第110話「ウチとデートしようぜ〜!」
オウリィ・カラドグラム商会の軽馬車が南エンサリア砦を出発し、一日が経過していた。
曇天の下、空はどんよりと重く、薄い雲に太陽の光が遮られている。
馬車三台が並走できそうな広い街道は、舗装こそされていないものの国家間を繋ぐ大陸の大動脈だ。平坦に踏みならされており、馬車が揺れることはほとんどない。
街道の左右には、背の高い広葉樹の森がどこまでも続いている。木々は間隔を開け、太い幹が高く空を突き刺すように立ち並んでいた。加えて、植物の多様性は明らかに少ないようで、昨日から景色がまったく変わらず、本当に馬車は前に進んでいるのかという不安が込み上げてくる。
そして、変わり映えしない景色の他に、リュシアンの不安とストレスを強くする要因がひとつ。馬車の向かい側に座るシャルルのことだ。
膝の上に猫のぬいぐるみのような謎の使い魔ペローを乗せている姿はとても可愛らしい。猫耳が飛び出した帽子の上に、小鳥のボンボンを乗せていることが、さらに可憐さを引き立てていると思う。そして、退屈そうに欠伸をした時に口元から覗く白く小さな牙は、芸術的という表現では何かが足りない。
そんな美しい少女が目の前に座っているだけで、もう何もかもが満ち足りているはずなのに……はずなのに
――なぜ、隣に座る勇者アヤトの腕に手を回しているのか。そこにいるのが自分だったら良かったのに!
「アイリスさん、本当に勘弁してください」
アヤトの顔は真っ青だ。恐らく馬車酔いしたのだろう。情けないとは思うが、むしろありがたい。
その調子で、どんどんシャルルからの評価を下げるがいい。
それにしても、シャルル・アイリス――じつに彼女に似合う美しい響きを持った異国の名前だと思う。恐らく花の名前に違いない。絶対にそうだ。異世界には「シャルル」という名の美しい花が咲き乱れているのだろう。そう言えば、ネコ耳族王家の末席に連なるとか言っていたか。アイリス家というのだろうか。何にしろ、名前までが気品と愛らしさを兼ね備えているとは、存在そのものが尊い。しかし、どうしてアヤトはシャルルを「アイリス」という家名で呼ぶのだろう?
――そうか! わかった!
彼らはそもそもそういう関係なのだ。家名で呼び合う程度の、仕事仲間。ただそれだけの関係に違いない。そう考えれば、少しは溜飲も下がるというものだ。
「なんで~? ウチとアヤトはいつもこの距離だったじゃん?」
そう言って、シャルルはアヤトの腕に頭を擦り付ける。
――うん、違うな。まるで違う。そもそも、そんなことで妥協している場合じゃない。よし、アヤトは倒す。いつか倒す。絶対倒す。必ず倒す。
笑顔のリュシアンの瞳の奥に冷たいものが走り抜ける。その冷たい殺気に反応したのか、アヤトが派手に体を震わせた。
「この距離って……それは星詠みの剣として帯刀してた時の話じゃないですか」
「知らんしー ウチはウチだしー 退屈なだけだしー」
シャルルがアヤトの腕に絡みついたまま、もう一度、退屈そうに欠伸をする。
度々、アヤトとシャルルの間だけで通じる謎の単語や話題が飛び交うことも、リュシアンのフラストレーションを高めていた。何なんだ、その星詠みの剣の時とは? どんな時だ?
