第042話「愚かな人間どもめ!」
時計の針が12時を少し過ぎた。ショッピングモール内のイタリアンレストランはランチ客で混雑している。
ざわめきが店内を包む中、尾本は自分の席でフォークをいじりながら、ため息をついた。注文は済んでいるが、料理はまだ運ばれてこない。目の前では、女神――いや、星山めぐみという人間名を名乗った女神と広瀬あかりが、すっかり意気投合して楽しげに話し込んでいる。激しく反発しあうかと思っていたので、これは意外だった。
「へえ……それで先輩の体重が増えると、めぐみちゃんの世界に魔物が湧いてくると?」
広瀬が興味津々といった表情で問いかける。
「そうなんです。因果関係は不明なんですけど困ってるんですよ。本当に!」
女神は「本当に」の部分を強調しながら、尾本に視線を投げかける。
その刺さるような視線に、尾本は目をそらした。
「先輩……前から只者じゃないとは思ってましたけど、いったい何者なんスか?」
「俺か?」
広瀬の問いに、尾本はフォークを回しながらつまらなさそうに答えた。
「花屋の次男坊で、ブラック企業でSEやってる37歳の独身男性だよ」
「あれれ? 先輩とは付き合いは長いはずなのに知らなかったっスよ。
実家はお花屋さんだったんスね。
おっさんのくせにやたら花とか絵本に詳しいと思ったら、そんな理由があったとは」
「自分でおっさんを名乗るのはいいんだけど、他人に言われると傷つくんだが?」
「そんで、めぐみちゃんはこのおっさんを痩せさせようと奮闘中、と」
「おい。無視すんなよ」
広瀬と尾本のやりとりに女神がくすりと笑う。それを見た尾本はふと懐かしさを感じた。
広瀬と自分の会話に誰かがいたのは……黒森真琴がいた半年前だったか。
「ついでに、管理栄養士になるために四年制大学にも通っています」
「なんか、二人とも色々と規格外っスね」
「俺もそう思う」
「私は私の道を行くだけです」
その言葉を聞いて、尾本はさらにフォークをいじりながら小さくため息をついた。
「女神様の場合、我が道を行き過ぎでしょ……」
* * *
運ばれてきた食事を終えた後も、広瀬と女神の愚痴は止まらない。
静かだったのは、食べている間だけだったのではなかろうか。ちなみに大人の女性を装う広瀬ではあったが、焼きそばでもがっつくかのようにパスタを食べる様を見て、尾本は少し安堵した。ちゃんと〝お子様広瀬〟だ。
「仕事がほんとに大変なんスよ……なんで私が島流しにされるんスか?
って言うか、みんな自分勝手過ぎないっスか?! とくに弊社営業部とクライアント!」
広瀬は身振り手振りを加えながら愚痴をこぼす。
「わかります。私も、人間たちが好き勝手に争ったり環境を破壊するのを見るたびに頭を抱えてますから」
女神が腕を組んで力強く頷く。
「愚かな人間どもめ!」
「まったくですね!」
ふたりはすっかり意気投合している。
仕事の愚痴と異世界の話があまりに自然に結びつく様子に、尾本は呆れるしかなかった。
「そんで、ストレス解消っていうか、仕事終わりにいつも立ち寄る雑貨屋があるんスけど、最近はそれだけが楽しみっていうか――」
広瀬が笑いながら話すと、女神がすかさず「あ、メアド教えてください。私も今度行ってみます」と応え、二人はあっという間にメアドを交換する。なんだかんだで息ぴったり。そして尾本は蚊帳の外。
正直、若い娘さんたちに囲まれて華やかな休日を楽しもうと考えていた尾本だが、期待と予想は見事に外れた感じだ。
すっかり冷めてしまったコーヒーをすすりながら、尾本はこの場から逃げる算段を考え始める。
――いっそ、お金だけ置いて逃げようか。
「あ、そうだ。先輩のダイエットのことなんスけど……」
尾本が逃亡を企てているのを察したのか、広瀬が急にダイエットの話題に切り替える。
身の危険を感じた尾本は伝票を掴んで逃げようとするが、シャツの裾はしっかり女神に掴まれていた。
助けを求めるように女神の顔を見るが、にっこりと微笑むその顔には『この話題から逃げられると思ってるの? 思ってませんよね? 絶対に逃がしませんけど』と書かれているようだ。
尾本は絶望しながらソファに座りなおす。
「ダイエットとか言って昼食抜いたんスよ、このおっさん!」
「代わりに夕飯は食べたし」
「私も栄養や健康については勉強中の身ですが……
ダイエット方法としては、あまりよろしくない気がしますね。
ましてや、昼食を抜いた分だけ夕食で大量に食べたら意味がないのでは?」
優しい口調ながらも、鋭い視線が尾本を射抜く。
「OK。食事を抜くダイエットはもうやめる」
「それと、変なダイエット方法を色々調べてたんスよ!」
「あれは興味本位というか、遊びだ、遊び!」
女神は怪訝な顔をする。
「それって、どんな方法です?」
「えっと……唐揚げダイエット」
次の瞬間、女神のピコピコハンマーが尾本の側頭部にクリーンヒットする。
「尾本さん、バカなんですか?!」
「試しに調べただけですよ! 他意はないですって!」
「あとは、猫耳ダイエットとか」
女神は肩を震わせながら、口を抑えて笑いをこらえる。
そしてピコピコハンマーは止まらない。
「女神様、それ本当に痒くなるからやめて。これ以上、俺の血行をよくしないで」
「仕事はできる人なのに、なんでこんなに思考のバランスが悪いんスかね……」
「そりゃあ、悪うございましたね。
それと、女神様はいつまでウケてんの? 俺は木魚じゃないですよ?」
ピコピコハンマーの連続攻撃を受けながら、尾本はバツが悪そうに呟く。
「それで思ったんスけど、女神が食事管理をするなら、私が先輩に合ったダイエット方法を探してくるってのはどうです?」
その提案に女神はピコピコハンマーを投げ捨て、広瀬の手を取る。
「尾本さんのダイエットに協力してくださるんですか?!」
「先輩に何かあったら最終的に困るの私なんスよね~」
広瀬は意地悪っぽく笑った。
だが、その目には尾本を気遣う色も見える。
「あの……そろそろ広瀬の服を買いに行きませんかね?
広瀬も明日朝には美波島に出発しなきゃだし、女神様は明後日から中間テストだし」
広瀬と女神は一瞬キョトンと顔を見合わせたが、すぐに「行きましょうか!」と慌てて席を立つ。
「やれやれ。やっと説教から解放されたか――」
「あ、そうだ! めぐみちゃんも先輩に服を買ってもらったらどうっスかね?」
「え? いいんですか?」
女神がきょとんとした表情で尾本を見つめる。
「いや、女神様は魔法で服が出せるんじゃ……」
「そんじゃあ、行くっスよ! ここの支払いは私に任せるっス!」
広瀬は伝票を掴むと、女神の手を引いてそそくさとレジに向かう。
「えーっと」
取り残された尾本は、ひっそりと夏のボーナスにさよならを告げた。




