第127話「事態は急を要しております」
城壁の外。半径二十メートルほどの爆心地には、熱波と共にまだ灰が舞い上がっていた。焦げた臭いが空気に漂い、辺りはピリピリとした静けさに包まれている。兵士たちの顔には恐怖と困惑が浮かび、それがシャルルにもすぐに分かった。
その緊張感を和らげようと、シャルルは率直に思った言葉を口にする。
「ねえ、この世界って、ゴブリンいるの?」
その問いに製造神ボルグニル――〝ペロー〟が、呆れた顔でシャルルを見上げる。
「いるだろ、ゴブリン」
長い栗色の髪をポニーテールにまとめている少女――エリサも、怪訝そうな顔で応じた。
「いますよね、普通」
アヤトも首を傾げながら言葉を継ぐ。
「むしろ、なんで今までいないと思ったんです?」
「いや、だって……これまで遭遇したの、なんかオリジナルなモンスターばっかだったじゃん?
犬頭とかトカゲ兵とか、空飛ぶ目ん玉コウモリとか……」
シャルルのぼやきにアヤト以外の全員が、さらに不思議そうな顔をする。ただ、リュシアンとオウリィだけは、うんうんと何度も頷きながらも、シャルルを全肯定するかのように微笑んでいた。しかし、恐らく意味は分かっていまい。
『今更なんですけど、魔王軍が使役している魔物だけがカスタムメイドされたモノなんです。自然発生している既存の魔物たちは……なんというかテンプレどおりの、よくある名前と姿なんですよね』
ボンボンが念話で語りかけてくる。そういうことなら、もっと早く行ってよ……と思ったが、とりあえず、この間抜けなやり取りのおかげで兵士たちの顔が緩み、緊張が解けていくのが分かった。
「事態は急を要しております。先ほど、物見櫓から観測していた兵によると、散り散りになって逃げていったゴブリン達が一箇所に集まり、徒党を組んで南西に向かっているとのことが判明しました。その数、およそ百体。ゴブリンの向かっている方向……およそ南西三キロ先には、フルラナンツという小さな集落があります。そこにいる守備隊員は五名しかおりません。大変恐縮ではありますが、勇者の皆様にはどうかお力添えをお願いしたく……」
執事を思わせる服装をした六十代後半ぐらいの老紳士――アルバートが、堂々とした態度で深く一礼する。その声は穏やかで落ち着いており、非常時という状況下でも動揺の色は微塵も見られなかった。
「だとしたら、時間があまりありませんね。早速、ゴブリンの群れを追います」
アヤトが剣の柄に手をかけ、走り出そうとする。その隣では、リュシアンが『負けてなるものか』と言わんばかりに同じ方向に足を踏み出した。
「しばし、お待ちを! こういう時だからこそ、冷静にお願いします」
アルバートは手を上げて二人を制止すると、深々と頭を下げた。
「まずは、勇者殿のご協力に、心からの感謝を――」
顔を上げ、全員を見回す。軽く息を整えた後、続けた。
「そして、敵と相対するにあたり、ひとつ提案があります。騎馬隊でゴブリンの群れを後方から突撃し、そのまま突破して敵を混乱させます。その後、引き返して後続部隊と合流し、挟撃して殲滅を図る――このような作戦はいかがでしょうか?」
アルバートの提案に、一同が頷く。
「経験上、ゴブリンはその数に物を言わせた戦い方しかしてきません。今回のゴブリンも徒党を組んではいますが、考えを持って動いているようには見えません。おそらく、こちらの意図には気づかないでしょう。また、ゴブリンの群れは疲弊している様子が伺えます。騎馬であれば、すぐに追いつけるはずです。ただし……」
アルバートは困ったように、馬と共にやってきた騎兵たちを見やる。
「運悪く、騎兵隊の隊長と副隊長が軍の大規模演習に参加しており、不在です」
馬に跨る兵士たちは、その手綱捌きから不慣れな者が半数を占めているのが一目でわかった。特に、体重80kgで解放される「乗馬スキル」を疾うに完ストしているシャルルには、それが手に取るように分かってしまう。また、馬の扱いの稚拙さもさることながら、その顔には明らかな動揺や不安の色も浮かんでいた。
「さらに言えば、魔法兵が全員、それと正規兵の大半が大規模演習に参加しております。よって、今ここにいる守備隊のほとんどは予備兵と民兵です。実戦経験者がほとんどいません」
シャルルはアルバートの話を聞きながら、周囲をちらりと見回した。アルバートの背後では、若いメイドたちが荷車から重そうな木箱を下ろし、中の剣や胸当てを手慣れた動きで確認しながら装着している。その動きは、まるで熟練の剣士のようだ。
一方、兵士たちはメイドたちを手伝おうとして「邪魔です」と静かに叱責される始末。
……なんでメイドさん?
「アルバート殿、ここでそれを愚痴っていても仕方ありません」
ずっとアルバートの隣で黙っていた眼鏡の若い男が、一歩前に出る。その立派な鎧とマントが、役職持ちであろう風格をわざとらしく感じさせた。眼鏡の奥の瞳は鋭さと冷静さを装っているが、理屈っぽさも透けて見える。
「貴様ら顔を上げろ! ここで街を守れずして、何が守備隊か!
馬の方がまだ堂々としているぞ!」
男が苛立ち紛れに、兵士たちに向かって激を飛ばす。
「こちらは、守備隊の副隊長のミルドリック殿です」
アルバートが短くその男を紹介した。シャルルの目には、ミルドリックが乗馬スキルも剣技スキルも大したことないと判断できてしまう。スキル完ストによるオマケの機能のようなものだろうか。シャルルは、まるで劇の観客席に座っているような気分になり、その状況が少し楽しくなってしまった。
――若いっていいなあ。
舐められまいと自分を大きく見せようと必死だった若かりし頃を思い出し、微笑ましい視線をミルドリックに向ける。目が合うと、彼は照れたように反射する眼鏡の奥に表情を隠した。
……何で?
シャルルは思わず首をかしげる。この状況での笑顔が、そんなに変か?
そして、その様子を横で見ていたリュシアンが、ミルドリックを睨みつけ、わざとらしく鼻を鳴らした。その顔には、明らかな苛立ちが滲んでいる。
……だから、何で?
「何にせよ、騎兵隊を指揮できる歴戦の猛者が必要なわけですが……。
さて、運命というものがあるなら、これほど奇なるものかと驚くばかりです」
アルバートはそう呟きながら、視線を遠くに向ける。つられて、一同は思わず視線を向けた。曇り空の下、遠くから地面を叩く規則的な馬蹄の音が響いてくる。
見れば、二頭の馬を巧みに操りながら走らせる碧眼の男の姿があった。その動きには一切の無駄がなく、馬と完全に一体化しているように見える。馬蹄の音が響くたび、その姿には一種の威圧感が漂い、場の空気が張り詰める。シャルルは自然と背筋が伸びるのを感じた。




