第118話「とてもよくお似合いです」
「こちらの胸当てはご明察のとおり星異物で『流星の翼』といいます
この館の真の主にして旧オルティリス領の領主が長女……セオリアーナ・エアルコー様が大切にされていた品でございます」
アルバートは、胸当ての収められたガラスケースの背後の壁に掛けられた若い女性の肖像画に目を向けた。その瞳には、眩しそうな光と同時に、どこか懐かしむような色も宿っている。
そこに描かれているのは、若い女性が凛とした表情で遠くを見据える姿だった。長い赤毛が緩やかに波打ち、真紅のドレスの胸元には、まさにガラスケースの中の胸当てを着けている。左手には、鞘に収められた長剣を軽く支え、右手は腰元に添えられていた。
絵の背景は薄曇りの空の下、広大な草原が広がり、遠くに旧オルティリス領の壮麗な城が小さく描かれている。その立ち姿は、ただの貴族の令嬢ではなく、戦場で戦った一人の指揮官としての威厳を漂わせていた。
「オルティリス領……家名はエアルコーなのですか? オルティリスではなく?」
メグ……女神フェルネスは尋ねながらも、これまで自分が守護する人間たちの世俗という物に、どれほど無関心だったかを思い知る。
「セオリアーナ様の意向です。街の住民たちが『オルティリス』の名を愛していたもので……その想いを誰よりも大切にされていました。貴族制度が廃止された際、街の名を残すために家名を捨てられたのです。もっとも、セオリアーナ様以外のオルティリス家の面々は、それはそれはお怒りでしたが」
アルバートは当時を思い出したのか、遠い目をする。
「ふ~ん……絵からとはいえ、剣技の腕は確かな感じがするね。背筋の伸ばし方っていうか、体幹っていうか」
セオリアーナの肖像画を見つめるアイリスが、首どころから身体ごと傾げて感想を呟く。アイリスが言うからには、何か感じる所があったのだろう。
「はい。それはそれはもう……『オルティリスの剣姫』と呼ばれ、敵からも味方からも恐れられていましたよ。セオリアーナ様に剣技を教えたのは私でしたので、今も鼻が高いです。もっとも、その時の当主からは、やり過ぎだ!と私とセオリアーナ様、二人揃って激しいお叱りを受けましたが」
言って、アルバートはいらずらっぽく笑う。品のある老紳士の仮面の裏に、わんぱくな少年時代の面影を感じて、メグも笑ってしまった。
「それで、セオリアーナお嬢様は今いずこ?」
アイリスが尋ねる。
「最後にお会いしたのは、もう15年前ですね。名を捨て、家を捨て、剣のみで生きておられました。ですから、私はこうして、この館をお守りしている次第です」
「立派な忠義ですね」
メグは、アルバートの言葉に胸を打たれる思いだった。自分が長い間見過ごしてきた人間たちの絆――その一端に触れたような気がした。
「この館はセオリアーナ様という剣の鞘です。気が済むまで風を切ったら、必ず鞘に戻るはずです。それが剣のあるべき姿ですから」
「お? 詩人じゃ~ん? ウチ、そういうの好き~!」
アイリスは目を輝かせながら、肘でアルバートを「この!この!」と軽くつつく。
「こ、こら! やめなさい、アイリス! すみません、この子、剣のこと以外は本当にポンコツで……」
メグがどこからともなく取り出したピコピコハンマーで、アイリスの頭を一発叩く。
「いえいえ。噂の勇者様が気さくな方だと知り、私も思わず楽しくなってしまいました。お引き止めてしまいまして、こちらこそ申し訳ありません」
微笑むアルバートに、メグとアイリスは顔を見合わせた。自己紹介がまだだった。
「重ね重ね、すみません! え~っと、こっちの猫耳ポンコツ娘が勇者シャルル・アイリスで、私は保護者のメグです。新人メイドです!」
メグはアイリスの頭を掴むと、一緒に頭を下げる。ここで女神だと名乗ると面倒なことになりそうなので、とりあえずメイドだと名乗った。そして、言いながら、「男です。オッサンです!」と自己紹介している尾本の顔を連想していた。
「これはこれは、ご丁寧に……では、勇者シャルル・アイリス様には、お近づきの印にこちらを」
アルバートはそう言うと、ガラスケースから銀の胸当てを取り出す。
翼を広げた鷲の紋章は別パーツだったようで、それを丁寧に外すと、胸当てには流れ星の意匠だけが残った。
「お? マジ? ラッキー! これでウチって、さらにパワーアップするんじゃない?」
躊躇うことなく胸当てを受け取ろうとするアイリスのマントを、メグは全力で引っ張った。
