第132話「いつの日か、あなたの隣に並ぶために——」
戦場はすでに終局を迎えつつあった。曇天の下、黄金色の麦畑が踏み荒らされ、無惨な跡を残している。百体を超えていたゴブリンの群れも、今やその半数以上を失い、残る者たちは戦意を喪失したかのように散り散りになりつつあった。しかし、完全に戦闘が終息したわけではない。しぶとく抵抗を続けるゴブリンが槍や棍棒を振るい、隙を突いて守備隊の陣形を崩そうとする。
「来るぞ! 前列、槍を構えろ!」
「盾を下げるな! 踏ん張れ!」
守備隊の副隊長であるミルドリックの怒号が飛ぶ中、守備隊の兵士たちは巨大な長方形の盾をしっかりと固定し、目前に迫るゴブリンの突撃を受け止める。金属のぶつかる音が鳴り響き、兵士たちは踏みとどまった。
押し返そうとする敵の数は減ったとはいえ、その獰猛さは相変わらずだ。守備隊とゴブリンの鍔迫り合いの隙をつき、剣を持った武装メイド隊が縦横無尽に駆け抜ける。白いエプロンの裾をなびかせながら、メイドたちは軽やかに剣を振るい、寸分の無駄もなくゴブリンたちを仕留めていった。
その動きはまるで舞踏のようであり、敵を圧倒する整然とした力強さを備えている。
「メイド隊! 左翼に回れ! 敵を逃がすな!」
アルバートの号令と同時に、剣を構えた五名のメイドたちが陣形を整え、金色の麦畑を駆け抜ける。その姿は、さながら獲物を追う黒い猟犬のようだ。逃げ惑うゴブリンたちは、疾風のごとく迫りくる死の気配に、抗う間もなく追い詰められていく。反撃の隙さえ与えられず、一方的に斬り捨てられていくゴブリンたち。断末魔の叫びは一瞬にしてかき消され、青白い光の粒子と灰なって霧散していった。
リュシアンは剣を軽く振り払い、刃先に付着した青白い光の粒子が、霧散するのを眺める。残る敵は少ない。このままひとりで残敵を全て蹴散らしてしまう事も可能だ――だが、彼の手に握られた剣は、決して容易に振るうべきものではない。魔力を送り込んで爆炎を放つ剣撃は、手にした剣を焼き、著しくその刀身を劣化させる。いくら耐熱耐火機能を付与した剣であっても、実際に使った時に本当にその性能が発揮できなかった場合には、目も当てられない。
「……シャルルさんに、剣を大事にする男と思われなければいけないからな」
そんな思いを胸に、目の前に飛び出してきたゴブリンに向き直る。棍棒を振りかざしてくるゴブリンの攻撃をひらりとかわし、下段からの一閃。ゴブリンは悲鳴を上げる間もなく、青白い炎とともに砕け散った。
「こんなものか……」
周囲では、守備隊と武装メイド隊が次々とゴブリンを制圧していく。リュシアンはそんな光景を横目に剣を構え直し、思いを巡らせた。脳裏をよぎるのは、先程のピンクの甲冑を纏った謎の男のことだ。あいつは、勇者だけが使えるはずの広範囲攻撃魔法を行使してみせた。しかも、儀式用短剣であるアジュール・スティレットも無しで、だ。また、自分を中心にして、敵を一網打尽にするアヤトと違い、謎の男は狙った場所に、狙った規模の攻撃魔法を使ってみせた。
――つまり、あの男は『勇者』なのか?
シャルルの敵である以上、あの男は自分の敵でもある。だが、果たして人造勇者という紛い物の自分に、あいつを倒せるだけの力があるのか?
人造勇者――その逃れられない出自の鎖が、自分の身体に絡みついているような錯覚を覚える。この呪縛を断ち切るためには、本物の勇者に体敵する力を手に入れなければならない。そして、勇者に勝たなくてはならない。
そのための準備は、すでに整えてある。最後に残る〝鍵〟――それは、広範囲攻撃魔法『カタストロフィック・フレア』の習得だ。この力さえ手に入れれば、初めて本物の勇者に肩を並べることができる。
祖国エンサリア共和国のためではない。自分自身のためだ。そのためなら、祖国を利用することも厭わない。どうせ、祖国も自分をただの道具としか見ていない。ならば、そこはお互い様だろう。
リュシアンの視線は、ゴブリンの群れを引き裂き、再攻撃に移る騎兵隊へと向かう。その最後尾で馬上から剣を振るう、本物の勇者であるアヤトの姿があった。彼の動きには迷いがない。己を信じて、ただ前だけを見据えている。その剣さばきは、力強く、それでいてしなやかだ。その姿が勇者という存在そのものに見えて、目を逸らすことができない。アヤトの背中が視界に入るたび、胸に渦巻く複雑な思いが否応なく押し寄せてきた。
――絶対的な力を手に入れたとして、自分は本物の勇者になれるのか?
焦燥と劣等感が胸を締めつける。リュシアンは、目を背けるようにして灰色の空を見上げた。そこには、六枚の光の翼を広げ、空に浮かぶシャルルの姿があった。その姿は、まるで陽光の欠片を纏っているかのように幻想的であり、下界に広がる戦場の喧騒とは一線を画している。光の翼に照らされた銀色の剣と胸当てが、柔らかな光を反射し、それはまるで宗教画の中の景色のようだ。
彼女は、進むべき道を照らす揺るぎない光であり、手の届かない存在だ。それでも、あきらめたくはない。彼女の存在は、自分にとって救いであると同時に、乗り越えるべき壁でもあるのだから。
「いつの日か、あなたの隣に並ぶために——」
あの光を見失うわけにはいかない。リュシアンは静かに息を整え、もう一度剣を握り直した。




