第126話「スレッドを作るなら、ちゃんと理解してやってね」
空は分厚い雲に覆われ、辺りは薄暗い。焦げ臭い土埃が舞い、乾いた風が冷たく頬を撫でていく。麦畑が風に揺れ、ザワザワと小さな音を立てていた。その静けさの中に、青白い光の粒がふわりと漂いながら消えていく。尾本――シャルルには見覚えがあった魔物たちの残骸。正確にはその名残だ。
シャルルは起き上がると、手の甲で口元を拭った。視線を向けた先には、城壁が見える。その石造りの壁は城壁にしてはやや低く歴史を感じさせる古さがあり、いくつもの傷跡が刻まれているのが見えた。土埃のせいで細部はぼんやりとしているが、その城壁の上にある歩哨路では守備隊員らしき人影がちらほらと動いているのが分かる。
「うわっ! ぺっぺっ! なんで口の中に砂が入ってんだよ!」
シャルルは改めて周囲を見回した。青白い光が視界の隅で弾けて消えるのが、妙に目に留まる。
「どうなってんの、これ? アヤトくんがまた広範囲攻撃魔法でも使ったのか?
アイリス、状況報告!」
《……》
返事はない。シャルルは眉をひそめた。いつもなら軽口のひとつでも返してくるはずのアイリスの沈黙が、じわじわと胸の奥に不安を呼び起こす。
「おーい、アイリスさーん? なんだよ、これ。マジでどういう状況?」
そのつぶやきに答えるように、空から聞き慣れた声がする。
「アイリスの様子がおかしいんですよ。味方らしい謎の人に斬りかかっていったりして」
シマエナガっぽい白いふわふわした小鳥――ボンボンがシャルルの肩にとまった。その正体は、女神だ。
「あ、女神様。謎の人って誰です?」
「ラズリオっていう人ですね。プロパティを見たら、普通に人間の魔法使いでした。ただ、アヤトと同じく広範囲攻撃魔法が使えたり、星異物を持ってたりと〝普通〟とは言い切るのはどうかというか、なんというか……」
「いや、どう考えても普通じゃないでしょ、それ。他の神様が召喚した勇者とかでは?」
「さっきも言いましたけど、プロパティを見るかぎり、ただの人間です。アバターじゃないですね。何にせよ、アイリスの異常も、その人が絡んでるっぽいんで、警戒しておいたほうがいいんでしょうけど……」
ボンボンが困惑した表情を見せる。
「アイリスの異常か……。さっきから声をかけても返事がないけど、まさか壊れちゃったわけじゃないですよね?」
シャルルは手にした星詠みの剣を眺めた。刃こぼれも無く、見た感じでは、特に異常は見当たらない。
「アイリスがフリーズしているのは、アバター・システムのエラーのせいかと。たぶん、もうしばらくしたら自動で再起動するはずです」
「そりゃまた、悲惨な状態ですなあ。何が原因で?」
「今回は最初からアバター・シャルルをアイリスに扱わせていたんですよね。大急ぎで用意したので、私の調整が不完全だったみたいで……。それで、尾本さんが強制的にログインしたら、こんな事になっちゃったわけです」
シャルルは、いつになく真剣な顔で呻いた。
「なるほど。コンフリクトが起きてデッドロックしたのか。お互いの処理が邪魔し合って、アバターのカーネル的な部分が異常停止したわけだ。女神様……スレッドを作るなら、ちゃんと理解してやってね。それと、例外処理も入れとかなきゃ」
「まあ、そんな感じです。……ところで尾本さん、その話題、もういいですよね? 私、頭が痛くなりそうです」
ボンボンは目を細め、ため息をついた。
「ところで、さっきから会話に出ているプロパティって、何です?
いや、何となく分からんでもないんだけど」
ボンボンが自分の頭上をじっと見ているのに気づき、シャルルは慌てて自分の頭を手で隠した。
「……企業秘密です。それより! なんで尾本さ――シャルルさんが、途中ログインしてるんですか?
私、そんな操作はしてないんですけど」
「操作って……いや、俺が聞きたい。会社で寝たから? 寝袋で寝たのがまずかった?
というか、ここどこ? 教会じゃないのは分かるけど」
そう言って灰色の空を見上げながら首をさすった。喉の違和感がないことに、なんとなくホッとする。もっともエアコンが効いた開発室で寝ている尾本の本体は、喉を痛めているかもしれないが。
「寝袋って……もう! 健康に気をつけてくださいよ。いい年した、おじさんなんだから」
「もうちょっと言い方ぁ!」
「それに決まった時間に体重を測らないとダメなんですからね!
それを元にシャルルさんの性能を調整してるんですよ? 毎朝の測定データが全てなんですから」
「うん。お昼休みの時に、お風呂と着替えに帰るつもり。その時に測りますよ」
それはそれとして、今朝の体重測定の結果を思い出す。79.0キロ。体脂肪率は29.0%だったはずだ。つまり、79kg台で解放される「剣術スキル」が完スト。これなら、剣での戦いに余裕が生まれる。アイリスの剣術には及ばないものの、彼女の第ニスキル【身体制御】に頼らず、自分の力で動けるようになったのはありがたい。これでアイリスの負担も大幅に減るはずだ。
「それで、今の状況なんですけど……」
改めて周囲を見回す。明らかに、ここが戦場であるというのは分かるのだが、魔物の姿は見えない。討伐後なのだろうか?とも思うが、城壁上の歩哨路で慌てているエンサリアの兵士たちが、遠くの地平線を指差して何か叫んでいるのが見えた。まだ危機は去っていないのだろう――そう判断した。
冷静というより、ピンチやトラブルへの人生的な耐性なのだろう。異世界で勇者しているというより、おじさんならではの「あの時の仕事のトラブルより、まだマシ」というやつだ。これがパッシブスキルとして機能していることを感じて虚しくなる。
「あ、そうですよね!
と言うか、さっき上空から周辺を偵察してきたんですけど、悠長に状況を説明している場合でもなくてですね――」
「シャルルさ~ん!」
突如として猫のぬいぐるみを抱えたリュシアンが名を叫びながら走ってくる。その顔は安心したような、満面の笑みのような、恋する乙女のような表情だった。淡い金髪が光り輝いている。まるで少女漫画にでも出てきそうなキャラだなと、冷静に感じながら軽く手を振った。
さらにその後ろには、アヤトと商人のオウリィ、弓を背負った少女、六十代ぐらいの執事っぽい男性、メイドさん、鎧を身に纏った眼鏡の若い男が続く。うん。やっぱり、状況が分からん。
助けを求めるように、肩にとまったボンボンに目をやった。
「えっと……
とりあえず、念話を使って急いで状況を説明しますけど、今の私はシャルルさんの使い魔の小鳥さんなので、喋れないキャラってことでお願いします」
ボンボンは、翼をくちばしに当てて「しー!」と合図を送ってきた。