「ちょ、ちょっと待ってください! アイリス! 他人様からそんな高価な物を受け取るなんて、常識的にダメ!」
「え? なんで?」
アイリスが、きょとんとする。既に胸当ては受け取った状態だった。しかも、人前にも関わらず、マントを脱いで装着しようとしているではないか。メグが引っ張っていたマントが外されたので、思わずずっこけた。
「ちょっと、アルバートさん! こんな高価な物は、さすがにダメです!」
「実はこんな事もあろうかと、こっそりレプリカを作っておりまして。後で差し替えておきます」
アルバートは唇に人差し指を当て、「内緒ですよ」と目を細めて静かに笑った。
「いやいやいや! そもそも、お嬢様の物なんでしょ?!」
「それが……お嬢様も戦場に出られてすぐに逞しくなられまして。
筋力も体格も立派になられた結果、胸当てがきついとお嘆きになったのが……30年前の話です。
あとは、察してください」
アルバートが頭を下げる。恐らくその言葉に嘘はないのだろう。よくよく見れば、肖像画の女性も、細身ではあるものの胸当てが窮屈そうに見える。微妙に。横に。
「じゃーん! どうよ? どうよ! 似合ってるっしょ!?」
気づけば、アイリスは胸当てを装着し終わっていた。そして、嬉々としてその場でくるくると回り始める。
花のように白いマントが舞う。黒いコルセットミニスカートの上に装着された銀の胸当ては、回転に合わせて光を反射し、流れ星の意匠を輝かせる。それは、天真爛漫な笑顔を輝かせるアイリスの黒い猫耳と尻尾に調和し、自然な美しさを放っていた。
「とてもよくお似合いです。私も自分の審美眼の確かさに驚きました」
アルバートが、小さく拍手を送る。それに対して、アイリスが不満そうに口を尖らせた。
「ウチじゃなくて、自分を褒めんなし……まあ、いいけど」
「似合っているのは認めますけど、本当にいいのかしら?」
保護者としては、どうにも申し訳ない気持ちの方が勝る。それを察してか、アルバートが言葉を足す。
「実は、15年前にセオリアーナ様がご帰還なされた折に、『剣や鎧は飾り物ではない! 直ちに次の持ち主を見つけるように!』と仰せつかっています。ですのでご安心ください。
正直に申しますと、私もセオリアーナ様のご命令をようやく果たせたことに感動しています。
どうぞ、そのまま、セオリアーナ様の『流星の翼』をお収めください」
アルバートが心底安心したように胸を撫で下ろす。確かに、15年前の主の命をついに果たしたとなれば、感慨深いのかもしれない。
「おー! 剣や鎧は飾り物ではない、か! セオリアーナお嬢様、分かってんじゃん!」
うんうん、とアイリスが力強く頷く。彼女もまた、果てしない時間を地下迷宮の奥底で過ごした身だ。思うところは強いのだろう。ましてや、同じ『星異物』なのだから。
「アイリス様もセオリアーナ様のお気持ちを分かってくださいますか。この館の品々をよく御覧ください。絵画などの美術品はあれど、武具の類は一切飾られていないでしょう? これがオルティリス家なんです」
言われてみて、確かに貴族の邸宅によくありそうな甲冑や宝剣が一切飾られていないことに気づく。
「もちろん、それはそれとして、非常時に備えて武器は隠してありますが――」
アルバートは静かに壁を叩いた。すると、壁の一部が勢いよく回転し、中から一振りのショートソードが現れる。なるほど、貴族は貴族でも、旧オルティリス家は確かに武勇を重んじる家系なのだろう。
「ん?」
不意に、アイリスの猫耳がピクリと動いた。アイリスは猫目を細めると壁に隠されていたショートソードを抜き、アルバートに手渡す。
「どうかされました?」
アルバートは、剣を受け取りながら一瞬困惑した表情を浮かべる。
「ヤバいのが近づいてきてる。たぶん、魔物の群れ。それと何か、すっごく嫌な感じがする」
そう言うとアイリスは一足で階段の踊り場からホール中央に飛び降り、未だに食事中の一行がいる部屋へと駆け出す。
「以前に言ってた『簡易未来予知』ですか?」
メグの問いに対し、アイリスは走りながら頷いた。その顔には、何かを見通した者だけが持つ不敵な笑みを浮かべている。
「急いで! 敵襲です!」
メグは、状況が掴めていないアルバートに短く伝えると、踊り場から二階に駆け上がり、窓枠に足を掛けた。そして、窓の外へと躊躇うことなく身体を躍らせる。次の瞬間、空中で眩い光が一閃し、その中からボンボンの姿へと変わった。
ボンボンは、白く小さな翼を羽ばたかせながら、灰色の空へと高く舞い上がる――




