第057話「順調すぎる気がするな」
リュシアンは南の砦の指揮所テントで、テーブルに広げられた地図を見つめていた。周囲には戦況を刻むように、時折、遠くで響く剣戟の音が聞こえる。
テントの入り口は開け放たれ、外の様子がよく見えた。前線へと向かっていた伝令の馬が、泥を跳ね上げながら戻ってくるのが確認できる。
程なくして、伝令から報告を受けたシュラウザーが、落ち着いた足取りで指揮所へ入ってきた。
「リュシアン様。作戦は無事に第二段階へ移行されました。
伏兵部隊は敵を攻撃しつつ、こちらに戻ってきています。そして勇者二名は後方で敵を足止めしながら、その場に留まっているとのこと。ここまでは順調です」
リュシアンは眉をわずかに寄せ、地図の上を指でなぞった。
「順調すぎる気がするな」
視線を上げると、シュラウザーが問いかける。
「作戦を変更しますか? 総力戦に持っていけば、敵を殲滅可能ですが」
リュシアンは静かに首を振った。
「それでは我が軍に被害が出る。それに――」
その時、緊迫した声が響いた。
「報告!」
伝令が指揮所へ駆け込んでくる。
「全伏兵部隊が〝範囲外〟に移動しました!」
リュシアンの目が鋭く細められる。
短い沈黙の後、彼は決断を下した。
「作戦は続行だ。作戦を第三段階に移行!」
「了解!」
シュラウザーは即座に指示を飛ばす。
「防衛部隊は対魔法防御結界を、張れるだけ何重にも張るように伝えろ!
作戦を第三段階に移行する!」
命を受け、伝令は素早くテントを飛び出していった。外では戦火が徐々に遠退いている。その中心には、勇者ふたりがいるはずだ。新たな局面を見据えながら、リュシアンは静かに地図を見つめていた。
「……それに、勇者アヤトの魔法を見ておきたいのだ」
* * *
アヤトは剣を構え、シセの変幻自在な攻撃を防ぐことに徹していた。
次々に繰り出されるシセの斬撃は、流れるように速く軽く、それでいて獰猛な一撃は重い。アヤトは反撃を狙わず、防御に集中する。それが今の彼にとって最適な選択だった。
しかし、いつまでもこの状況が続くわけではない。じわじわと追い詰められつつある——
その時、遠くで発砲音が響き、シセが素早く後方へ跳んで距離を取った。
音のした方向を見やると、数匹の魔物を引き連れながら、こちらへ駆けてくるシャルルの姿があった。
「アヤトくん! こいつら頼むわ!」
そう叫ぶシャルルの背後にヴァルガンが迫る。その鋭い鉤爪がシャルルを掴まんと伸びかけた瞬間——
「シャルルさん、伏せてください!」
アヤトの声に反応し、シャルルが素早く身を低くする。
同時に、アヤトは星詠みの剣を投擲。剣は一直線に飛んで、ヴァルガンの頭部へ深々と突き刺さった。
「あっぶね! 何すんだよ!」
立ち上がったシャルルが、アヤトにマスケット銃を向け、引き金を引いた。
閃光が走り、アヤトへ突進するシセの足元を打ち抜く。
「うわっ! そっちこそ!」
アヤトは身を翻しながら距離を取る。シャルルの不敵な笑みを見て、同じ笑みを浮かべた。
シャルルは即座に左腕の篭手をヴァルガンに向ける。星詠みの剣が刺さったままのヴァルガンへと、ワイヤーアンカーが発射された。
ワイヤーは剣の柄に絡みつき、素早く巻き取られる。星詠みの剣がシャルルの手元に収まると同時に、ヴァルガンは青白い光となって消滅した。
シセの鋭い声が響く。
「ザルバス、全部隊を勇者たちに集中させろ!」
シセの命令に応じ、シャルルの背後を追って飛来していたザルバス・ドローンが周囲を見渡す。
「言われんでも、もうやっとるわ!」
周囲には、土煙を巻き上げながら魔物たちが集結してくる。
シセは状況を確認すると、舞うようにシミターを振るい、アヤトに問いかける。
「敵に四方を囲まれ、武器もない状態か。今はどんな気分だ?」
アヤトはわずかに息を整え、口元に薄い笑みを浮かべた。
「教えてやろうか?」
言葉とともに、一気に間合いを詰める。
アヤトの掌がシセに迫る。シセが紙一重でそれを避けると、次は回し蹴りが襲いかかった。
「くっ――!」
シセは身を翻しながら跳び退き、感心したように呟く。
「ほう。素手の方が強いのか?」
星詠みの剣の使用による副作用の回避は単純な話だ。手放せばよいだけ。
そして、アヤトにとってそれは問題ではなかった。
徒手空拳になったところで、戦意は変わらない。
「これでも実戦空手は負け知らずさ。……まあ、ちょっと前に引退したけど」
言葉と同時に、蹴りと拳の連続攻撃を繰り出す。
シセはそれを巧みにいなしながらも、何発かは腕や足で受け止めざるを得なかった。
しかし——
アヤトの攻撃を受けながらも、シセの表情には余裕があった。アヤトの中に、僅かに焦りが生じる。
——このまま素手で戦い続けるのは無理だ。
それに敵に囲まれつつある。退路は完全に塞がれた。
——どうやってこの状況を打開する?
その考えが頭を巡る中、シセがふと微笑み、静かに呟く。
「まるで格ゲーだな」
「えっ!?」
その意外すぎる一言に、アヤトの攻撃の手が一瞬止まる。
一方のシセも一瞬動きを止め、ヴェール越しに、「しまった」と小さく口を動かした。




