第121話「おい! 誰か、助けろ!」
「おい! どうすんだ、リオーダス?!」
「少し黙れ、ゴッテル! 今、手立てを考えている!」
リオーダスはゴッテルに怒鳴り返した。しかし、その答えが出るより先に、城門にたどり着くだろう。
何もかもが予想外だ。アルバベールの首輪が制御不能なこと、ゴブリンの動きの速さ、守備隊の迅速な対応、そして、自分の焦り――どれも想定の範囲外だった。それを今になって悔いても意味がないのは承知だが、だからといってどうすればいいのか。
オルティリスの街を睨む。城壁上部の歩哨路を、防衛準備を始めたオルティリスの守備隊が走り回っているのが見えた。不協和音のように甲高いラッパの音と、敵襲を告げる鐘の音が鳴り響いている。
弓兵たちが冷静に狙いを定め、矢を番える姿が見えた。リオーダスは拳を強く握り締めた。慌てふためく自分とは正反対のその冷静さに、苛立ちは限界に近づいていた。
「馬鹿か、テメェ! こんなもん、単純な話だろ?!
その女ぁ、城門に捨てる! 俺は左、テメェは右に逃げる! それで終わりだろうが!」
ゴッテルがリオーダスの後ろで、ぐったりとしているレネを指差す。
「それはできない! 私は彼女を無事に帰すと約束している!」
約束を破ることは、自分自身を裏切ることに等しい。気まずそうに目を背けるリオーダスに、ゴッテルは大きなため息をついた。そして、ヴェロークを操りながら、リオーダスの襟元を掴む。
「覚悟を決めろや、リオーダス! これからオルティリスの住民1万人を血祭りに上げんだろうが!」
「違う! 勘違いするなっ!
倒すのは防衛に出てきた守備隊と、オルティリスの町長であるアルバートだけだ!
街の住民に危害は加えん。そうでなければ、革命が成り立たん。貴様にはそれが分からんのか!」
「そりゃあいいな……
おい! 後ろのゴブリン御一行様に、『どうか、住民の皆様には手出ししないでください』って、頭下げてお願いしてみろよ。ああっ?!」
ゴッテルは突き返すようにリオーダスの襟から手を離した。
リオーダスは、歯ぎしりしながらゴッテルを睨みつける。考えるまでもなく、ゴッテルの言い分の方が正しい。ゴブリンたちを制御できない現状では、彼らが住民を襲うのを防ぐ術はない。それは明白だ――だが、それでもレネを犠牲にするわけにはいかない。
ここでレネとの約束を違えることは、自己保身に走り、弱き民衆を利用する――腐敗したエンサリアの政治屋共と同じ行為だ。かつて、あの腐敗した会議で何度も耳にした「大義のため」と称した口実。それと同じ言葉を自分が使うようになれば、全てが終わる。
言葉が出ないリオーダスに、ゴッテルは深い溜め息をつき、荒々しくスキンヘッドを撫でた。その仕草には苛立ちと諦めが混じっている。
「……もういいわ。俺はもう疲れた。教えてやるよ、リオーダス。 テメェが毛嫌いしているエンサリアのお偉いさんな…… それが、アルバベール自由同盟の出資者だ。皮肉なもんだろ? テメェの理想は、テメェが毛嫌いしている連中に支えられてんだよ」
その言葉に、リオーダスは目を見開いた。あり得ない話だ。だが、ここにきて、ゴッテルが意味のない嘘を言っているとも思えない。
「ギ、ギースが、エンサリアの政治家?」
その言葉に、ゴッテルが吹き出す。
「どこまで馬鹿なんだ、テメェはよ! 黒幕が直接表に出るわけねえだろ? ギース……ギーシャル隊長の背後には、エンサリア共和国の超大物がいらっしゃるんだよ。じゃなきゃ、この人造魔獣のヴェロークや、その首輪みたいな戦術級の魔導兵器が、お前ら半端者の集まりに渡るものかよ!」
笑い終えたゴッテルは、まるで虫ケラでも見るような視線をリオーダスに向ける。
「そうそう。自己紹介が随分と遅れちまったな。俺はお前らの監視と、その首輪の効果測定をする為に派遣された、エンサリア共和国国家魔術技師のゴルテールだ。軍では、特務魔術師隊の一員をやっている。ちなみに、この口調は演技じゃねえ。俺ぁ、口と人相が悪いからよ。それで、この仕事を任されたってわけだ。ちっとも笑えねえ……口は災いの元ってのはホントだったな」
ゴッテル――いや、ゴルテールは忌々しそうに舌打ちした。
「何のために、そんな事を!」
リオーダスは声を荒げた。だが、叫びの裏には、怒りだけでなく動揺と恐怖が滲んでいる。
「分っかんねぇかなぁ~? 既にエンサリア共和国は、魔王討伐後の事を考えてんだよ。アルヴァリス王国をぶっ潰すための兵器開発――その実験台がお前らだ」
リオーダスの唇が震える。ゴルテールの言葉が脳に突き刺さるようだ。理解したくない――理解してしまえば、自分たちの「革命」がどれほど滑稽なものか、認めざるを得なくなるからだ。
「ついでだ。仮にお前らが理想の国を立ち上げていた場合に、どうなっていたかも教えといてやろうか?
