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第039話「返す言葉もございやせん」

 土曜日の朝。

 穏やかな初夏の朝日が差し込む尾本の部屋に、冷たい緊張感が漂っていた。


 パジャマ姿の尾本は体重計の上に立ち、固唾をのんで結果を待つ。

 その横では、女神フェルネスが食い入るように体重計のモニターを見つめていた。


「体重は81.7kg。一昨日より1.0kg増加。

 体脂肪率は30.3%。一昨日より0.3%増加です……」


「えーっと……なんで?」


「言い残す言葉は、それでいいですか?」


 女神は微笑みながら、黄色いハンマーを軽く持ち上げる。

 デフォルメされた女神の笑顔がプリントされた、かわいらしい見た目のハンマーだ。

 しかし、その周囲に漂う不穏なオーラにより、明らかに危険なものだと、本能が警鐘を鳴らす。


「まてまて、暴力はいけない。いったん、その手に持ったハンマー的なサムシングを下に置こうか。

 っていうか、どこから持ってきたのよ、そんなもの?」


「護身用ピコピコハンマーです。ボルグニルさんに作ってもらいました」


「製造神になんてものを作らせるんだ、おい」


「ちなみに、これで叩かれると微妙に血行が良くなるそうです」


「ボルグニルさんが泣いてるぞ、きっと」


「泣きたいのはこっちですよ。スタート時の81.6kgに戻るどころか、0.1kg増えてるじゃないですか!」


「すみません! 昨日は色々あって飲みましたあ!」


 尾本が両手を挙げて降参のポーズを取った瞬間、ハンマーが振り下ろされる。

 ピコッと、小気味よい音が尾本の部屋に響く。

 微妙に血行が良くなったようで、全身が少しむず痒い。


「一応、神罰を下す前に言い訳だけ聞きましょうか」


 女神は再びピコピコハンマーを構え直し、じりじりとにじりよる。


「今のは神罰には入らんのか……

 いや、実はしばらくひとりで仕事しなきゃいけなくなったんですよ。

 月曜からひとりで6人分働く事になっちゃって……」



 女神は驚いたように小さく目を見開き、軽くまばたきをする。



「そうなんですか? あのヒロセとかいう娘は?」


「実は弊社開発部の出向チームが他県の離島に行ってるんですよ。

 広瀬には日曜から2週間ほどそっちへ応援に行ってもらうことになりまして」


「う〜ん……

 他人様の仕事のことに異世界の女神がとやかく言うのもどうかと思うんですけど……

 客観的に見て、それって、おかしくないですか?」



 心配そうに首を傾げる女神の姿に、尾本は思わず肩をすくめる。

 第三者の素直な反応が、改めて会社の異常さを実感させる。



「おかしすぎてまったく笑えないですなあ」


「外注とか使わないんですか?」


「もちろん部分的に外注も利用しますよ。それに、広瀬が作ってくれた業務の自動化ツールもあるんで、それほど絶望的な状況ではないというか」


 尾本の話を聞いた女神は、「ふむ……」と頷いた。


「状況は理解しました。それでストレスから暴飲暴食したと?」


「そんな感じですかね。いや、でも聞いてくださいよ。ビールを一本だけしか買って帰らなかったし、おつまみも枝豆だけだったんですって」


「それでこんなに増えますかね……」


 女神の視線が鋭さを増す。


「……飲み終わったら次のビールを買いに走ってました」


 ピコッと軽快な音が部屋に響き、尾本の全身にじんわりとした温かさが広がった。


「ちょっと尾本さん!

 何やってくれてるんですか!」


「いや、代わりに運動もしたんです!

 深夜とはいえ、七月中旬の蒸し暑い中を片道15分かかる遠いコンビニまでわざわざ早足で歩いていったんですよ! しかも、追加のビールも一本しか買ってないし!

 その努力は認めて! 往復30分は早足で歩いてますよ!」


「それで?」


 女神の冷たい声に、尾本はごくりと唾を飲む。


「そしたら運動の後に飲むビールがまた格別でして……

 飲み終わってから、今度は徒歩5分のコンビニまで酎ハイを買いに行っちゃいました!

 ……ついでに唐揚げも買ってましたあ!」


 尾本の華麗なスライディング土下座に対し、女神のピコピコハンマー連打が始まる。


「ちょっと待って! やめてやめて!

 なんか叩かれるたびに微妙にむず痒くなるから!

 うぅ、痒い! でもどうしてか分からない! 何これ、何これ!」


 ぷくっと頬を膨らませた女神は、ピコピコハンマーを勢いよく振るい続けた。


「監視するなって尾本さんが言うからやめたのに!

