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第008話「新しい勇者が降りてくる(前編)」

 荒野に響く金属のぶつかり合う音。戦場の空には、日がだいぶ傾いてきていた。

 周囲では、犬頭の小人たちとアルヴァリス王国の兵士たちが激しく剣を交えている。

 剣戟の音と兵士たちの怒声が混じる戦場の喧騒も、今のアヤトには遠くに感じられていた。



 アヤトの額に汗が伝い、前髪が張り付くのを感じた。身に纏うのは、蒼鋼の輝きを放つ勇者専用の鎧。女神により選ばれし、『異世界の勇者』としての紋章が誇らしげに刻まれたその鎧は、戦場の中でも一際目を引く。背中には深紅のマントがはためき、その存在感をさらに際立たせていた。友軍の士気を上げるには十分な見た目だろう。


 逆に、勇者としての見た目に見合うだけの務めを果たせなかった時に、人類に与える失望や落胆は大きいはずだ。その重責を自覚し、これまで研鑽を積んできた。いくつもの戦場を戦い抜いてきた。これまで、どんな敵との戦いも、己の力を信じ、突破口を見出してきた。だが、今目の前にいる相手は、まるで格が違った。



 アヤトの前に立つ黒い獅子頭の巨人は、まるで古代の彫像がそのまま動き出したかのような威圧感を放っていた。広がる青黒い鬣は沈む陽光を受けてもなお黒い。その体はまるで鋼鉄でできているかのように硬質で、筋骨隆々とした腕で黒い巨剣を軽々と振り下ろす。赤い瞳が獰猛な殺意を発し、動くたびに赤い残光を残す。


 その獅子頭の巨人が放つ剛剣の一撃を、体ごと盾で受け止め、僅かに足が地面を滑る。重圧に耐えながら、次の攻撃の間合いを見極めるのがやっとだ。力だけでなく、その剣技も明らかに自分を上回っている。相手の巨大な剣が切れ味の鈍い鈍器でなければ、今の一撃で盾ごと身体は切り裂かれていたかもしれない。


 ――覚悟を決めるか!


  アヤトは盾を捨て、片手で持っていた宝剣を両手で握り直す。

 しかし、アヤトの手に握られた白銀の宝剣は、どうにも扱いにくい。

 好みの問題もあるのだろうが、長身なアヤトが力任せに振るうには軽すぎるのだ。


 ――今はそうも言っていられないか。


 剣の柄を左手で強く握り、右手を軽く添え、次の攻撃に備えた。

 獅子頭の巨人の剣が頭上から振り下ろされる。その刃が空を裂き、重い風圧がアヤトの髪を乱した。


 瞬時に剣で払うが、――衝撃が腕をしびれさせる。だが、最も違和感を覚えるのは、剣がまるで自分を導いているような感覚。いや、《《剣に身体を操られる》》といった方が正しい。



 一年前に地下迷宮で発見した、宝剣『星詠(ほしよ)みの剣』──それは、持ち主を勝利に導くと言われていた。


 この剣は敵と切り結ぶたびに使用者を導こうとする。悪く言えば剣が思い描く理想の軌道と、自分が描く攻撃のズレが生じる。そのギャップにより、焦りと絶望が胸を締めつけ、まるで死神の鎌が首元を撫でるような錯覚に陥った。



 獅子頭の巨人が再び剣を振り上げる。次に来るのは上段からの強烈な一撃。

 前へ出るべきだ──だが、身体は次の攻撃をその場で受け流そうと、剣を上段に構えた。上半身と下半身の動きのズレが、獅子頭の巨人に絶好の攻撃タイミングを与える。巨人の顔に勝利を確信する笑みが浮かんだ。


 ──死ぬ!


 そう思った瞬間、獅子頭の巨人の攻撃がぴたりと止まった。


 いつの間にか、巨人の肩に一人の踊り子風の女が腰掛けていたのだ。


 燃え盛る戦火の光を浴びて、彼女の銀色の衣装は眩しく輝き、無数のスパンコールが星空のように煌めく。

 薄手のヴェールの奥に覗く唇と、露わになったアメジストを思わせる紫の瞳以外、その表情は見えない。

 後ろでひとつに結ばれた栗色の髪が風に舞い、小麦色の肌がターコイズブルーの衣装を引き立てていた。


 その姿は戦場には明らかに不釣り合いで、どこか神秘的な雰囲気を漂わせている。


 その容姿は、アヤトの記憶のどこかに引っ掛かった。


 ──知っているような、そうでもないような。


 獅子頭の巨人が不機嫌そうに唸る。


「……移動ですか?」


 女は銀色の衣装を揺らしながら、静かにうなずいた。


「そうだ。新しい勇者が降りてくる。急ぎ戦場を変えろ」


 巨人の赤い瞳が細まり、不敵な笑みを浮かべる。


「新しい勇者ですと?」


 踊り子風の女は、何かを示すように空へと指を滑らせた。


「絶対的な脅威だ。その勇者が降りてくる座標を示す。行け――」


 巨人は楽しげに口角を上げると、剣を肩に担いだ。


「絶対的な脅威……それはおもしろい。こいつの相手にも少々飽きてきた頃でした」


 巨人の咆哮が響き渡ると、戦場の大気が波打ち、砂塵が舞い上がる。剣を握る手がしびれるような振動が、アヤトの全身を駆け巡った。

 その咆哮の余韻が耳に木霊し、敵味方を問わず、誰もが一瞬、動きを止める。


 青黒い巨体は、女を肩に乗せたまま、音もなく宙を舞い、夕闇に溶けるように消えた。


 その瞬間、アヤトはほっと息をつくも、剣を握る手の力は抜けなかった。


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