第017話「むしろ、砕きにいくスタイル!」
尾本が早起きしたのは、女神様への差し入れ――いや、お供え物を持っていくため。
それにしても、異世界での冒険の後なのにスッキリ起きられたのは意外だった。
昨夜は二十二時に布団に入ったのが原因だろうか?
まあ、いつもだったら深夜1時過ぎまで酒を飲みつつ、Y◯uTubeで猫ちゃん動画で癒やされた後に、社畜あるある動画を見て寝落ちという生活だったし……当然か。
ムダな抵抗かもしれないが、パジャマを脱ぎ、Tシャツとトランクス一丁になり、お腹を凹ませてから体重計に乗った。自然と胸が高鳴る。
結果は――80.7キロ、体脂肪率30.0%。
「よしっ! 昨日より0.9キロ減! 魔物を9000匹も成敗したぞっ!」
尾本は小さくガッツポーズを決めると、窓を開ける。そして、朝日に向かい、トランクス一丁で勝利のラジオ体操第1を舞った。
* * *
朝の空気がまだ涼しさを残す中、尾本は通勤路を歩いていた。
今日は一駅手前で降り、こうして歩いている――のだが、体がとにかく重い。
考えるまでもない。猫耳少女のときの、やたら軽くて細い体と、おっさんの太くて重い体とのギャップのせいだ。それがこうも大きいと、気の重さにも潰されてしまいそうになる。おのれ、重力め。
「それにしても……」
思わず尾本は尻をさすった。女神に尻尾を掴まれたり踏まれたりしたせいか、尻尾の付け根あたりがまだジンジンする……もっとも、どう擦っても尻尾などないのだが。
「あれ?」
さすったスーツのお尻ポケットに、異物を見つける。取り出してみると、それは猫耳少女シャルルが腰に付けていた、銀色の懐中時計だった。
不規則に早く動く秒針が、異世界ウルファジムの時間の流れの速さを思わせる。
「分かっちゃいるけど、やっぱり夢じゃないんだよなー
っていうか、勝手に人のポケットに物を入れんでくださいよ、女神様」
いたずらっぽく笑う女神フェルネスの顔を想像しながら、尾本は懐中時計を胸ポケットに仕舞った。
「おはよっス、先輩? どうしたんスか?」
突然かけられた声に、尾本は飛び上がりそうになる。
反射的に振り向くと、そこには広瀬あかりが立っていた。
さらさらとした黒髪のボブヘアが朝の日差しを受けて揺れる。年齢以上にあどけなさが残る顔立ちだが、きっちりしたスーツ姿が社会人らしい落ち着きを添えていた。
シャツは薄いグリーン。派手さを抑えた無難なオフィスカラーで、できる後輩感が漂う。実際、IT関係のスキルでは彼女に敵わないのだが。
「シャルッ――! お、おう! おはよう、広瀬!」
「しゃる? なんスか、それ? どっかで流行ってるんスか?
今朝、うちの弟も言ってたんスけど?」
広瀬は怪訝そうに首を傾げる。
「ど、どうだろうな〜? 流行ってたかもしれんな~?」
尾本はわざとらしく笑いながら、適当に誤魔化す。
「あのですねぇ……
おじさんが無理して若者言葉使うと、痛々しいっスよ?」
「だまらっしゃい!」
「今日は愛妻弁当ないんスか?」
「女神弁当な。今日は無しだ」
「弁当なし……はは~ん、さては相手を怒らせちゃいましたね~?」
ニヤニヤと笑う広瀬に、尾本は即座に否定する。
「怒らせてねえし! いや、少し怒らせたけど……そうじゃないって!
今朝は大学の課題を終わらせるだけで精一杯だったらしくてさ」
今朝、女神の自室にお供え物の S◯YJ◯Y ストロベリー味 と リプ◯ンのミルクティー を持っていった時のことを思い出す。
一応、課題レポートは書き終えたらしいが、どんより青ざめた顔は、女神というより死神のようだった。
なお、女神様曰く――
「今どき手書きのレポート提出を求めるとか、あの文化人類学の教授ときたら(**女神フェルネスの神格が落ちないように中略**)ですよ!!」
――とのことだった。
この話を聞いた広瀬が、わかりやすく顔を引きつらせる。
「大学生? 先輩、ロリコンだったんスか?!」
バッと距離を取る広瀬に、尾本は慌てて手を振る。
「いやいやいや! 違うし! そもそも向こうから押しかけてきたんだって!」
「どこで拾ってきたんスか! 元の場所に返してきなさい!」
広瀬はジリジリと後ずさりながら、人差し指を突きつける。
「いや、説明したじゃん! 玄関にいたんだって!」
「それで自分の部屋に連れ込んじゃったんスか?! この犯罪者!」
「同居してるわけじゃねえよ! 俺の部屋の上の階に住んでんだって!
つか『痩せないと世界がピンチ』って脅されてるだけだから!
『脅す人』と『脅されてる人』っていう、それだけの関係だから!」
必死に弁解する尾本とは対照的に、広瀬の目がどんどん疑いの色を深めていく。
「うわ~ なんだろ、これ~?
仁科さんに報告した方がいいんスかね~?」
仁科翔子──尾本と同じく37歳。尾本の同僚で、プロジェクトマネージャー(PM)兼リーダーを務めている。あらゆる事をそつなくこなす秀才で、プロジェクトの最前線から管理業務まで幅広く対応できる……要するに器用貧乏。すらりと伸びた手足、涼やかな切れ長の目元、整った顔立ちにはクールな美しさがある。
表情をあまり崩さず、理路整然と話す姿は、どこか近寄りがたい雰囲気すら漂わせていた。
それと、《《悪い意味で》》キャラが濃ゆい。
「仁科に言っても無駄だって。女神様が現れたなんて話、広瀬以外の誰が信じるかよ」
「え? 私も信じてないっスけど?」
広瀬がしれっと答える。
「え? マジ?」
「マジっス」
「ごめん。これまでの俺の話、どういう理解?」
「聞きたいんスか?」
「それ聞いたら俺のガラスのハートって砕ける?
十年前のスマホの画面より脆い自信があるんだけど」
「むしろ、砕きにいくスタイル!」
シュッ! シュッ! ――と広瀬が無表情でシャドーボクシングする。
「物理かよ! あ、わかった。そんじゃあ、今度、女神様に会わせてやるよ。
そしたら広瀬だって信じるだろ?」
「はあん?」
尾本の提案に広瀬は大きく目を見開く。そしてその反応に困惑する尾本の顔をしばし眺めた後、目を細めてニヤリといたずらっぽく笑った。広瀬のその顔を見た瞬間、尾本の脳裏に浮かんだのは、獲物を狙う猫。
まさに本家本元の猫耳族。
「いいですね。会いましょうか。土曜日なら学生さんは休みですよね?」
いつものおどけたような口調を止めた広瀬に、尾本は言いようのない寒気を感じた。




