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散歩で拾った「箱」—エンディングロールは、ふたりで  作者: 輝


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第16話 散歩コースの分岐点

 六月の中旬、土曜の夕方。アーケードの天井を叩く風鈴の音が、いつもより賑やかに聞こえた。商店街の入口に置かれた大きな“ありがとう箱”は、ふたが閉まらないほど紙が盛り上がっている。紙の角が花びらみたいに折れて、誰かの「助かった」が外へはみ出していた。


 カフェの閉店札を裏返し、まおは箱を両腕で抱えた。重みが胸にずしりと来る。レジ横のカウンターに載せると、底が木に当たって鈍い音がした。

 「……これ、入れすぎじゃない?」

 「入れる側は、軽いから」

 快が言いながら、ゴム手袋をまおに差し出す。彼は自分の分を先に着けない。先に相手の指先を守る。


 真潤が店の奥から、紙ひもと空き箱を持って出てきた。

 「満杯になったら整理するって、最初に決めたの誰だっけ」

 「……私。勢いで」

 まおが言うと、真潤は肩をすくめた。勢いを笑わない顔だ。


 快は箱の前で、指を止めた。まおにはわかる。昨夜の電話のあとから、彼の視線は水面みたいに揺れている。返事を先延ばしにする癖が、ここでも顔を出す。

 「快くん、手、出して」

 「うん。……出す」

 返事は短いのに、手はまだ動かない。


 まおは胸の内に、置いていかれる怖さが戻ってくるのを感じた。声にすると荒れるから、黙って箱のふたを開けた。紙の匂いがふわっと立つ。店の匂いとは違う、外の人の匂い。


 仕分けは単純だ。宛名があるもの、ないもの。店への感謝、誰か個人への感謝。まおが読み上げ、真潤が種類ごとに束ね、快が折り目を揃えていく。三人の手が、自然に役割を作っていった。


 「『コロッケ屋さんへ、いつも熱々ありがとう』」

 「はい、食べ物列」

 「列って言うな」

 真潤が突っ込むと、まおが笑いそうになる。笑うと緊張がほどける。ほどけた隙に、まおの視線が快に滑った。快は紙を揃える手だけが異様に丁寧で、顔はどこか遠い。


 紙束の中から、同じ文言が続けて出てきた。

 「……『編集の快さんへ、ありがとう』」

 まおが言った瞬間、快の指が止まった。止まったのに、手袋のゴムがきしむ音だけがした。


 「それ、俺じゃなくて……編集って書いてあるだけだし」

 快は笑い方を探すみたいに口角を上げた。いつもの“応援”の笑いだ。主役を他人に渡すための笑い。

 真潤が、紙束を机に置いた。

 「名前、書いてある」

 短い言葉が、逃げ道を塞ぐ。


 まおは次の紙を開いた。文字が丸い。たぶん年配の人だ。

 「『エンディングロールで見ました。編集の快さん、あの夜の散歩の音、好きでした』」

 快の肩が、目に見えないほど揺れた。昨夜、彼が拾ったのは映像じゃない。音だった。まおの声、靴音、犬の鈴。見えないものを並べるのが、彼の仕事だ。


 真潤が、束ねた紙を快の前へ押し出した。

 「ほら。名前が誰かを支えてる」

 快は受け取ろうとして、指が宙で止まった。受け取ったら、支える側から降りるみたいで怖いのだろう。まおはその指先を見て、思わず小箱のことを思い出した。ふたに「ありがとう」と印字された、手のひらサイズの白い箱。あれも、拾ったのに持ち主みたいな顔をして、ずっと快の鞄にいた。


 そのとき、快の目が一瞬だけ泳ぎ、どこかを見た。まおにはわかった。頭の中で“別の道”を歩いている。

 「引っ越しの段取り、先に考えたら楽かな。提供:段ボール箱……」

 「ちょ、待って。今、段ボールに提供つけた?」

 まおが素で言うと、真潤が鼻で笑った。

 「段ボールに負けるな。快」

 快はようやく息を吐き、紙束を受け取った。指先が少し震えているのに、折り目だけは崩さない。


 まおは、次の紙を開き、読む声をわざと柔らかくした。

 「『編集の快さんへ。画面の端っこにいたのに、最後まで見届けてくれてありがとうございました』」

 まおの喉の奥が熱くなる。端っこにいたのは、たぶん快だ。いつも自分の分を空欄にしてきた人。


 快は紙束の上に、手のひらをそっと載せた。押さえるでもなく、抱えるでもなく、ただそこに置く。受け取っていい、と自分に言い聞かせるみたいに。

 「……ありがとう」

 声が小さい。だから、まおは聞き逃さない。


 外が暗くなり、商店街の照明が一段明るくなったころ、仕分けの最後の束ができた。真潤が紙ひもで結び、端をきゅっと引いた。

 「で。電話の件。黙ってるの、やめろ」

 真潤は目だけで言う。声じゃなくて目で、逃げ道を塞ぐ。


 快は返事を探して、また笑いに逃げかけた。まおは先に言葉を出した。早口にならないように、呼吸を整えて。

 「快くん、どこへ行っても応援する、って言う?」

 快の視線が、まおの目に戻る。戻った瞬間、まおの胸が痛む。ああ、今も置いていかれるのが怖い、と自分でわかる。


 まおはカウンターの下で、指を握りしめた。爪が食い込む痛みで、声の震えを抑える。

 「……でも、それで空欄のままなら、嫌だ」

 快が何か言おうとして、言葉が喉で止まった。


 まおは紙束の上の、快の手のひらを見た。受け取った手だ。受け取ったのなら、次は——。

 「快くんの名前、空欄にしないで」



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