第046話「全員、持ち場につけ! 出発だ!」
分厚い石壁に囲まれた西アルヴァリス砦の中庭では、馬車に荷を積み込む商人たちと傭兵たちが慌ただしく動き回っていた。
日差しを遮るように立つ大きな詰所テントの中で、オウリィは荷物の積み込みを確認しながら、そろばんを弾く。
穀物の袋、干し肉、保存水――予定通りの量は揃った。
砦の城門が開けば、いよいよ南エンサリア砦への旅が始まる。
予定では四日間の旅だ。
旅の無事を願い、砦の中庭からでも見える女神教のシンボル――幾つもの歯車が組み合わされた太陽系儀のオブジェに短く祈りを捧げる。
オウリィは祈り終えると顔を上げ、荷車を見回した。
すでに出発の準備は整いつつある。あとは、最終確認を待つだけだ。
「オウリィの旦那!」
しゃがれた声が響く。振り向くと、鋭い目つきをした屈強な女性がゆっくりと歩み寄ってきた。
彼女は傭兵隊『銀翼の鷲』の隊長、セリーナだ。
赤い長髪を後ろでひとつに結び、陽光を浴びたそれが炎のように揺れている。
年齢を重ねた顔には、苦労の跡を物語る深い皺が刻まれ、鍛え上げられた筋肉質な体は鎧の上からでもわかる。
戦場を生き抜いてきた猛者の風格が、その佇まいから滲み出ていた。
「食糧の積み込みが済みました。セリーナ隊長、傭兵隊の皆さんの準備はどうでしょうか?」
「オウリィの旦那が砦の兵站担当者に話を通してくれたおかげですね。
ほぼ原価に近い金額で矢と槍、それと蹄鉄を手に入れられましたよ。
今、レオフォルトとエリサが出発前の最終確認をしています」
言いながら、セリーナは腰に手を当て、砦の中庭を見渡す。
そこでは、副隊長のレオフォルトと隊員のエリサが最後の確認をしている姿が見えた。
セリーナの声が届いたのか、エリサが馬から離れ、軽やかに駆け寄ってくる。
栗色の長い髪を高く結い上げたポニーテールが、動きに合わせて跳ねた。
日焼けした肌と、鋭い青い瞳が印象的な少女。装いは、動きやすさを重視した弓兵らしい軽装でまとめられている。
肩に掛けられた矢筒と、腰の短剣が弓兵としての彼女の実力を物語っていた。
「セリーナ隊長、蹄鉄の交換が終わりました。馬たちに異常はありません」
エリサの報告が終わるのを待ち、もうひとりの男が歩み寄ってくる。
数本の槍を軽く担いだ、壮年の男――傭兵隊『銀翼の鷲』の副隊長、レオフォルトだった。
鍛え上げられた筋骨隆々の体に、使い込まれた防具がよく馴染んでいる。
左目には深い傷跡と眼帯があり、残された右の碧眼は鋭く、長年の戦場経験を物語っていた。
しかし、口元には気さくな笑みが浮かび、場の空気を和ませる余裕もある。
「こっちも準備完了です。例のアルバベールとかいう野盗集団どもの情報も手に入れました。
いつでも出発できますぜ」
彼は槍を軽く肩に担ぎ直し、ニッと笑いながら言った。
オウリィはふたりの報告に頷く。
「オウリィ様、砦のライウス隊長へのご挨拶を済ませてきました!」
続いて、マレクが駆け寄ってきた。
短く刈り込まれた黒髪が陽光を受け、わずかに光る。
日に焼けた浅黒い肌と、彫りの深い端正な顔立ち。その大きく黒い瞳には、どこか子どものような無垢な輝きが宿り、良くも悪くも幼さを残した人柄を滲ませていた。
「それと、例の女勇者様の件でご報告です」
「何か新しい情報が入りましたか?」
「それが、今朝早くに早馬でここを出られたそうです。行き先は南エンサリア砦――」
「なるほど。勇者おふたりが一箇所に集まってくださるのは、我々にとっては僥倖ですね。
天は我に味方しているといったところでしょうか」
オウリィは考え込むように顎に手をやり、そろばんの玉を軽く弾く。
「勇者アヤト様は、馬の扱いに非常に長けていると聞きます。シャルル様も同等の騎手であるとすれば……そろそろ南エンサリア砦に到着している可能性もありますね」
「そんなに早く到着できるものでしょうか?
