嵐ヶ浜 後編
「嘘だろ……嘘だ……」
ロイヤーは悪夢のような走馬灯が夢ではなかった事にわなわなとし始めた。
疑えなかったと言うべきか。自分が死ぬはずだったのに彼が死んでしまうなど、そんなことがあっていいわけがない。
「こ、これは悪い夢だ。やっぱり僕は死んだんだ」
ロイヤーは世迷言を吐き始めた。
ミリーは何も言わない。何も言えない。
だが、ミリーが何かを発する必要もなかった。落ちてきた体は導かれるようにロイヤーの腕の中に降りてきた。
ジェームズは目を閉じて、安らかに眠っているようだった。
まだほんの僅かに温い。
雨で体が冷やされても、芯にはまだ生命の熱がいた。
「きっ、救急に向かってくれ!」
ロイヤーがミリーに懇願する。
だが、ミリーは振り向きもせず、救急にも向かわなかった。
彼女はジェームズの体が風の刃によって、袈裟斬りのように大傷を負ったのを目の前で見ていた。
故に助からないことは分かっている。
「まだ生きているんだ!頼む!まだ助かるんだよ!」
「悪いけど……その人は助からない」
「なんだよそれ……見捨てるのか!?まだ生きてるんだぞ!」
「地上に着く頃には死んでる……よく見て、その体。もうそろそろ血が出てないんじゃない?」
ミリーの声は震えていた。
ロイヤーが確認すると僅かに出てはいるが、先のような勢いはない。
血液が固まったのだ。
このままでは血管を塞ぐだろうし、どっちみちあれだけ出血してしまったなら大量出血で助からない。
そんなことはわかってる。だが──
「お願いだ……。助けて……この人を……助けてよ……」
ロイヤーは懇願する。力なく、縋るように──。
そんなことをしているうちに地上に着いた。
ミリーはほうきから降りて後ろを確認したが、着地したというのにロイヤーはジェームズを抱えたまま動かない。
ジェームズの目元には深いクマが浮かび始めていて、細胞の再生成が細胞の大量死に追いつかないことを示していた。
「……ねぇ──」
「まだだ。まだ……温かいんだ。まだ……生きてるんだ」
「あの──」
「触れてみてくれよ。外は冷たいかもしれない。でもじんわりと温かいだろう?なぁ、まだ生きてるんだ」
ロイヤーがジェームズの遺体の手を差し出してみせる。
ミリーは恐る恐る触れてみる。
そうすれば、この雨に打たれて冷えた自分の手が太陽のように温かい。
そう感じるほど、ジェームズの手からは温度が消えていた。
「とても……冷たい……」
「……嘘だ」
「嘘じゃない」
「嘘だ!こんな簡単に人が死ぬなんて……魔法使いは絶対なんだ……ドラゴンに勝てるはずなんだ……」
ロイヤーは幼き日に夢見て、捨て去ったはずの思想にさえ縋った。
それほど、彼の死という事実を受け入れられなかった。
雨が強く降っている。
そして奇跡が起こる。
「ロ……イヤー……」
死にゆくジェームズは一瞬だけ生命を取り戻す。
「喋るな!やっぱり生きているじゃないか!死ぬなんて嘘だったんだ!さあ、早く救急へ──」
だが、ジェームズが動揺したロイヤーの左手の裾を少し引っ張ると、その弱すぎる力が言葉を使わずとも助からないことを教えてくれる。
「……」
ロイヤーは絶句した。いや、ようやく現実が見えた。
「……ごめんなさい…………僕は……人殺しだ……」
雨に打たれたロイヤーの顔は濡れていた。
だがジェームズは、今際の際だというのにそんなことはどうでもよさそうな、穏やかな表情をしていた。
「」
死にかけのジェームズは雨音の中でなにかを呟く。
なにを言ったのかは、雨音のせいで聞こえない。
だが僅かにそう動いた唇から、ロイヤーは彼の遺言を聞き取った。
「魔法石の……声を聞け?」
ロイヤーはなにを言っているのか理解できなかった。
だが気づいた時には、身体が引き寄せられるように彼のライフルを握っていた。
雨の中だというのに、ライフルに飾られた宝石は光を当てられたような艶やかに輝きを放っていた。
しかし──
「声なんて……なにも聞こえない……」
ロイヤーは心が折れそうになる。
自分の無力さを痛感した。
自分の力を過信してドラゴンに挑んで、自分のミスからジェームズを殺してしまった。
その上彼の託した意思さえも無駄にしてしまう。
そんな自分に情けなさや悔しさを覚えた。
「ねえ……彼はなんて言っていたの?」
ミリーが問いかける。
だが、ロイヤーは顔を伏せているままだ。
