第014話「俺の体重が……すまん(前編)」
馬を操るアヤトは、なんとも言えない居心地の悪さを感じていた。
鞍の前方に座るのは、猫耳族の銃士シャルル。馬の揺れに合わせて体がぶつかるたび、お互いに苦笑した。ふわりと舞うシャルルの髪から甘く清らかな香りが漂い、次の瞬間には蹄の音とともに夜風に乗って消えていく。
一見、絵になる光景かもしれないが……馬も含めて、ここにいるのは全員が〝男〟だ。
――なんでこの人、いい匂いがするんだよ!
勇者アヤトこと〈広瀬綾人〉、17歳、高校2年生。理想とする大人の男である〈勇者アヤト〉を演じることでアイデンティティを保とうとするぐらいには思春期ど真ん中で、異性を意識してしまうのは仕方ない。
それでいて、シャルルは素直に異性だとは言い難く……その姿はどう見ても、猫耳コスプレした10代の頃の実姉の姿であり、本人曰く「男」で「おっさん」らしい。
異世界で幾多の試練を乗り越えてきたが、これほど精神にダメージを受けるシチュエーションははじめてだった。正直に言えば、敵の精神攻撃の可能性も疑っている。
* * *
シャルルは、なんとも言えない居心地の悪さと戦いながら、勇者アヤトの胸に背中を預けている自分の状況を客観的に見つめる。この世界では猫耳美少女ではあるが、その正体は〈尾本コウ〉37歳。ベンチャー系ブラックIT企業の最悪な労働環境の底辺でもがく、中年システムエンジニアだ。
――なんで俺が前なんだよ! 近いって!
気まずい。とにかく気まずい。めっちゃ気まずい。早く、おうちに帰りたい。
砦の物見櫓が見えてきた瞬間、シャルルとアヤトは同時に安堵のため息を漏らした。
「もうすぐ国境のある【西アルヴァリス砦】です。物見櫓の上に戦闘中を示す赤い信号旗が出たままですね。国境警備隊が残った魔王軍と交戦中なんだと思います」
闇に目が慣れたせいか、それともネコ耳銃士としての特性が活きているのか、目を凝らさずともシャルルには1km先の景色がはっきりと視認できた。
大小さまざまな白亜の岩が無造作に並ぶ平原の向こうに、城壁のようなものが見える。その高さは約5m、左右に伸びる距離はおよそ1kmほどか。その両端は岩山へと繋がり、国境線そのものが要塞としての機能を持っているかのようだった。
「それにしても、敵である魔物の亡骸がひとつも転がってないね」
シャルルは周囲を見回す。燃え落ちた柵、地面に突き刺さった槍、折れた矢――戦闘の痕跡は確かにあるのだが。
「とどめを刺すと同時に、青白い炎になって消えるんですよ。女神様の話によると、消えたらどこかで復活するらしいですけどね。忌々しい連中です」
「そういうことだったんだ。そのまま消えちまえばいいのに、忌々しい脂肪だな」
「脂肪?」
「あ、いや。こっちの話。……ところで復活した魔物が再編成して襲ってくるまで、どれぐらい時間かかるんだろう?」
「今回のような二千の軍隊なら、だいたい1週間ぐらいでしょうかね。倒されても瞬時に復活するらしいんですけど、装備を揃えたり編成したりと手間がかかっているようですね」
「二千匹……1週間で(俺の脂肪20グラムが)攻めてくるのか」
「さらに言えば、僕らにとっては、明日の出来事になるかもしれません……」
「どういうこと?」
「シャルルさんも、懐中時計を持っていますよね?」
そう言いながら、アヤトは首から提げた懐中時計を取り出して見せた。
「ん? あ、これか。持ってることにも気が付かなかった」
シャルルは腰に手を伸ばし、自分の懐中時計を確認する。
「それ、召喚者のいた世界の時間を示しているらしいです。
よく見てください。秒針が不規則に動いて、ゆっくりでしょう?」
見ると、秒針がじわじわと動き、1秒を刻むと同時に震えながら止まる。
「ホントだ。しかも、俺が寝てから30分もたってない?」
「僕らの世界と、こちらの世界では時間の流れが一緒じゃないんですよ。
早かったり遅かったりと、まちまちですね」
「俺、元の世界で仕事があるんだけど……大丈夫かな?」
会社に遅刻したら広瀬に顔向けできない。最悪のシナリオが頭をよぎり、冷や汗が流れた。
「同感です。だから、その懐中時計はこまめに確認した方がいいですね。
それと元の世界で1日過ごしている間に、異世界では1週間が経過していることもあります」
「すると、勇者の体感的には昨日倒した敵軍と、翌日も戦うこともあるわけだ」
「そういうことです。敵の指揮官クラス以外はそこまで強くないのが救いですけどね。
それでも数で押してくるんで、毎回苦戦していますが」
シャルルは、神妙な顔で頭を下げた。
「俺の体重が……すまん」
「はい? ああ、この馬なら大丈夫です。重量級の警備隊長の愛馬ですから。
シャルルさんぐらいの軽さなら、乗られていることすら気づいてませんよ」
そうだと言わんばかりに、馬が嘶く。
「なるほどね」
気遣いも上手だが、落ち着いた口調。手綱さばきからも、乗馬の訓練の成果がにじみ出ている。本当に選ばれし勇者なんだな、とシャルル……尾本はあらためて感心した。
「まもなく国境の〈西アルヴァリス砦〉に到着します」
アヤトが馬をたくみに操りながら告げる。
白亜の城壁は松明の炎に照らされ、いくつもの異形の影が激しくうごめいていた。
「それでは――行きます!」
魔物を確認したアヤトは掛け声とともに体重を後方に移し、馬に停止の合図を送る。
徐々に減速する馬から、シャルルは滑るように飛び降りた。
「やっと、男同士の気持ち悪いタンデムから解放されたぜ。
このストレスはおまえらにぶつけてやるからな。悪玉コレステロール野郎!」
マントの奥から新たなマスケット銃を取り出し、シャルルは低い姿勢で走り出した。