リュシアンは、こめかみに浮かぶ血管を感じながら、出発前に無理矢理一晩で作らせた耐熱耐火機能を搭載した剣を、まるで命綱のように抱きしめた。シャルルの気を引くために今の自分にできるのは、「剣を大事にする男」という好印象を与えることだけだ。そろそろ愛剣を磨くか。
その時、オウリィが苦笑いしながら、思いがけない提案を口にした。
「シャルル様の退屈しのぎになるか分かりませんが……
まもなくオルティリスという街に到着します。魔物や野盗にも遭遇することなく旅は順調に進んでいますし、休憩がてら食事をしていくというのはどうでしょう?」
「それって、どんな街~? 美味しいものあるの〜?」
眠そうに目をこすりながらシャルルが尋ねる。
「人口は凡そ一万人程度の小さな街ではありますが、エンサリア共和国の中では歴史ある街ですよ。廃止された貴族制度の名残として、かつての貴族が住んでいた豪華な館や邸宅が観光地として開放されています。それと、そういった建物を再利用した美術館や宿屋、それに料理店や菓子店があります。舌が肥えた商人たちの間でも忖度なく美味であると有名です。ただし、そういった名店は事前予約が必須でして、急に行っても入れるかどうか――」
シャルルが〝料理店や菓子店〟という言葉に猫耳をピクリと動かすのを、リュシアンは見逃さなかった。ついでにシャルルの頭の上で寝ていた白い小鳥もピクリと動く。オウリィが細い目を僅かに開き、何やらリュシアンに合図を送っている事にも気づいた。
――そうか! そういう事か!
リュシアンが〝その事〟に気づいた瞬間、オウリィは黙って小さく頷いた。実に優秀な商人だ。馬車に乗り込む際に、シャルルではなくオウリィが隣に座ってきた件については、これで完全に許すことにした。
「なるほど。では、私に任せてくれ。共和国軍の士官特権を使えば、そういった店にも予約をねじ込む事が可能だ」
リュシアンは余裕の表情でシャルルを見やる。シャルルの緑色の瞳が輝き、黒い猫耳と尻尾が忙しなく揺れている。なんと愛らしい。
「なんと! それは本当ですか?!」
オウリィがわざとらしく言葉を繋げる。よしよし、この商人は今後は贔屓にしてやろう。
「実はここだけの話なのだがな。軍務で急な会合や会食を設けなければならない事態に備え、我が国の高級な料理店には軍属専用の席が必ず確保されているのだ」
「流石です、リュシアン隊長! いやはや、まさに選ばれし者といったところでしょうか」
オウリィのわざとらしいおべっかに、リュシアンはさらに余裕の表情を見せた。
どうだ。勇者と言えど、アヤトにはこのような特権は真似できまい。
リュシアンの晴れ渡る気持ちに応えるように、馬車は長い森を抜けた。
麦畑がどこまでも続き、風に撫でられた黄金の波が揺れている。その風の行き着く先には、低く残された古い城壁と、大小様々な石造りの館が見えた。
――オルティリスの街。
貴族制度が廃止された後も、気品を残した石造りの建造群が街全体に優雅な彩りを添えている。その城壁には貴族の紋章旗を模したタペストリーが飾られ、訪れる者に静かな威厳を与えていた。
初めて訪れる街だが、これほど趣深い景色を前にすれば確信できる。ここには、シャルルが喜ぶ料理が待っているに違いない。
「あの……そのお店には、私も同席してもいいのでしょうか?」
馬車を操る御者に徹していたエリサが、おずおずと視線だけ向けて尋ねる。
オウリィは身振り手振りで〝それは・絶対に・ダメ〟とサインを送るが、エリサはそれを了承の意味と見事に勘違いし「やった!」と拳を握りしめ、小さく喜びの声を上げた。馬車の速度も微妙に上がる。
「無論、俺も行く。絶対に行く」
置物と化していると思われていたペローが渋い声で反応し、オウリィに親指を立てる。
そして、料理という単語に思うところがあったのか、シャルルの頭の上に鎮座していた白い小鳥が踊るように左右に身体を揺らしていた。
「えっと……では、到着しましたら一刻(約二時間)だけ、休憩しましょう」
全てを諦めたオウリィが、リュシアンから視線を反らしながら誰にともなく告げる。あたかも「最初からみんなで行く予定でしたよ」と言わんばかりの態度だ。
――これだから商人というやつは!
「よし! 行くぞ、アヤト~! ウチとデートしようぜ〜!」
そして、嬉しそうにシャルルがアヤトの腕に抱きつくのを見て、リュシアンは口から魂が抜けるような感覚を味わった。それと、何故だか、アヤトの口からも魂が抜けていくような錯覚が見えた気がした。




