第006話「いりますよね、エビデンス!(前編)」
マンションの玄関ドアを開けた尾本は硬直した。
「おはようございます、尾本さん」
純白のローブを身にまとった異世界の女神――フェルネスが、まるでお隣の部屋に醤油でも借りにきたかのように、ごく自然に玄関先に立っている。
「おはようございます、女神様……って、んんんんん?!」
「何なんですか、朝っぱらから気持ちの悪い声をあげて……」
女神は、神聖なオーラを身にまといつつ怪訝そうに眉をひそめる。
「え? いや、なんで?」
「なんでって……体重計を持ってきたんですが?」
そういうと、女神は手に持っていた体重計を押し付ける。
うん。至って普通のデジタル体重計だ。見たことがある国内メーカーロゴもちゃんと付いている。
「いやいやいや! どうしてこっちに?」
「そりゃあ、こっちの世界の住人をあっちの世界に送れるんですから……逆もまた然り?」
女神が自分でそう言いながらも、ゆっくりと首を傾げる。
「え? そんなふわっとした感じでこっちにくるの?
納得できるような……できんような……」
早朝のマンションの静けさの中、玄関先で繰り広げられる異世界的やり取りに、新聞配達員が一瞬こちらを見て……何事もなかったかのように足早に去っていく。
――それでいいのかよ? 驚いてるの、俺だけかよ?
思わず、心の中でツッコんだ。
「そんな事より、時間がありません!」
女神の表情に、わずかに焦りの色が見える。
「異世界がピンチで時間がない、的な?」
「いえ。尾本さんの出勤時間と、私の登校時間が迫っています」
思わず頭を抱えた。
「登校時間って……女神様、まさかの学生さん?」
「誰のせいだと思ってるんですか」
そういうと、女神は腕を組んで仁王立ちになる。少しお怒りのようだ。
「俺のせいだとおっしゃる?」
「そうです。尾本さんの昨日の食生活を見て、私は思いました。
――これは栄養管理と食事指導が必要なのだと」
突然、女神の身体が光を放ち、どこからともなくチャペルの鐘の音が鳴り響いた。
どうやら神格が上がったらしい。
「はあ」
尾本はため息とも取れる間の抜けた返事をした。
「そもそも、尾本さんの食生活には色々と言いたいことがあります」
「聞きたくねー」
「しかし、素人の私が色々と言ったとしても、尾本さんとしては根拠……エビデンスが欲しいでしょう?」
「いえ、別に」
「そうですよね! いりますよね、エビデンス!」
女神がぐっと身を乗り出し、目を輝かせる。
「あれ? これって俺が首を縦に振らないと先に進まない流れ?」
「それで今日から管理栄養士になるべく四年制大学に通うと決めた所存です。昨日はそのための準備やらで大変だったんですよ」
「ああ、今朝の夢で『疲れた』とか言ってたの、それのせい?」
「よく覚えてますね。まあ、そういうことです。女神の力で戸籍やら大学に通っているという設定やら、これまでの出席日数やらはなんとかなったんですが……肝心の4月から今日までの分の勉強の中身とかはさすがにどうにもならなくてですね。楽はできませんね」
女神は、うんうんと大きくうなずく。
「つか、中学生じゃなくて大学生なんですね」
「なんか言いました?」
女神がニッコリとにらみつけてくる。
「……何もないです。しかし、髪の色はともかくその格好で登校するんですか?」
「ああ、こんなものは――魔法を使ってこうすればいいんです」
フェルネスが金色の髪を片手でかきあげると、淡い光の粒がふわりと舞い、サラサラとした黒髪へと変わる。それに伴い、彼女の純白のローブは、優しく風に揺れながらシンプルな白のカーディガンとブルーのワンピースへと変化し――
最終的に『どこにでもいそうな大学生』といった雰囲気へと、その姿を変えた。
「目や髪の色どころか服装まで変えられるんだ。魔法って便利だなあ」
尾本は目を丸くする。
手品はともかく、魔法は生まれて初めて見たかもしれない。
……当然だが。
「魔法もそこまで便利じゃないんですよ。例えばお金はさすがに魔法では生み出せないんですよね。なので最近はこっちでバイト三昧です」
女神は困ったように肩をすくめるが、その口角は「もっと聞いて!」と言わんばかりに上がっていた。




