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第037話「おっさんってのは意外と頑丈なんだよ」

 美波島(みなみしま)、南の海に浮かぶ小さな離島。

 漁業と観光業が盛んなこの島の南端には美しいビーチが広がり、北部には山々が連なる自然豊かな環境が広がっている。


 ここに、尾本の務めるディープワイズ株式会社の出向開発チームの仮オフィスがあった。

 かつては殺風景な四角い箱といった感じのコンテナハウスだったのだが、プロジェクトマネージャー(PM)の仁科翔子(にしな・しょうこ)が独自にリノベーションを施し、今やカフェと見間違うほどオシャレな空間に変貌していた。


 仁科は、メガネを外すと目頭を押さえる。

 これからオンラインでの開発部リーダー会議が始まる。彼女はどうやって尾本に話を切り出すべきか悩んでいた。

 内容は「プログラマー(PG)の広瀬を一時的に借りたい」という無茶なお願いだ。

 到底、飲めない頼みであるのは百も承知だが、こちらはすでに手に負えない状況になりつつある。


 一緒に離島に出向しているPGのふたりが、そろって一時的に実家へ帰ってしまったのだ。

 しかも期間は2週間……


 ひとりは妹の結婚式。

 思わず「走れメロスみたいだな」と思ってしまった。

 これは仕方ない……代わりに竹馬(ちくば)の友、セリヌンティウスを置いていってほしかったが。


 もうひとりは実家で飼っているペットの看病のため。

 話を聞くと、17歳の老猫だとか。

 これも仕方ない……にゃんこは大事だ。世界はにゃんこ様を中心に回っているのだから。


 クライアントにはリモート作業も提案したのだが、この離島で行っているのが公共インフラや個人情報を扱うシステムの開発であり、先方が言う「なんか怖い」というセキュリティ上の不安で断られた。

 これも仕方ない……本番ではなく開発中の話だと言ってるのに、まるで聞く耳を持たないのはいかがなものかと思ったが。


 何にせよ、このままではプロジェクトの進行に深刻な影響が出る恐れがある。

 納期は迫っているし、ここにきてクライアントからの信頼を失うわけにはいかない。


 尾本と立てている〝E計画〟の実現にも関わるのだから……


 残された手段は、本社に残るプログラマーを一時的に貸してもらうこと。しかし、残っているのは広瀬あかりただひとり。

 本社チームは尾本と広瀬のふたりで6人分の保守作業をしているというのに。


 ――これでは、プロジェクトマネージャーとして無能だと証明しているようなものじゃないか。


 仁科は深いため息をつくと、メガネを掛けなおす。


 そして、その重い気持ちを振り払うように、オンライン会議システムにログインした。


 オンライン会議システムの画面に、尾本コウの顔が映る。黒髪は短めでラフに整えられており、いつもの眠たげな目は重力に負けて、若い頃よりさらにタレてきたように思える。


 以前に勤めていた会社からの腐れ縁という関係なのだが、画面の端に小さく映った自分の顔を確認し『お互いに老けたな』と改めて感じ、少し苦笑いしてしまった。


 尾本は相変わらずのお気楽な調子で、カメラ越しに軽く手を振る。


《よう、仁科! そっちはどうよ? 島の生活は楽しんでる?》


「狭い島だからね。観光はしつくしたんで、休日は部屋でクーラーをガンガンに効かせて鍋をつついてるよ。やっぱ、こういう所は魚が美味いわ」


《お? いいな~ なんか干物でも送ってくれよ》


「了解。じゃあ、代わりに日持ちしそうなコンビニスイーツでも送ってよね。こっちには大手コンビニがないからさ。最近はどんなのがあるのか気になるわ――さてさて、雑談はこれぐらいにして本題を切り出していい?」


