第020話「答えが出ないことなら考えない」
昼休み。
ディープワイズ株式会社の開発室は、普段と変わらぬ静けさに包まれていた。
十畳ほどの空間には所狭しとデスクが並び、背後ではサーバーやルーターが低く唸りを上げながら稼働している。そんな中、尾本コウは深く椅子に腰掛け、スマホをいじっていた。
「お手軽……楽々……ダイエット……」
検索結果をスクロールしながら、何気なく視線を上げると――
不思議そうに尾本を覗き込んでいる広瀬あかりと目が合った。
「先輩、なんで会社でエッチなサイト見てるんスか? しかも仕事中に」
「人聞きの悪いことを言うな! ダイエット方法を調べてたの!」
尾本は反射的にスマホを伏せる。
「それに、今は仕事中じゃなくて昼休み! すでに15分オーバーだ。ちゃんと休め」
「言われなくても、これから休みますよ。やっとバグが取れたっス」
広瀬は「ん~!」と大きく背を伸ばした。
12時になった時点で「お昼だぞー 飯くえー」と声をかけたのだが、集中モードに入った広瀬の耳には届かない。それで、本人が気が済むまでそっとしておいたのだった。
「それにしても、またダイエットの話題っスか? ムダな抵抗っスね~」
広瀬がやれやれと肩をすくめる。
「お前も油断してたら、いつか俺みたいになるからな」
「え? 先輩みたいになるのは絶対に嫌っス。深く傷ついたっス。謝ってくださいっス」
「今の広瀬の言葉で深く傷ついた俺がいるんだが?
ったく……ただでさえ色々と悩んでいるってのに」
「なるほど。そんな悩める尾本先輩に、私が考えた『魔法の言葉』を授けるっス」
「ほーう。どんなのよ?」
期待しているわけではないが、つい聞き返してしまう。
「〝答えが出ないことなら考えない!〟これ!」
「なんだそりゃ。じつに広瀬らしい言葉だな」
思わず笑ってしまったが、広瀬は「違うんだなあ」と肩をすくめる。
「私も先輩も典型的な技術屋気質だからか、問題に対して粘着質なところがあるじゃないっスか?」
「粘着質とは言い方が酷えな。普通に『考え込む性格』って言えよ。まあ、考え込んだ結果、ドツボにはまることは多いからな。その発想は否定はしねえけど……なんか問題を先送りにしてないか?」
「問題を先送りにしていいじゃないっスか。棚上げするわけじゃないんだから。それに、時間が経てば自然と答えが見つかることもあるんじゃないかなって」
「なるほどね。まあ考えすぎるとろくなことがないのも事実だよなあ」
――答えが出ないことなら考えない、か。
尾本は、ふと昔のことを思い出す。
以前に勤めていた会社で過労で倒れ、そのまま入院してしまった上司、牧村涼一。
忙しさに追われ、何度も体調を崩しながら、それでも「考えろ」と自分自身に言い聞かせ続けた男。
救急車に運ばれる直前、彼は意識が薄れながらも「考えろ。まだ何か手はあるはず」と呟いていた――
あの光景が、尾本のトラウマとなって忘れられない。
もし、あの時に「もう考えなくていい」と牧村に言えたなら、その結果は変わっていたのだろうか。
「――そんで何かいいダイエット方法は見つかったんスか?」
気づけば、広瀬がじっとこちらを見ていた。
「ん? それは見つからなかったんだけどさ――」
尾本はスマホを見下ろす。検索結果にはダイエット記事がずらり。
「世の中って色んなダイエットがあるよな。適当な単語つなげて検索しても、だいたい出てくるんだよ。それが逆に面白くなっちまった」
「へ~」
広瀬は興味深げに相槌を打ちながら、ぐいっと椅子ごと尾本を横に押しのける。
そして、素早く尾本のスマホを奪い取り、ブラウザの検索履歴をスクロールし始めた。
「おい。やめろ。やめろ。やめろ」
「なになに……『サバゲー+ダイエット』
――何っスかこれ? 笑える」
広瀬の指が、次々と検索履歴をたどっていく。
「そんでこっちは……『唐揚げ+ダイエット』
――欲望ダダ漏れっスね」
「うるせえ」
「ん? なんスか? この『猫耳+ダイエット』って?」
広瀬がピタリと動きを止め、じっと尾本を見つめる。
「いや、試しに入力してみただけだって! 深い意味なんかねえよ!」
「ふ~ん……」
広瀬はスマホをじっと見つめた後、わざとらしく怯えた顔をしてみせた。
「まさか、この猫耳ダイエットってのをやるんスか?
