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二五. おしえて

 


 二五.




「おやまあ、トワイライト。本当に女子(おなご)を囲ってしまうとはの」


 買い物を済ませ、裏路地街に戻ってきたトワイライトたちは、折よく青燐(せいりん)堂の軒先で煙管(キセル)(くゆ)らせていたハルと鉢合わせた。

 ハルは休憩中か端に客が入っていないのか、胸元が大きく開いた薄手の旗袍(ドレス)に直接白衣を羽織ったままの出で立ちである。甘い流し眼が黄昏色の瞳を射抜く。女は立ち上がると艶めかしくも優雅な動作でトワイライトたちのほうへ歩み寄ってきた。素馨(そけい)の香りが鼻孔を(くすぐ)る。

 ハルがすぐ近くまで来ると、ブルーはトワイライトの後ろに隠れてしまった。恥ずかしいのか怖気づいたのか、この娘らしくない態度だった。

 一方のハルは、興味津津といった表情でブルーを見つめている。といっても彼女のそれは意地悪な目つきではなく、どこか親しみを感じさせる温かい眼差しだった。ハルはハルなりにこの娘を安心させようとしているらしい。


「べつに囲っていないし、これはそういうのじゃないンだよ」

「そのわりにはしっかり手なんか繋ぎよって。微笑ましいことぢゃ」

「あれあれぇ? 羨ましいのかなァ、ハルゥ」

「阿呆めが」

「まぁなんつーか、手をつないでいるのは強制連行中なだけだ。さっきこいつ、向こうになんかすごいのがっ!とか言って飛び出していきやがったンだよ……中環通りの車道になァ……」


 悪夢を見たといわんばかりの惨憺(さんたん)たる表情をしてみせれば、さすがのハルも視線に哀れみの色を混ぜてきた。

 中環通りは黒数市街地においても交通量の一際多い通りである。そこにあの嵐のような踏み込みと勢いでタックルをかまされれば、人も車ももちろんブルー自身もひとたまりもないだろう。ついでに引きずられる形で巻き込まれるトワイライトだってただでは済まない。

 実際ただでは済まなかったのだが。


「……それは難儀じゃったのう。よく無事でここまで戻ったな」

「おれ自身も今生きていることがちょっとだけ信じらんないよ。目をつぶるとトラックが目の前に、あっやめて、ひぃぃ、こないでこないで、転生! 転生しちゃう!!」

「よくわからぬが深刻なトラウマを追ってしまったようでお気の毒じゃな。しかし前置きはさておき、早くこのお嬢ちゃんを紹介してくれんかや?」


 トワイライトの供述などどこ吹く風と聞き流し、ハルは愉快そうに微笑んだ。指に掲げていた煙管を咥え、わざとらしく紫煙を吐きかけてくる。

 トワイライトの身に降りかかった面倒事も、彼女にとっては単なる暇つぶしのネタでしかないようだ。


「あー。ブルー、この(ひと)がさっき言ってたハルだよ」

「さっき言っておった、とは?」


 ハルが笑顔のまま問いかけてくる。その眼だけが笑っておらず、「貴様なにを喋った?」と視線だけで殺せそうな圧力をかけてきている。


「なァに、魂消るような美人って言っただけさ」

「……こわいおんなとも言っていた」

「ほ。お嬢ちゃんは正直で良い子じゃの。のう、トワイライト? あとで覚えておれよ」

「ほんの冗談だって。ともかくブルー、おまえの着ている服はだいたいがハルのお下がりだ。一応お礼をいっておけよ。でもってハル、この娘が例の迷宮の……」

「ブルーじゃな? よろしく、お嬢ちゃん」

「……よ、ヨロシク」


 トワイライトの後方から顔を覗かせ、戸惑いながらブルーも挨拶を返す。前途は多難そうだ。この場はブルーより大人であるハルにまかせるしかないだろう。そして、歩み寄ったのはやはりハルのほうからだった。


「とても可愛らしい子じゃの。その髪はトワイにやってもらったのかえ?」

「……うん」

「トワイは女たらしゆえ、こういうことばっかり得意じゃからの。だが、ちょっと飾りが曲がっておるな。こういった細部に性格の歪みが出てしまっておるのが残念な男のしるしじゃ」

