第113話「それで? 目的は戦争ですか?」
森全体を飲み込む濃い霧が、木々の影をぼんやりと浮かび上がらせ、不気味な風景を形作っていた。
その中を五頭の人造魔獣――ヴェロークが木々の間を縫うように疾走していく。地面を蹴る低い音が霧の中に響き、緊張感を煽る。先頭を駆けるヴェロークの背には、手綱を巧みに操るリオーダスと、その後ろに座らされたレネの姿があった。
レネはちらりと流れ行く背後を確認する。アルバベール自由同盟の闘士たちを乗せた四頭のヴェロークが一心不乱に走っていく。問題は、そのさらに後ろだ。白く濃い霧の向こうには無数の魔物たちが群れを成し、大地を蹴って駆けてくるのがぼんやりと見えた。
最後尾のヴェロークに跨るスキンヘッドの男が、レネの視線につられて後ろを振り向いた。彼は肩をすくめると、軽く口笛を吹く。
「おお! 怖え、怖え! やつら完全に怒ってやがるぜ!」
霧の中に浮かぶ小さな人型のシルエット――それは明らかにゴブリンだった。普段ならば昂らせた闘争本能のままに吠え立てるはずの彼らが、声ひとつあげず、ただ黙々と息をきらしながら走っている。実に異常だった。不条理な暴力と無秩序さで村を襲うゴブリンの群れとは何かが違う。意思を持って口を閉ざし、一心不乱にこちらを追ってくる。その光景に、レネは全身が粟立つような寒気を覚えた。
そして原因は考えるまでもない。レネの首に付けられた首輪が、すべての元凶がこの首輪であり、それを誇示するかのように不気味な青白い光を放つ。
「流石ですね、レネ女史。簡単にその首輪の力を扱えるとは。しかも、まったく物怖じしない」
リオーダスが、ヴェロークの手綱を捌きながら後ろに座るレネに話しかける。褒められた所で、屈辱感しかない。
「つっ――!」
レネは憎々しげに唇を噛んだ。首輪の使い方も何も、ただ言われたとおりに起動プロセスを実行しただけだ。後は首輪から勝手に魔力を吸い取られている。
レネの呼吸に合わせて、首輪から青白い光の輪が放たれ、森の奥へと消えていく。それは水面を走る波紋のように見えた。その青白い波紋が背後の魔物たちの瞳に触れるたび、彼らの殺意がさらに濃くなる。また、目視できない範囲の奥にいる魔物も、その波紋に引き寄せられているのだろう。
どういう仕掛けなのか見当もつかないが、首輪を通じてそれが分かる――いや、無理やり分からされているといったところか。それが吐き気を伴う嫌悪感となり、胸を満たしていく。
「そろそろ目的を教えてください。まさか、あなた方の自滅につきあわされているわけではないでしょうね?」
状況を把握し、気持ちを切り替えるために、レネはダメ元でリオーダスに問いかけた。
「まさか」
リオーダスは前方に視線を向けたまま、口元に嘲笑を浮かべた。
「それでは、我々の目的を少しだけお伝えしましょう――
まず、その首輪についてですね。我々はそれを『アルバベールの首輪』と呼んでいます。協力者からは、その首輪には『魔物を操る効果がある』とだけ説明を受けておりました。実際は魔物を引き寄せるだけの代物だったようですね。それはそれとして、こうして魔物の群れを率いることができているのは事実ですから、協力者には感謝しておりますが」
レネは外れない首輪にそっと触れ、その冷たさが肌を刺すように感じた。そして同時に気づく。この首輪を彼らに渡した黒幕が背後にいるのだ。さらに致命的なのは、この首輪の使い方や性能を、彼ら自身も把握していないらしい。恐らく――いや、間違いなく、外し方も知らないだろう。
「何にせよ、魔物の群れという強力な軍隊を手に入れることができました。そこは予定通りです」
しかし、リオーダスがこんなにあっさりと企みを口にするとは意外だった。興奮して口が軽くなっているのか、それとも、レネに伝えたところで何の問題もないという確信があるのか。あるいは、その両方か。
「それで? 目的は戦争ですか?」
レネは軽蔑の意味を込めた冷たい視線をリオーダスに向ける。それを背中に受けた当の本人は、愉快そうに頷いて返した。
「そうです。戦争を始めます。まずはエンサリア共和国の病巣のひとつであるオルティリスの街に、この魔物の群れをぶつけます。それが今回の作戦の最初の目的です」
「正気ですか! あの街に住むのは殆ど庶民と観光客じゃないですか!」
「エンサリアの文化は見世物ではありません。それに庶民とは言え、その大半は堕落した元貴族と、その従者ばかり。あの街は、金持ちどもの快楽にまみれた、この国の汚点なのです」
レネは息を詰め、背後で微かに響くゴブリンの足音を聞きながらリオーダスを睨みつけた。
「おやめなさい。自分勝手な想像で他者を貶めるなんて」
「違いますね。私はそもそも、オルティリスの元貴族です。だからこそ、分かるんですよ。
失われた誇りを! 汚れた金を! あの忌々しい日々を――すべて無に帰す!」
素の口調になったリオーダスの声が低い唸りとなり、言葉のたびに周囲の霧が震えるように感じられた。彼の目には過去の傷と憎悪が浮かび、どこか遠い場所を見つめているようだった。
――つまり、私怨ではないか。
レネは革命の闘士という仮面の裏に潜む、この男の狂気を感じ取り、体を震わせた。
「これは、麻酔のない、痛みを伴う外科手術のようなものです。そして、病巣を取り除いた跡地に『アルバベール自由都市』を築きます。レネ女史、あなたという女神の力によって!」
リオーダスは一瞬虚空を見上げると、芝居じみた口調で笑い声を響かせた。その笑いはどこか空虚で、薄ら寒さを感じさせる。
「それで? この首輪の力を止められない私は、さながら破壊の女神といったところでしょうか?」
「はっ?」
急に笑うのを止めたリオーダスが、恐る恐るレネに青ざめた顔で振り返った。その唇が微かに震え、視線は首輪の光に釘付けになっている。
「少なくとも、私は止め方を知りませんよ。言われたとおりに魔力を込めてからは、私の意思とは無関係に動いています」
レネは余裕を見せつけるように、くいっと顎を上げて青白く光る首輪を示した。その不気味な光に照らされたリオーダスの顔は、さらに不安げに青白く染まる。
「その反応……やはり、あなたも止め方をご存じないようですね?
この首輪がどんな物かも知らなかったとおっしゃっていた時点で、そうじゃないかと思いましたが」
「……御冗談、ですよね?」
その問いに、レネは哀れみを含んだ笑顔で首を横に振った。
「オルティリスに到着したところで、ゴブリンの群れは逃げる私達を追い続けるでしょうね。あなたの企みは、最初から失敗してたんですよ」
リオーダスの顔がみるみる怒りに真っ赤に染まり、手綱を持つ手が震える。
「ギ、ギギギギギ……ギース!!!
はかったな!!! 使用者ならば、止め方も分かると……くそ! くそっ!!」
リオーダスの怒りの声が森に響き渡る。ヴェロークが主の激しい声に反応して速度を上げた。
ゴブリンの群れは静かに、だが着実に数を増やしていく。霧の奥から響く足音が地鳴りとなり、津波のようにアルバベール自由同盟の闘士たちへと迫りつつあった。群れの中には倒れた仲間を踏み越えて進む者もおり、その動きは生ける屍のように機械的で、不気味だった。