「ねえ!」
ミリーは大雨風の中でも聞こえるように、少し大きな声を出した。
手も声も震えている。
「ここで動かなきゃ……なにも上手くいかないよ?」
「それがどうした。僕は分からない。魔法石の声ってなんだよ!」
八つ当たり口調にロイヤーがそう漏らす。
不甲斐なさの矛先を静寂を破った彼女にぶつける他なかったからだ。
「あなた……声が聞こえないの?その……魔法石の」
「君には聞こえるのかい?」
「……聞こえる。私の尊敬する人は聞こえなかったけど……彼の右腕でいたかったから」
その言葉を聞いて、ロイヤーはライフルを彼女に差し出した。
「声を……聞いてくれないか?」
「……分かったわ」
彼は幼い頃から人に頼らず生きてきたので、人の頼り方にもぎこちなさがあった。
だがそこで色々言っている場合でもない。
彼女は意識を研ぎ澄ました。
そして、しばらくの間嵐の音だけが静寂の中で唸っていた。
彼女が再び目を開ける。
雨の中、顔中が濡れているのに、彼女が拭ったのは何故かずっと目元だけだった。
「魔法石は、なんて?」
ロイヤーが尋ねると、ミリーはライフルを彼に私ながら魔法石の話を伝えた。
「あの子、泣いてた。ジェームズさんが死んで……」
ロイヤーはしゅんとする。自責の念が強くなる。
「でも、あなたを恨んではいなかった……それだけじゃない。覚悟を決めていた。大切な人を奪ったあのドラゴンを絶対倒すって」
その言葉を聞いて、ロイヤーは吹っ切れた。
ライフルを握る力が一段と強くなる。
このライフルは自分と同じだ。あのハリケーンを倒すことが敵討ちになる。
「すいません、銃の腕前は?」
「ライフルは何発かはやったことあるけど……自信はない。でも、魔法なら大得意」
「一発、撃ってみて貰えませんか?」
「え?……えぇ、分かった」
ミリーはライフルを受け取り、一発撃ってみせる。
しかし、そもそもドラゴンまで届かない。
だが、ロイヤーはそれも折り込み済み──それどころか、そうなることが計算通りという表情をした。
「東方向へ風速八十二・三ノット。進行方向北北東。進行速度十三・六七マイル」
ロイヤーはその弾道の出力や進行方向からハリケーンの性質を分析し、それを口に出してより精密にインプットする。
その姿を見たミリーは正気の沙汰ではないと感じるが、どこかこの慎重さが懐かしかった。
「ここだ」
この世の分子運動全てを理解したようにハリケーンの分析を済ませると、ロイヤーが体勢をライフルを撃つ時のものに変える。
一息吐いて引き金に指をかけ、いつでも撃てる状態にする。
だがまだ撃たない。なにかを待っている。
そのなにかの正体は分からないが、これこそが魔法石の声なのかもしれない。
ロイヤーは意識を研ぎ澄ませて、その声を待ち続けた。
その間にも気持ちが入っていくように、ライフルには魔力が充填されていく。
彼の気持ちが最大化するその瞬間──世界は静寂に包まれる。雨の音も風の音もなにも聞こえない。
ただ一つを除いて。
「今だっ!」
誰かの叫び声だ。声の正体は誰か分からない。
だが、心の中でその声が響いて、その声とコンマ数秒の差すらないほどの完璧なタイミングで、ロイヤーの指は引き金を引いていた。
会心の一撃だ。放たれたのは今まで見たこともないような燦然と輝くライフルの実弾大の魔法。
その煌々とする姿はさながら星が空へ帰るようだった。
風に流されながらもその魔法はドラゴンを目指す。
だが、ほんの僅かに風上方向に逸れていた。この外れ方はドラゴンの右端。そこへ向かってしまっている。
「これじゃ当たらない!」
ミリーが叫んだ次の瞬間だ。
「いや、僕は……超える!」
そうロイヤーが意識すると、ドラゴンの手前で魔法が風下の方向へグッとズレる。
自分の悪癖さえも克服した完璧な制御だ。
完璧な制御を伴ったその渾身の一撃は、そのままドラゴンの巨大な体に命中する。
「ぼわあああああぁぁ!!」
痛恨の一撃。それは、かの巨大なドラゴンであっても存在するものであった。
高威力の弾道が、自らの急所を狙い済ましたかのように攻撃してきた。
そして反応速度の遅れる手元での急な変化が合わさって、ドラゴンは墜落する。
神の来訪のようにその姿を覗かせていた二十メートル級のドラゴンは、自ら引き連れていた雲を散らせて、ポートランド島沖の浅瀬に堕天した。