《そっちの状況はだいたい把握してるよ。大変だったな。広瀬を貸してほしいってことでいいか?》


 仁科は一瞬、拍子抜けし、何度も瞬きしてしまった。


「あんたって人は……さすがと言うか、なんというか……話が早くて助かるけど」


 この男は普段はどこまでも鈍く、気の抜けたような雰囲気を漂わせている。

 そのくせ、変なところで勘がいいというか、こちらの意図を察して先回りすることがある。

 それが計算なのか天然なのかは、いまだによく分からない。


《そんな顔しなさんなって……》


 尾本は苦笑いしながら、肩をすくめる。


《実をいうと、こっちも弊社営業部のせいで仕様変更の嵐でさ。ちょっとお断りしたかったんだけど、なんとかなりそうなんだよな――

 えーっと、そっち誰も聞いてない?》


 仁科は、ちらりと周囲を見渡した後、画面に視線を戻す。


「うん。こっちは私ひとりしかいないから大丈夫。何? E計画の事?」


《いや、E計画の件じゃない。ちょっと待ってて――》


 尾本がカメラから離れる。


《おーい、広瀬~! 今ちょっといい?》


《えっ、なんスかー?》


 バタバタと足音が響き、数秒後、尾本が画面に戻ってくる。

 その隣には、薄いブルーのシャツに身を包んだ広瀬が立っていた。

 彼女のトレードマークといった感じの黒髪ショートボブがかわいらしい。


《お待たせ。広瀬を連れてきた》


《仁科さん、お久しぶりっス! やっほ~》


 画面の向こうの広瀬が無邪気に手を振る。

 その仕草は、仔猫のようで、とにかくかわいいのだが……

 仁科は額に手を当て、ため息をつく。


「尾本……あんた、〝リーダー会議〟の意味って知ってる?」


《とかなんとか言いながら、オンラインとはいえ広瀬の顔が見られて嬉しいくせに》


「まあね。広瀬は今日も可愛いね。会いたかったよ、お姫様」


 仁科はいたずらっぽく、それでいて色香を纏った笑みを浮かべた。


《……相変わらず、返答に困るっスね。そんで、ご用件は?》


 尾本がニヤリと笑いながら、広瀬に語りかける。


《広瀬が作った例の自動化ツールな。あれって俺でも使えるか?》


《え? そりゃ、もちろん。先輩に使えないわけがないっていうか》


《――という訳だ。こっちには自動化ツール『AIあかりちゃん』がいるからな。心配すんな》


 広瀬が困惑の表情で尾本と仁科を見比べる。


《すんません。話がぜんぜん見えないっス》


《広瀬に2週間ほど美波島の出向開発チームにヘルプに行ってもらいたいんだよ。

 あっちのスケジュール管理とかは仁科と役所が管理してるから、驚くほどホワイトだぞ。

 基本的に残業なしで週休2日制っていう……いうなれば普通のお仕事》


《えええええええええ!!》


 広瀬の驚きの声がスピーカー越しに響き、軽くハウリングした。


「すまん。2週間だけ広瀬をこっちのプロジェクトにアサインしたい。頼めないか?」


《そりゃあ上司の命令なら従うだけっスけど……》


 その言葉に、尾本が珍しく本気で嫌そうな顔をする。


《上司じゃなくて〝先輩〟な》


「むろん、嫌なら断ってもらってもいいんだが……」


 広瀬がいぶかしげに目を細める。


《ちなみに……断った場合はどうなるんスか?》


 すかさず尾本がにやりと笑う。


《そん時は、俺が2週間、あっちに行く》


《えええええ~! やだ~!

 そっちの方が絶対に地獄じゃないっスか~!

 2週間も6人分の業務を私ひとりでやれと?!》


 広瀬が尾本の身体をゆらしながら抗議の声を上げる。


《だから広瀬に行ってきてって言ってんじゃん》


《むぅ~ どっちも嫌ってのは?》


 仁科は申し訳なさそうにため息をついた。


「悪い。これはもう弊社だけの問題じゃなくてな。

 一応、私もできるだけの事はやったんだが……力及ばず申し訳ない。

 PMの私が開発を引き継いでやっているぐらいには危険水域にある――と言ったら、状況の深刻さは察してもらえるだろうか?」


 広瀬が頭を抱える。


《うぐぐ……いつ出発したらいいっスか?》


「早ければ早いほど助かる」


《せめて……せめて、明後日の日曜出発で! 明日は絶対に休みたいっス!》


「いや、むしろ早くて助かるよ。

 滞在中の寝泊まりに関しては、私のマンションを使うといい」


 こちらの素晴らしい提案に、尾本が冷たい視線を向ける。


《仁科、間違っても広瀬の寝込みを襲うなよ?》


「いや、普通に襲うが?」


 広瀬の視線も冷たく細められる。


《やっぱり断っていいっスか?》


「……我慢する。まったくもって不本意だが、引き際は理解しているつもりだ」


 ――それに部屋に連れ込んでしまえばこっちのもの。


《ちょっと先輩! 私、この人だけは信用できないっス!!》


《仕方ない。念のために熊よけスプレーを持っていけ》


「は? 私の広瀬への愛は、熊をも倒すが? 私を舐めてるのか?」


《なんで張り合うんだよ! この話は無かったことにすんぞ、おい》


「ジョークだよ。光明が見えて舞い上がっただけさ。じゃあ、そういうわけで!」


 仁科は満面の笑みで手を振ると、迷いなくオンライン会議システムのログアウトボタンをクリックした。


 * * *


 尾本が画面を見ながら呆れたように言う。


「あいつ、何かを察してログアウトしやがった」


 広瀬は深くため息をつき、画面の電源を落とす。


「私も身の危険を察したんで、この会社からログアウトしたいっス……」


「まあ、仁科のことはともかくさ。しばらくゆっくりしてくるといいさ。

 前に打ち合わせで美波島に行ったことがあるんだけど、いい所だったよ。

 だから、そんな浮かない顔すんなって」


「いや、離島に行くのはいいんですよ。そうじゃなくて……

 本部に残された先輩が、ひとりで6人分の業務をやるのって、どうなんだろうって話ですよ。

 少しでもトラブったら、地獄になるのは目に見えてるじゃないですか」


 ――口調から、素の広瀬が本気で心配しているのがわかる。


「気にすんな、気にすんな。たかが2週間のお留守番だ。もっと気楽にいこうぜ。

 それになにかあったとしてもさ。地獄を見るのは慣れてんだよ、俺」


「でも……」


 広瀬は口を開きかけたが言葉が出なかったのか、その口を閉ざす。


「大丈夫だって。おっさんってのは意外と頑丈なんだよ」


 尾本が笑って肩をすくめると、広瀬が顔を上げる。


「……服」


「ん?」


「島に行くから! 明日は服を買ってくださいっス!」


「へいへい」


「それとグラボ!」


「それは無理!」


「ケチ!」


 広瀬はべーっと舌を出し、そして微笑んだ。

 

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