 私、監視してたこともちゃんと謝ったのに!」


 本気で怒っているらしく、微妙に涙目にもなっている。


「そんな顔せんでください。さすがに良心が痛む」


 女神は最後の一撃を振るった後、気遣うような表情に変えて言う。


「ダイエットもなんですけど、アルコールをどうにかしましょうよ。

 毎回ストレスで深酒してたら、いつか体を壊しちゃいますよ?」


「うん。まあ、確かに……」


「それに、考えてもみてくださいよ。

 このタイミングで尾本さんが体調を崩したらどうなります?」


「うん。クライアントはもちろん、広瀬や仁科、開発部のみんなに迷惑がかかる。

 ましてや異世界のみなさんにとっては死活問題か……」


 尾本は両手で自分の頬をぴしゃりと叩き、気合を入れ直した。


「よし! 今度こそ、本当にスイッチが入った。

 ちなみに確認なんですけど……」


「アバター・シャルルの事ですか?」


テーブルの上にピコピコハンマーを置きながら、女神は静かに続ける。


「ペナルティの話は、もうしましたよね? もちろん今はスキルが何もないですよ。

 最初の乗馬スキルは80kgからなので、81.7kgになった今のままでは馬に跨ろうとした瞬間に振り落とされるでしょうね」


「まいったな。79kgからの剣術スキルを手に入れるどころの話じゃなくなった」


 尾本は頭をかきながら、小さくため息をつく。


「ウルファジムの時間はまだ1日も経ってないみたいですね。

 せめて、次の冒険までに元の体重まで戻しましょうよ」


「1kgか……2日あればなんとかなる、かな?」


 ぼんやりとつぶやく尾本に、女神は少し言いづらそうに視線を向けた。



「それと、このタイミングでお伝えするのも何なんですが……」


「え? 何? 悪い話?」


「ボルグニルさんに尾本さんのことを相談したんですよね」


 その前置きに、尾本は身構える。


「尾本さんには悪いんですけど、ボルグニルさんがアバター・シャルルに作っていいのは、マスケット銃とピストルだけってことになりました」


 淡々とした言葉が部屋に響く。


「……マジ?」


 理解が追いつかない尾本の反応をよそに、女神は続けた。


「どうせ剣術スキルを手に入れたら好き勝手に魔法の剣とか作ってもらうつもりだったんでしょ?

 蛇腹(じゃばら)剣とか、物干し竿みたいに長い刀とか、鉄板みたいな剣とか……」



 女神の体が、神々しい光に包まれる。ふわりと揺れる純白の衣。光の粒子が舞い上がり、幻想的な輝きが広がる。遠くで鐘の音が鳴り響いた。図星過ぎて、神格が上がったらしい。



「ぐはっ! 完全に読まれてた! 俺のガリア◯ソードが!」


 尾本は頭を抱えて大げさにのけぞる。


「せ、せめてあとひとつだけ銃器以外を頼ませて!

 防具ならいいでしょ? アバター・シャルルって何も防具とか身に着けてないし!」


 女神は肩を落とし、深い溜息をついた。


「この人ときたら……

 本当に、これで本当に今回が最後ですからね!

 自力でスキルや武器を手に入れてる勇者アヤトを少しは見習ってください。

 だいたいですね! アバター・シャルルにリソースを与えるたびに、神である私が弱体化してるんですからね!」


「返す言葉もございやせん」


 女神はじっと尾本を見つめた後、小さく息をつく。


「……それで今日はどうするんでしたっけ?」


「えっと……前にも相談したと思うんだけど、広瀬に会ってもらおうかと」


 女神はわずかに眉を寄せ、尾本を見上げる。


「会ってどうなるんです?」


「あれ? そういえば広瀬を女神様に会わせる理由って何だったっけ?」


「知りませんよ、そんなの……」


 女神は呆れたように肩をすくめる。


「それに、私は常に認識阻害の結界を張ってますからね。会うのはいいですけど、相手が私を認識できるかどうかわかりませんよ?」


「え? そうなの?!」


 尾本は思わず驚きの声を上げた。


「仕方ないので、『広瀬あかり』については認識許可権(パーミッション)を変更して、私を認識できるようにしますけど」


 女神は空中に軽く手をかざし、何かをタップするような仕草を見せる。


「でも、私のことは他の人間たちにペラペラ喋らないでくださいよ。神格に影響するかもしれませんし」


「うん。もちろん誰にも言わない。ついでに言えば、シャルルの事とか口が裂けても言えない」


「でしょうね」


 女神はわずかに腕を組み、じとっとした視線を向ける。


「そういうわけで、広瀬あかりに教えるのは『私の守護する世界が、尾本さんの体重のせいでピンチになって困ってます』ということだけにしておきましょうか。だからダイエットを頑張ってもらってます、と」


「それでいいよね。嘘じゃないし」


「それで、私はどこに行けばよいので?」


「うん。11時に駅前のショッピングモールの中央広場に集合ってことなんだけど、いい?」


 尾本が確認すると、女神は一瞬考え込むように指を顎に当てた。

 その表情が少しだけ和らいで見える。


「……なんだかデートみたい」


「3人だし、デートとは言わんのでは?

 俺としては娘たちの買い物についていく父親の気分ですよ」


 ウケ狙いのつもりで言ったのだが、女神がスンと表情をなくす。


「こんなだらしない腹回りのお父さんって……なんかヤだ」


「ダイエットの件なら、本当に反省してるんで勘弁してくださいよ」


 女神はふんっと、鼻を鳴らし不機嫌そうに玄関に向かった。


「……それじゃあ、ちょっと着替えてきますから15分後にマンション前に集合で。その後は一緒に集合場所まで行きましょうか」


「ん? 着替えなんて、この場で魔法を使えばいいんじゃ――」


 言い終える前に、ピコッと軽い音が玄関前に響いた。言うまでもなくピコピコハンマーだ。

 脳天の血行が微妙に良くなる。


「尾本さんは、そういうデリカシーのないところも直していきましょうか」


 怒るというより、呆れたように女神は言った。


「えっ! ど、どの辺がダメでした? いつもやってるじゃないですか!」


「私だってちゃんと考えて服を選んでいるんですからね。

 髪型とか、小物とか……細かいところまで」


 ふいっと顔を背け、唇を尖らせたまま、女神は自室へと戻っていった。


「う、うす……」


 尾本は閉じられた玄関ドアを見つめながら、大きなため息をついた。

 今日はとことん女神の機嫌を悪くさせる日なのかもしれない。


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