その時は、敵国として、新兵器の実験台として、お前らをぶっ潰す! 民衆を人質にしようったって無駄だぜ。それすら、上層部には新兵器の効果測定の指標としか捉えてねえのよ」
絶望の表情で、リオーダスは背後を振り返った。土煙を上げ、黄金色の麦畑を踏み荒らし、ゴブリンの群れが迫ってきている。
弱き民を救うはずの自分が、とんでもなく愚かな事をしている自分は――何をしているんだ?
「ちなみに、アルヴァリス王国だって魔王討伐後のことを視野に入れて動き始めてるってよ。カルマラ自由都市国家も、戦後の経済的な覇権争いに向けて準備を進めているって話だ。レーデベリア帝国も表向きは静かにしているが……各国に置いた女神教の教会に、怪しい奴らが出入りしてるな。そいつら、お前らの動きも監視してたぞ。お前ら、まるで気がつかなかっただろ?」
ゴルテールの嘲笑う声に意識が遠のく。頭がぐらりと揺れ、地面が崩れ落ちていくような感覚に囚われた。
「わかるか、リオーダス? そういうモンなんだよ。テメェが大好きな政治や歴史の世界ってのはな」
ゴルテールは目を細めた。その瞳には、哀れみと、どこか冷たい諦観が交じり合っていた。
「まあ、テメェらの尊い犠牲で、エンサリア共和国は、後十年は戦えらあ。リオーダス、そこだけは誇っていいぞ。――そして、死ね」
次の瞬間、ゴルテールが手にした長剣を一閃する。リオーダスの乗るヴェロークの脇腹を深々と斬り裂いていた。ヴェロークが悲痛な悲鳴を上げ、リオーダスの叫び声がそれに重なる。
ゴルテールは手綱を強く引くと、リオーダスのヴェロークを横から激しく突き飛ばした。その勢いでリオーダスの体がぐらつく。ゴルテールは混乱するリオーダスの隙を突き、レネの腕を無理やり引き寄せた。意識を失った彼女を軽々と抱え上げ、自身のヴェロークに乗せると、さらにリオーダスのヴェロークに蹴りを入れる。
リオーダスとヴェロークが大地を滑りながら転ぶのを確認したゴルテールは、苦々しい顔で別れの言葉を口にする。
リオーダスは痛む身体を引きずりながら背後を振り返った。
地を揺るがすような足音が迫っている。振り向くと、牙を剥き出しにしたゴブリンの群れが津波のように押し寄せてくるのが見えた。
逆の方に目を向けると、五百メートル先にはオルティリスの赤い城門が見える。
城壁の上では小さな人影が忙しなく動き回っており、それが今や唯一の希望に思えた。
震える足で立ち上がると、リオーダスは城壁に向かって声を張り上げた。
身勝手なのは承知だ――それでも叫ばずにはいられなかった。
「おい! 誰か、助けろ!」
城壁の上にいる兵士の何人かが気づいた。だが、困惑したように顔を見合わせ、動く者はいない。
「頼む! 誰か――誰か、彼女を助けてくれ!!」
リオーダスは必死に手を振る。兵士の数人が城壁の後ろに下がった。
「お願いだ!! お願いします!! 誰か、彼女を助けてください!!」
恥も外聞もなく、泣き叫ぶ。もう自分はどうでもいい。このまま死んでもいい。
ただ、レネだけは。自分の誇りだけは――
その瞬間、世界が音を失った。
リオーダスの身体が宙を舞う。視界が反転し、ゴブリンの群れが天に、灰色の曇天が足元に見える。
これが、最期の景色――と思ったその時、視界に飛び込んできたのは――天使?
白いマントに黒い猫耳、銀の胸当て、黒いコルセットスカート。そして、背中には細く輝く二枚の翼。
美しいというよりは、どこか可愛らしい感じの少女だった。子供の頃に自分が思い描いていた天使とは、随分と装いも雰囲気も違う。
そんな天使が、自分を小脇に抱えながら面倒くさそうな顔を向けてきた。
「あのさあ……。ウチ、この翼の解析をまだ終わらせてないんよ。しかも、ぶっつけ本番で飛ぶとか、マジでダルいんだわ。とりあえず、あの女の子を助けるってことでOK?」
天使がゴルテールのヴェロークに乗せられたレネを指差す。
理解が追いつかないまま、リオーダスは何度も頷いた。




