第061話「僕はオスカー」
クワリオス鉱山砦近くの森は、鬱蒼とした闇を湛えていた。
冷えた風が、木々の間を静かに吹き抜ける。
枝葉が密集し、陽光を遮る森の中は、昼間とは思えないほど暗かった。
その森の一角。木々が少し開けた場所に、不気味な青白い光が揺らめいている。
薄青く輝く二メートルほどの結晶体が黒い台座に固定され、祭壇として設置されていた。
「いやはや、計画通りとはいえ派手にやられたのう……」
ザルバス――干からびたような老爺は、白く長い髭を撫でながら、愉快そうに笑った。
「お疲れ様でした、ザルバス様。こちらの準備は滞りなく……」
低く唸るような声――レオガウムは、三メートルを超える巨体を誇る魔物だった。
青黒い毛並みに覆われた筋骨隆々の体躯。
獅子の頭を持ち、赤く輝く瞳が暗闇の中でも異様な存在感を放っている。
「こちらの計画外は、シセまで勇者にやられた事ぐらいかの?」
ザルバスが楽しげに視線を細めると、祭壇の傍で青白い炎が激しく燃え上がる。
その炎の中から、ゆっくりと踊り子シセの姿が現れた。
「ザルバス、先程の戦闘で私の星詠みの腕輪が破壊された。修理は可能か?」
「無茶を言うな。星異物なんぞ、製造神でも修理できんよ。そもそもわしはただの魔法使いじゃ」
「そうか。魔王様からいただいたものなんだが……」
「それより、こちらの作戦を全うする事に集中せんか。作戦が上手くいっているとはいえ、もう後が無いんじゃぞ?」
「わかっている。祭壇の方はどうだ、レオガウム?」
「祭壇の青結晶の劣化は始まっていますが、全部隊の復活には問題ないかと……」
ザルバスは軽く頷き、周囲に立ち上る青白い火柱を見つめた。
青結晶によって生み出される歪な存在である魔物は、自然に出現し、自然に消滅する。
そして、強力な魔物の出現には高圧縮された青結晶が必要なのだ。
逆に言えば、高圧縮された青結晶さえそこにあれば、消滅した魔物は自動的に再出現する。
さらに、ザルバスが作り出した人造の魔物は、消滅した地点ではなく、最も近い「祭壇」の側で自動的に復活する仕組みを組み込んでいた。
つまり――
「一度に全ての魔物を勇者に倒させ、一度に千五百の魔物を目的地で復活させる!
我ながら何と恐ろしい奇襲作戦じゃろう!」
くるりと振り返ると、アヤトの広範囲攻撃魔法によって塵と化した魔物たちが、青白い火柱とともに次々と蘇っていく。
「大声はよせ。沈黙と認識阻害の結界があるとはいえ、効果をあまりあてにするな」
「つまらんのう。こっちにはもうひとつの隠し玉もあるというのに」
「隠し玉だと? 何のことだ?」
シセが訝しげに眉を寄せるが、ザルバスは答えない。
「ザルバス様、祭壇が急激に劣化しております」
レオガウムの報告に、シセの顔が曇った。
「急速復活に、沈黙と認識阻害の結界の重ねがけ……
さすがに無理をさせすぎたな、ザルバス。これでこの祭壇も使えなくなる」
「なあに。鉱山さえ取り戻せれば、新たな祭壇を作り出せる。しかも、以前のものよりも大きな祭壇を複数作れるだろうよ」
もっとも、それができなければ詰みだが……とは思ったが、シセに余計な小言を言われるのは面倒なので黙っておく。
「それより――そろそろだ」
今回の祭壇の改造には、もうひとつ仕掛けが組み込まれている。
青白い炎を上げ、祭壇が大きくふたつに割れた。
「祭壇の寿命か?! 計画と違う! まだ五百匹程度しか復活できていないぞ!」
シセが祭壇の管理者であるザルバスに鋭い視線を向ける。
「安心せい。沈黙と認識阻害の結界はまだ動いておる。魔物たちの復活も継続中じゃ」
ふたつに割れた青結晶は、その断面を合せ鏡のようにし、無限にその景色を広げる。そして、あるタイミングで、その景色がひとつに集約を始め、合せ鏡の間に激しい炎を生み出す。
「この感じ……お前、まさか!
勇者を召喚できたのか?!」
その問いに応え、ザルバスはゆっくりとシセを振り返った。
つばの広い帽子の奥に、不気味な笑みを浮かべながら――
* * *
その日の夜。
黒森真琴は、夢とうつつの間で青白い炎を見つめていた。炎は不気味な静けさを湛えながら、ゆっくりと彼の全身を包み込んでいく。じわじわと広がる熱もなければ、燃え盛る音すらしない。
――ただ、静かに、確実に。
真琴は、感じたことのない力に引き寄せられるのを覚えた。視界が歪み、重力が失われ、意識が深く沈んでいく。
まるで別世界に落ちていくような感覚だった。青白い炎が、ゆっくりと遠のいていく。
そして、彼の目の前に広がったのは――深い森。
見たことのない木々が生い茂り、淡く光る霧が漂う。
そこには、数百もの異形の影があった。
二本足で立つ、犬とトカゲの群れ。
警戒の色を滲ませた、獅子の巨躯を持つ男と、黒いローブを纏った魔法使い風の老人。
そして、蒼い異国の衣装をまとった踊り子の視線が、まっすぐにこちらを捉えている。
――変な夢だな?
真琴は、まどろみの中でそう思った。
それなのに、なぜか異様なほどに鮮明で、冷たい現実感を帯びている。
ゆっくりと周囲を見回した時、視線の端に青白い光が揺れた。
炎に照らされた巨大な水晶の表面に、ひとりの少女の姿が映っている。
――結衣、なのか?
背中まで伸びる、艶やかな黒髪。鋭く光る澄んだ青い瞳。
彼女の全身を包む黒い衣装と、黒い布に包まれたすらりと伸びた長い脚。
それは、獣のような力強さを漂わせていた。
鋭く尖った黒い獣の耳がピンと立ち、かすかな風の音すら拾い上げるかのように動く。
スカートの隙間からふわりと覗く黒い尻尾が、静かに揺れていた。
その姿には、わずかに妹・結衣の面影がある。
しかし――
水色に輝く瞳は、今は亡き愛犬を思い起こさせた。
――オスカー?
懐かしさに心が震えた。彼女に向かって、思わず歩み寄る。
同じタイミングで、彼女もまた静かに歩みを進めた。
地面に落ちた青白い炎が、ふたりの足元で揺らめく。
やがて、ふたりは向かい合った。
そして、その瞬間――
真琴は、それが自分自身であることを理解した。
それと同時に、この世界における自分の使命も。
「お前、何者だ?」
踊り子風の女の声が、沈黙を破った。
真琴はゆっくりと振り返る。その口角が、静かに持ち上がった。
水色に輝く瞳に冷たい影を落としながら、薄く笑う。
「僕はオスカー。魔王軍の、勇者だ」




