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第030話「都合のいい時間の流れねえ……」

 シャルルは西アルヴァリス砦に向けて、ゆっくりと馬を進めていた。

 背後には、ボンボンから女神形態に戻ったフェルネスが、シャルルの後ろに腰掛けて細い腰に手を回している。

 女神様曰く「あの姿は窮屈」なのだそうだ。


「油断大敵ですね、シャルルさん」


 女神は少し呆れ気味に目を細めて言う。

 トカゲ兵には勝てたものの、あれがほとんど偶然であったことは言うまでもなかった。


「正直、敵を舐めてましたわ。マジでビビったかも。

 まさか、あっちに戻ったら中の人が……お漏らしてるとかいうオチはないですよね?」


 笑いながら言ったが、冗談の裏には若干の不安が見え隠れしている。

 それを聞いた女神が息を呑み、口を抑えた。


「え? 秘密にしてたのに、なんで知ってるんですか?!」


「はああああっ?!」


「なーんて、冗談です。女神ジョークです!」


 女神が無邪気な笑顔を見せる。


「……女神様、そういう冗談も言えるようになったんですね」


 シャルルは大げさに肩を落とし、額に手を当てた。



 いったい誰の影響を受けたのか……俺か?



「冗談はさておき、シャルルさんにもしものことがあった場合の話をしておきますね。

 尾本さんは死にませんから、ご安心を。今まで危機感持ってもらおうと思って黙ってましたが」


「やっぱりね。そんな気はしてたんですよ。戦闘時の女神様のノリが軽いし」


「とはいえ、やられた時は死ぬほど痛いでしょうけどね」


 女神はにっこりと微笑みながら、さらっと恐ろしいことを口にした。


「痛いのは勘弁してほしいなあ……」


「その時は、お漏らしぐらいは覚悟しておいたほうがいいかもしれません」


「マジか……それ、ある意味で死だわ」


「それと……その……もしもの時ですけど……」


 女神は言葉を詰まらせ、浮かない表情で視線を落とす。


 シャルルは少し警戒しつつ背後の女神を見た。



 まさか、ほかに重大なペナルティが――?



「……お洗濯、手伝いますね?」


 女神は気遣うような、ぎこちない笑みを浮かべた。


「そんなことになったら、そっとしておいてくれ!!」


 特大のペナルティの存在に、シャルルは悲鳴のような大声を上げた。




 * * *




 砦に戻ったシャルルは、そのまま指揮官室へ向かう。

 扉を開けると、ライウスとリーナが安堵した表情で迎え入れてくれた。

 手短にトカゲ兵の情報を伝えると、ライウスは神妙な顔で頷き、リーナは腕を組んで何事か考え込んだ。


「その情報は、アヤト殿にも伝えておいた方がよさそうですね」


「そこはご心配なく。ここに戻る途中に、念話で話を済ませてますから」


 そう言って、シャルルは髪をかき上げ、イヤリングを示す。


「それとアヤトくんからの伝言です。まもなく南の砦に到着するそうですよ」


 ライウスは窓の外を見やる。

 夕日に染まった物見櫓の影が、砦の壁に長く伸びていた。


「さすがアヤト殿ですね。日没までに到着できましたか」


 シャルルも窓の外を眺める。薄れゆく光景に目を細めながら、懐中時計を取り出して時間を確認した。


 秒針は相変わらず不規則に動いていたが、それを見て、わずかに安堵する。

 まだ元の世界では、寝てからわずか一時間しか経っていない。


「こちらの世界で寝たら、もっと休めるのかな?」


 こちらで新しい一日が始まれば、それはそれで疲れるかもしれない。


 だが少なくとも、現実世界の仕事のことを考えなくていい分、精神的には楽になるかもしれない――



 ……はて?




 * * *




 自分にあてがわれた部屋に入ったシャルルは、ベッドに腰掛けて深いため息をついた。

 そして、誰もいないことを確認し、帽子の上のボンボンに声を掛ける。


「フェルさんや。ちょっと気になったことがあるんで聞いていいかな?」


「なんです?」


 シャルルの帽子からパタパタと羽ばたいたボンボンが椅子の上に舞い降り、ぽんっと弾けて女神の姿へと変わった。


 どうでもいいが、椅子に腰掛けて欠伸をするさまは神々しさの欠片(かけら)もない。


「こっちの世界と元の世界の時間の流れが違うみたいだけど、これって心身にどう影響するんだろう?

 ずっと活動することになるから疲れるような気もするけど、こっちの世界でゆっくり休むこともできそうだし……」


 女神はしばらく黙り込んだ後、考えながら語り出す。


「たしかに尾本さんの脳は長時間活動していることになりますよね。

 それに異世界と元世界を行き来することが原因で、時差ボケ的な感じになる可能性も……

 無きにしもあらず?」


 不思議そうに首を傾げる。


「なにそれ怖い。そんなふわっとした感じなの?」



 不意にシャルルはアヤトとの会話を思い出す。


 アヤトがこちらの世界に来るようになって一年ほど経つと言っていたが、あれは若さでなんとかやり過ごしているのではないだろうか。


 何にせよ、この異常な時間の流れが自分の精神にどう影響を与えるのか、少し不安になった。



「時間の流れにズレがある理由は?」


「ごめんなさい。私にも分からないんです。私にも干渉できない領域の(ことわり)なんですよね」


 フェルネスは申し訳なさそうに答えた。


「ひょっとして世界がOSみたいなもんなら、神はシステム・アプリケーションみたいな感じ?

 そして、世界の理がBIOSみたいなもんで、なんでもかんでも情報を得られないみたいな」


「その理解でいいと思います。

 ……ところで、私はその例えで理解できますけど、ウルファジムの住人にその話をしないでくださいね。困らせるだけなんで」


「言いませんよ、そんな話。自分の理解を深めるための独り言ですって」


「それで、ウルファジムとそちらの時間の関係について、私が気がついたことを話しておきますね。

 不規則ながらも基本的には召喚された勇者にとって有利に時間が流れているっぽいです。

 たとえば、勇者アヤトがこっちにいる時に限って、召喚元の世界の時間の流れが遅くなるんですよね」


「都合のいい時間の流れねえ……

 そういえば、そもそも俺の体重と魔物の数に因果関係があるのも謎だよな」


「いまさらなんですけど、尾本さんに心当たりとかないんですか?」


「え? まったくないですよ、そんなの」


 シャルルはベッドに背中から倒れ込み、天井を仰ぐ。


 異世界との時間のズレ、自分の体重と魔物の因果関係……

 女神も知らない世界の謎なんて、一介の社畜ごときが解明するには荷が重すぎる。


「ダメだー! いくら考えても、答えが出ない」


 そうつぶやいた瞬間、ふと広瀬の言葉が脳裏に浮かぶ。


〝答えが出ないことなら考えない〟


 その言葉に、少しだけ憂鬱が和らいだ気がした。


「少し、考えるのをやめよう……」


 シャルルはつぶやくと、静かに目を閉じた。


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