普通なら二日、急いでも一日半はかかる距離を、わずか数刻で?」
マレクが驚いたように言うと、その問いにエリサが自慢げに応えた。
「マレク、名騎手というのはそういうものですよ。
それに早馬……つまり、交代所を使って馬を乗り換えながら走っているなら不可能じゃないです」
オウリィはわずかに首を振る。
「話が逸れましたね。それで、シャルル様が南エンサリア砦に向かわれた理由は?」
マレクの顔にわずかな緊張が滲む。
「それが、南エンサリア砦で魔王軍との大規模な戦闘が始まるとのことで……
ライウス隊長からは、出発を遅らせるか、南エンサリア砦を大きく迂回してはどうかと提案を受けました」
オウリィはその報告を聞き、そろばんを見つめる。
頭の中であらゆる可能性が絡み合い、慎重に計算を巡らせた。
「魔王軍の動きが早いですね。いや、状況そのものが大きく動いている?」
――僥倖ともいえるが、果たしてこれを享受すべきか、それとも慎重に動くべきか。
「南エンサリア砦を迂回して、水上都市ネレイアを目指すべきでしょうか?」
マレクが慎重に提案する。
「悩ましいですね」
オウリィはそろばんの玉を弾きながら、深く考え込む。
「せめて、魔王軍の規模や動向が分かればいいのですが……
迂回するにしてもルートの確保やリスク管理が必要ですしね。
他の商会の動きも気になります」
オウリィの顔に、わずかな不安の影がよぎった。南エンサリア砦で戦闘が始まれば、勇者たちと接触する絶好の機会を逃すかもしれない。それに、他の商会も勇者に接近しようと動き出すだろう。
さらに、ルート変更となれば街道を外れ、人気の少ない道を通らざるを得ない。
馬車でそんな道を進むのは、手間も危険も増す。まして、最近のエンサリア共和国周辺では、『アルバベール自由同盟』を名乗る野盗集団が暴れ回っているという噂もある。
「……オウリィ様」
マレクが慎重に言葉を選びながら口を開く。
「差し出がましいのは承知の上ですが、意見を述べてもよろしいでしょうか?」
「もちろんですとも。どんな意見でも歓迎しますよ」
オウリィは小さく笑い、マレクに視線を向けた。
「先日も、あえて我々は戦場に突撃しました。再び戦場に飛び込むことになっても『今更』というのが正直な気持ちです」
マレクの言葉に、集まってきたオウリィの商隊の面々と傭兵たちが、不敵な笑みを浮かべて頷く。
「やれやれ……」
オウリィは軽く肩をすくめる。
「我々は『武装商隊』にでも名称変更したほうが良さそうですね。
そうすれば、今後の通商も少しは華やかに見えるかもしれませんよ」
その冗談に、商隊と傭兵たちが笑い声を上げる。
「いいですね、武装商隊!」
「それなら俺たちにピッタリだ!」
オウリィも穏やかに笑いながら、しだいに表情を引き締める。
「それでは、我々は南エンサリア砦を目指しましょう!
勇者アヤト様やシャルル様との接触の機会を逃すわけにはいきません」
マレクが頷き、即座に行動を開始する。
「では、傭兵部隊から一名を連れて先行偵察に向かいます」
「エリサ、偵察用の馬の準備だ。それが済んだらマレクと一緒に偵察に行ってきな!」
セリーナが副隊長レオフォルトに目で合図を送る。
「よし! 全員、持ち場につけ! 出発だ!」
レオフォルトの力強い号令が響き渡る。
その一声で、カラドグラム商会と傭兵隊『銀翼の鷲』の面々は一斉に動き出し、威勢のいい声が飛び交った。
荷馬車の車輪が軋み、馬たちが鼻息を鳴らしながら前進し、砦の重たい城門をくぐる。
「どうも皆さんは血気盛んでいけませんね。
武装商隊……冗談じゃなく、そう名乗る日が近いかもしれませんよ」
陽の光に照らされた街道を見据えながら、オウリィ・カラドグラムは微笑んだ。




