超えました。危険です》
『タスケテー タスケテー』
階段を降りきった瞬間、待ち構えていた貴族たちが一斉に集まってきた。
「なんと美しい……」
「おとぎ話に出てくる猫妖精のようだ」
「勇者というより、まるでお姫様のようですな!」
口々に賞賛が飛ぶ。
『タシケテー』
その中で、アヤトだけが妙な顔をしていた。
視線の先は、メグ――星山めぐみである。
「え? ほ、星山さん?」
「はじめまして、勇者様。私は新人メイドのメグと申します。ブラウトロワ家より、お手伝いに参りました」
深々と一礼する。
「ところで、『ホシヤマ』とは何でしょうか? なにぶん最低限の教育しか受けておらず、学が無いもので……申し訳ございません」
「あ、す、すみません。知人に似てたもので……お気になさらず。それにしても、なんか最近こういうの多いな……どうなってるんだ?」
アヤトは困惑したように頭をかいた。
その時だった。
恰幅の良い男が人垣を押し分け、こちらへ歩み寄ってくる。
「女勇者様! 此度は我がオルダレン地区をお救いいただき、誠にありがとうございました!」
男は胸へ手を当て、深々と頭を下げた。恰幅の良い腹が一緒に揺れる。
「私はこの地域の統治を任されております、トバルト・ブラウトロワと申します。たしか、お名前は……」
「シャルル・アイリスです。シャルルとお呼びくださいませ、ブラウトロワ様」
アイリスはスカートの裾を摘み、優雅に一礼する。
『ヤーメーロー』
「おお……なんと可憐で美しい所作……」
トバルトは感嘆したように目を見開いた。
「シャルル・アイリス様は、たいへん高貴なお生まれとお見受けしましたが?」
「さほど大した家柄ではありませんわ。猫耳族王家の末席に連なる程度ですの」
優雅な微笑み。
「なんと! いや、猫耳族というのは存じませんが……なるほど、納得です」
『いや、知らんなら納得すんなよ』
アヤトがそっとシャルルに近寄り耳打ちする。
「シャルルさん、今日は『俺は男だ、オッサンだ』は無くていいんですか?」
「うん。今のウチはアイリスだから」
「あ? あー なるほど……」
危険を察したアヤトは静かに距離を取ろうとした。
だが、その腕ががっしり絡め取られる。
「ちょ、待~て~よ~アヤト~! ウチから逃げんなし!」
「もう勘弁してください、アイリスさん。反省してますから……」
アヤトの声は完全に疲弊していた。
しかも、いつの間にか「アイリスさん」と「さん」付けになっている。
例の説教が、相当効いたのだろう。
そんなやり取りを一緒に眺めていた楽団が、トバルトの「さっさとしろ」という視線に気づき、慌てて演奏を再開する。
「シャルル様。もしよろしければ、一曲……」
トバルトが自信満々に手を差し出す。
よく見ると掌には薄っすら汗が浮いていた。
『いやあああぁぁ!! オッサンとオッサンの社交ダンスとか絶対いやあぁぁ!!』
「うわあ……中の人を知ってるだけに、ぞわぞわしますね」
『だったら止めてぇぇぇ!!』
「そう言われましてもペナルティ実行中なんですよねー」
メグは笑顔でハンカチを振った。
『タ、タシケテー!!』
「おっじさんと~ おじさんが~ こっつんこ~♪」
しかも星詠みの剣を指揮棒代わりに振り回している。
認識阻害魔法で、完全にやりたい放題だ。
『ぎぃやぁぁぁぁ!!』
アイリスがトバルトの手を取ろうとした、その瞬間。
「失礼、トバルト総督。実はシャルル殿には先約がありまして」
低く静かな声。
リュシアンだった。
見た目は十二、三歳ほどの少年。だが、その微笑みの奥には、有無を言わせぬ圧力があった。
「こ、これはリュシアン隊長……! それはとんだ失礼を……」
トバルトは冷や汗を流しながら後退する。
「強引にすみません。でも、こうしないと、一生後悔する気がしまして」
リュシアンはそう言うと、静かに跪いた。
そして、そっと右手を差し出す。
ホールの空気が変わった。
誰もが息を呑み、楽団すら演奏を止める。
『おい……アイリス……待て……』
(……ふひっ!)
澄ました表情のまま、アイリスが内心で気味の悪い笑い声を漏らす。
そして。
差し出されたリュシアンの手へ、シャルルの手がそっと重ねられた。
『のおおおおぉぉぉぉ!!!!』
立ち上がったリュシアンが、その手を優しく引き寄せる。
直後。
ホールに、甘やかなワルツの旋律が流れ始めた。