うわ。キモ……」
「広瀬に言われると本当に傷つくから、やーめーてー」
「ん? ふーん。へー? そうなんだー?」
広瀬はスマホを尾本の手に押し戻しながら、いたずらっぽく微笑む。
「私に言われると傷つく? ほー?
なんで私に言われたら傷つくんスか?
ねえ? なんで? なんで? どうして? どうして?」
笑顔でじわじわ詰め寄る広瀬。ネズミを追い詰める猫みたいで怖い。さすが本家〈猫耳広瀬〉だ。
「と、とりあえずだな! 色々と調べてみて分かった。ダイエットの種類がこれだけ多いってことは、それだけダイエットってのは失敗の歴史なんだ」
「だから諦めるんスね? じゃあ、今夜も居酒屋に行くっスか?
例の人喰い居酒屋『桃色トカゲ』でいいっスよね? 今日は私が奢るっスよ」
「結論がはやーい! いや、そうじゃなくてさ!
結局は、人それぞれで『自分に合う方法を探すしかないんじゃないか?』って結論に至った」
「もっともらしく当然のことを力説する先輩……滑稽すぎて超カッコいいっス!」
「最近、俺のディスり方に磨きがかかってんな」
「とりあえずアレだよ。要は摂取カロリーより、消費カロリーが上回ればいいんだろ?
運動する時間がないから、摂取カロリーを抑えるダイエットしかないわけだ」
「でも、居酒屋に行く時間とネットで動画を見る時間はあるから不思議っスよね」
しばしの沈黙の後――
「不思議だねー」
ふたりは同時に、首を傾げた。
「そんでな。俺なりに自分に合うのを考えたんだが……『断食ダイエット』なんてどうだろう」
「それって、どうやるんスか?」
「昼飯を食ってから、16時間の断食だってさ。大雑把に言えば朝と昼は食べるけど『夜は食べない』っていう食事のリズムにする……らしい」
「うわあ……私なら絶対に無理っスね、それ」
「俺も無理だわ。昼はともかく、夕食を抜くのは絶対に無理」
「じゃあ、どうするんスか?」
「なので、昼を抜いてみようかと」
「はあん?」
広瀬が呆気にとられたような、それでいて不機嫌そうな顔になる。
「お昼は食べないつもりなんスか?」
「白湯ぐらいは飲むよ。体の水分量……体水分率も女神様に監視されてるからな。意識して水分は取らないと」
「ふーん……」
広瀬は自分の机の引き出し、『広瀬ボックス』を開けて、中をゴソゴソと漁る。
中からスナック菓子の袋や、いくつかのカップ麺が覗いている。昨日はほぼ空だったが、いつの間にか補充されたらしい。
「そんじゃあ、私は先輩の隣でカレーヌードルでも食べるっス」
にっこりと微笑む広瀬。しかし、その笑顔には明らかに悪意が滲んでいる。
「おまえは鬼か! もうちょっと、こう……匂いが抑えめのヤツにしてくれたりとか」
「私が先輩の隣でカレーヌードル食べたい気分なんスよ」
広瀬は〝私が〟を強調して言うと、カレーヌードルのフタを開ける。
お湯を注ぐと、せまい開発室にスパイシーな香りが漂い始めた。
「お、おう……」
呆然としていると、広瀬はさりげなく尾本のマグカップにもお湯を注ぎ、そっと机に置く。
その口元は不満げに小さく尖っていた。
「なーんか気に入らないんスよね。だいたい、お昼ご飯を一緒に食べるのがいいのに……」
広瀬がぼそっと呟いた、その瞬間――
開発室の内線電話のベルが響き渡る。
電話機のディスプレイには『内線:営業部』と表示されていた。
「なんで弊社の営業部は昼休みばかり狙って電話してくるんだよ」
尾本は大きくため息をつくと、渋々と受話器を掴んだ。




