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第032話「言葉が通じるなら、商売ができます」

 西アルヴァリス砦の指揮官室は、歴史の重みを感じさせる造りだった。壁には古びた戦旗がかかり、質素ながらも整然とした机や書類棚が並ぶ。窓からは、庭で訓練に励む兵士たちの掛け声がかすかに聞こえてくる。


 そんな静けさの中、部屋に響くのはひとりの男のひっきりなしの謝罪だった。


「この度はとんだご迷惑をおかけしまして――」


 カラドグラム商会の当主を名乗る小太りの青年、オウリィ・カラドグラムが深々と頭を下げる。その動作は大げさなほどで、少しでも誠意を伝えようとしているように見えた。


 部屋の隅で壁にもたれかかっていたシャルルは、指揮官室の机に座るライウスの顔をちらりと確認する。ライウスは腕を組んでおり、その表情からは呆れが見て取れた。


「それで……なんで戦場なんかにいたんだ?」


 ライウスの問いにオウリィは即座に顔を上げ、まるで待ってましたと言わんばかりに口を開いた。


「言葉を話せる魔物の噂を聞きまして。それを確認するために戦場に出向いた次第です」


「無茶なことを……」


 ライウスが大きなため息をつくと、オウリィはわざとらしく肩をすくめる。


「しかしながら、もし言葉が通じるのでしたら、対話による共存の道も探れるのではないかと。人類存亡のため、この身を捧げる覚悟での行動でした」


 殊勝な表情を浮かべるオウリィだったが、シャルルの目にはどこか芝居がかった演技にしか見えない。

 ライウスの隣に立つリーナも、わずかに眉をひそめている。


「本当のところはどうなんです?」


 リーナの静かな問いかけに、オウリィは一瞬沈黙した。その間を計算していたかのように、次に口を開くと、先ほどとは打って変わった調子で言う。


「言葉が通じるなら、商売ができます」


 シャルルはその瞬間、オウリィの細い目がさらに細まるのを見た。


 ――何かが引っかかる。


 システムエンジニアとして、顧客や競合他社と数多くの交渉をしてきた経験が、違和感を覚えさせた。

 交渉の場では、可能性を示唆する言い回しや慎重な逃げ道を用意するのが普通だ。だが、今のオウリィの言葉には、それがなかった。その発言は、商人としてはあまりに直線的すぎる。

 うがった見方かもしれないが「まるで台本を読んでいるよう」であり、彼の本心とは違うセリフのようにも聞こえた。


「正直だなー」


 シャルルは肩をすくめる。もちろん、皮肉のつもりだ。

 その皮肉をかわすように、オウリィは微笑を浮かべた。


「何しろ小さな商会です。正直で誠実な商いでお客様に信頼されることを目指しております」


「まったく、商人ってのは逞しいもんだな」


 ライウスが呆れたように言うと、オウリィはにこりと笑い、深々と一礼した。


「商売とは、生きることそのものですので」


「頭が痛くなってきた……ここから先は任せていいか、副隊長?」


 ライウスが重々しくため息をつくと、リーナが即座に却下する。


「ダメですよ。こういうことにも慣れていただかないと」


 ライウスは諦めたように天を仰いだ。


「むろん、商売を通じて共存を探りたいというのも本心です」


 オウリィがまじめな口調で言うと、ライウスは目を細める。


「悪く言うつもりはないが、戦争が商人にとっての特需になるからか?」


「まさか。戦争特需などしょせんは一過性であることは歴史が証明しています。長期的に見れば平和な時こそ経済は安定しており、私どもとしては望ましいですね」


 ライウスは『そうなの?』という視線をリーナに向けた。リーナは静かに頷く。


「それで、魔物と楽しい茶会はできたんですか?」


 シャルルが少し皮肉を込めて尋ねると、オウリィは苦笑を浮かべる。


「まったくダメでしたね。言葉以前の問題でした。動物の方がまだ話が通じそうだ、というのが私の正直な感想です」


「アヤト殿が言っていたが、魔物の指揮官クラスじゃないと会話は無理なんだろうなあ」


「勇者様は会話ができる魔物と遭遇しているのですか?」


 オウリィが興味深そうに尋ねると、ライウスが少し考えてから答えた。


「アヤト殿からはそう聞いてますがね。踊り子のような敵もいたとか。

 シャルル殿はどうです?」


「俺が倒したでっかい黒ニャンコがなんか喋っていた気がするけど、会話はしてないですねー」


 シャルルが答えると、オウリィが不思議そうな顔をする。


「ひょっとして、そちらの美しいお嬢様も勇者様なのですか?

 言われてみれば見慣れない異国の服装をしてらっしゃる」


「シャルルです。男です。オッサンです。ITです。社畜です」


「んん? 男性? どう見ても女性……あいてぃー? しゃちく?」


 オウリィが困惑する中、リーナが淡々と話を進める。


「シャルル様のことはお気になさらず。それでオウリィ氏はこの後どうされるおつもりで?」


「いったん南方に進んで水上都市ネレイアに行って船を借り、拠点であるカルマラ自由都市まで戻ろうかと思っております。出発準備に一日はかかりますので、その間こちらの砦への滞在許可をいただきたいのですが……」


「それは構わんですがね。民間人の保護も我々の仕事ですし」


 ライウスが言いながらリーナに目で合図を送る。


「オウリィ氏の商隊は本人含めて全員で10名でしたね? 宿泊所にご案内しますので、どうぞこちらへ」


 リーナが先導し、オウリィが彼女の後に続く。


 彼らが退出した後、指揮官室には静けさが戻った。


「魔物との共存か。シャルル殿はどう思われます?」


「(余分な脂肪と共存なんて)断固反対です!」


 シャルルの突然の熱意に、ライウスは驚きつつもまじめに受け止める。


「並々ならぬ気迫……よほどの事情があるのですな」


「事情は言えないんですが、憎悪に近いものがあります。何もしてないのに勝手に増えやがって!

 ……いや、何もしてないから増えるのか? どちらにせよ、絶対に……絶対に許さん!」


 シャルルが拳を握りしめると、ライウスは苦笑しながら話を変えた。


「まあ、この話題はこれぐらいにしておいて……シャルル殿はこの後はどうされるんですか?」


「とくに予定はないですね。魔物が現れたら倒しに行くぐらい?」


「乗馬の練習をされるのでしたら馬を貸しますし、剣技の訓練でしたら自分が相手をしますよ」


「それが……俺の場合は痩せないと何を意味がないらしいんですよね」


「痩せる?」


「こっちの話なのでお気になさらず。いったん自分の世界に戻ろうかと思います。ちょっと教会をお借りしますね」


 シャルルは窓の外に視線を向ける。

 朝の光が砦の石壁を白く染め、訓練場からの兵士たちの掛け声が風に乗ってかすかに届いた。

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