第129話「――撃てます」
少し前――
光の翼を広げ、空を飛ぶ感覚は、不思議だった。風が頬を撫でる感覚は軽く、足元に広がる黄金色の麦畑の景色は、まるで絵画のようだ。けれど、自分の意志とは無関係に飛んでいるこの状況は、なすがままで、楽しさには程遠い。
足元に広がる景色は、黄金色の麦畑がどこまでも続いている。フルラナンツ村へと向かうゴブリンの群れが、地面を揺らしながら前進しているのが見えた。その数はおよそ百体。
「アイリスさー そろそろ機嫌を直せってば」
シャルルは小さくため息をつきながら、片手で頭をかく。
《シャルルっちが、あそこでログインしてこなかったら、ラズリオを倒せたかもしんないのに!》
アイリスが何度目かの、同じ内容の抗議の言葉を口にする。シャルルに抱きかかえられた、クッションのような猫のぬいぐるみ――ペローは小さなため息を付くと、その可愛らしい見た目に反した渋い声でアイリスに問うた。
「なあ。そもそも、そのラズリオってのは何者なんだ?」
シャルルの胸元に収まった白い小鳥――ボンボンも不思議そうに尋ねる。
「ですよね。私もそれが気になったんですけど……」
《……ウチのトラウマだから、言いたくない》
アイリスがバツが悪そうに、そっぽを向く……のだが、それをやっているのが、自分の身体なので、これまた変な感じがする。今の状態は、アイリスによると第ニスキル【身体制御】を用いて、アバター・シャルルを尾本とアイリスで同時使用する、〝タンデム・モード〟というヤツらしい。身体が部分的に、まだらに他人のものになったような感覚がして、言葉にできない違和感がある。それでも、この背中から生えた光る四枚の板――光の翼を完全制御するためには、仕方ないらしい。ダイエットが進めば、そのうち自分で光の翼を全制御できるようになるかも、と少しだけ期待する。
「この光の翼……星異物『流星の翼』だったっけか? 解析は完了したわけ?」
アイリスの機嫌をとるために話題を変えたわけではない。単純に、この光の翼がどれだけ使い物になるのか確かめたかった。
《ウチの再起動と同時に解析完了――
こうやって空を飛ぶこともできるけど、走る時の補助にも使えるよー
でも、その使い方はシャルルっちにはおすすめしないかも。走りながら補助翼の微調整がいるし、何かあっても急停止もできないし》
その話を聞いただけで、大怪我する未来しか見えてこない。シャルルは、ぶるりと体を震わせた。
「ちなみにアイリス――星詠みの剣みたいに、リミッター解除的な機能もあるわけ?」
恐る恐る聞いてみる。
《リミッター解除ねー
なんか推進力を貯めておいて、瞬間的にフルスピートで飛んだり走ったりはできるよ。でも、再使用に30分かかるね。ちなみに、今まさにリキャスト中。推進力を貯める時間が5秒ぐらい必要で、その間は滑空ぐらいしかできないんよね。何を考えて、こういう仕様にしたんだか》
アイリスは、呆れたように肩を竦める。
「なんか、使い勝手が悪そうな機能だなあ……」
《後は……今、羽根を四枚出してるじゃん? 離陸の時に、合計六枚まで出したけどさ。
これが最大で八枚まで出せる。……出せるんだけど、何が起こるかマニュアルに書いてない。
ひょっとしたら、生身で音速の壁を破ったりして。知らんけど》
「なにそれ怖い。飛んでいる間は風圧のせいで息ができなくなるとか?」
シャルルが首を傾げると、中身は製造神ボルグニルであるところのペローが、冷や汗を流しながら言う。
「生身で音速……
恐らく、もっとえげつない結果になるぞ。身体がバラバラになるなんて、かわいいもんじゃねえ。
――恐らく、空中でミンチだ」
「……八枚翼は使わない方向で」
《まあ、音速の壁はあくまでウチの想像だから、本当のところは知らんしー
案外、普通に早く飛べるだけかもよ。なんなら今から試す?》
こちらの返事も待たず、アイリスが制御中の左目が緑色から赤に変わった。
《魔法翼、一番から八番まで全て展開。全員、衝撃に備えてください》
背後に現れた長さがそれぞれ異なる八枚の光の翼が、甲高い金属音を放ちながら光り輝き始める。
「おい! おいおい! おい! マジか、アイリス!」
「ちょ、ちょっと待って! なんでおじさんの胸に挟まれた状態でミンチ!」
「やめろ! やめろ! やめろ! やるなら俺を降ろしてからにしてくれ!」
シャルルとペロー、ボンボンが同時に首をブンブンと横に振る。
《降ろしてもいいけど、下はゴブリンの群れなんよね~》
真下を見ると、まとまりのない動きではあるが、フルラナンツ村へと進行を続けるゴブリンの群れの先頭集団が見えた。そのさらに前方には、赤い竜のような魔物に乗った男の姿が確認できる。フードを深く被り、しきりに周囲を見回している。あれがこの騒ぎの首謀者らしいが、その様子にはどこか落ち着きがない。
「て、敵に追いついたんだったら、八枚翼は使わなくていいじゃん!」
《チッ――》
アバター・シャルルの左目が赤から緑色に、そして翼の数が四枚に戻った。
「おい、尾本! 今、コイツ、舌打ちしたぞ!?」
「ボルグニルさん、中の人の名前を呼ぶのはマナー違反!」
《ちょっと、あんたら緊張感なさすぎ~》
「Hey,アイリス! 俺のスマホからプレイリスト〝燃えるヤーツ〟をランダム再生」
《あのさあ、ウチは尻的なヤツとは違うんだけど?
……プレイリスト〝燃えるヤーツ〟から『瞳の中のファーラ◯ェイ』をfeat.アイリスで脳内再生開始。
そんじゃあ、作戦を開始するよ~》
アイリスが面倒そうに宣言し、続いて緊張感のあるアナウンス・ボイスに声色を変えた。
《エンゲージ! 戦術プランAを適用。
ボンボンとのデータリンク開始。アバター・ボンボンをパージします。
速やかに空中管制を開始してください》
「なんか、アイリスに指図されるの不本意なんですけど……」
ボンボンがぶつぶつ言いながらも、シャルルの胸元から軽やかに飛び出し、上空を旋回しはじめる。
《戦術プロトコル・フェイズ1開始。
敵位置データのリアルタイム共有、攻撃優先度設定。
続いて、アバター・ペローを投下――》
ペローは仰向けのまま敬礼しつつ落下し、体を捻りながら柔らかく着地する。すぐにマスケット銃を抜いて構えた。そして戦闘モードへのスイッチを入れるためか、被った帽子の位置を微妙に直す。
《魔法翼、一・ニ番展開、三・四番主翼格納、五・六・七・八番展開――
ホバリング制御開始》
シャルルの背後の光の翼が形状を変え、主翼を閉じて六枚の補助翼が展開された。光の翼は青白く光る鱗粉を撒き散らしながら、精密射撃に備えてシャルルの身体を空中に静止させた。シャルルはマントから二丁のマスケット銃を引き抜き、ゴブリンの先頭集団に狙いを定める。
《アバター・シャルルの位置調整完了。
火器制御、レフトアームはアイリス、ライトアームはユーザー。全トリガーはユーザーに。
敵先頭集団、距離50メートル――射撃角度最適化完了》
シャルルは深く息を吸い、銃口をわずかに下げた。
《――撃てます》
「よし! レオフォルトさんたちが来るまで、時間を稼ぐぞ!」
シャルルとペローのマスケット銃が同時に火を吹く――