「あーまたひどいこと言うンだァ~」

「どれ、直してやろう。ほれほれ、もっとちこう寄れ」


 ハルはブルーの髪にそっと触れると、ロータスの髪飾りを括り直してやった。そして、その直後、ふいにぎゅうっとブルーの頭を抱きしめた。ブルーにもトワイライトにも予想できない動きだった。


地上(うつしよ)へようこそ、なのじゃ」


 ブルーは目をまん丸くして洗いたての猫のようにたじろいでいたが、やがて何かに思い至ったかのように穏やかで凪いだ表情になった。


「……アリガトウ。おねえさんは」

「うん?」

「トクベツなのか。トワイライトの、トクベツなひと」

「なっ――」


 トワイライトとハル、一瞬二人の声が重なり、先にまともな言葉としてそれを発したのはハルのほうだった。


「きゅ、急になにを、いう、のじゃ?」

「そうだねっ、別におれは全然特別とか思ってないしィ!? ッいって、なして叩くのハル!?」

「おねえさんがブルーを触っても、トワイライトは怒らなかった。だから、トクベツ」


 そうだった。往来や店でブルーに近づき触れようとする者があれば、トワイライトは険呑な笑みで迎撃し、遠ざけた。また腰や肩を引き寄せて自分のものであることを印象づけたり、実際に「ごめんねぇ、これはおれのなの」などといって威嚇することもあった。

 そのような態度から、抱いた独占欲や庇護心がブルーにも伝わっていたのだろう。そしてそれが逆説的にハルへの態度の違いを浮き彫りにさせたともいえる。

 それにしたって「トクベツ」などとブルーの口から言われるとどうしてよいのか分からなくなってしまう。おまけにブルー自身が何をどうトクベツとして捉えているのかも謎である。

 なにより、ハルへの感情を一番測りかねているのはトワイライト自身だ。だが、他者によって自分の感情や他人への態度を規定されても腹立たしくもなんともないのは珍しいことだった。


「なんつーか、ほんとうに()い娘じゃのぅ。のう、お嬢ちゃん」

「ぐぎゅぎゅむぅ」


 気がつくと眼前では、ブルーがハルの抱擁とそれに伴う暴れ乳によってまにょまにょにされていた。ブルーの眼が与えられる膨大な快楽情報でぐるぐると渦を巻きはじめている。


「この際もうなんでもいいんだが、とりあえずブルーはそろそろ怒ってもいいと思うよ」

「だいじょうぶダ。なにかこうだんだん気持ちよくなってキタ……これが、この世の楽土ナノカ?」


 ブルーはブルーで新しい感情の扉を開けようとしているらしかったが、できればもう少し健全な方向に目覚めてほしいと願わずにはいられぬトワイライトであった。


「たいぶ話が逸れちまったが、ハルよ。こういう状況なんで、ちょっとそこの薬房に仕入れに行く間、こいつの様子をみてやってくれないかね」

「それならお安い御用じゃよ。お嬢ちゃん、氷菓子は好きかえ?」

「……こおり、がし?」


 ハルはニッコリと微笑んで、ブルーを手招きした。「ついて行ってもいいノカ」とブルーの目が問うていたので、トワイライトは少女の両肩にぽんと手を置き、


「このお姐さんにエロいことされそうになったら、全力で叫べ。近所の人が多分助けてくれる」

「わかった」


 至極真面目な顔をつくって忠告した。ジト目になったハルがすぐに反論を返してくる。


「のう、おぬしらはわたしをなんだと思っておるのじゃ?」

「おれは常日頃から近所のアブねー女だと思っているけれども。結構見境ないだろ、オマエ」

「それなら、むしろおぬしの方こそ全身で反面教師っぷりを体現しておるではないか」

「ああン?」

「トワイこそ、暴力と淫蕩の限りを尽くす不埒極まりない悪魔じゃろ。外面は最高級、立ち振る舞いのよさもあいまって余計に性質(タチ)が悪い。女遊びに乱れた服装、全身刺青。気まぐれで、コレといった行動原理もない。仕事じゃ闇手術に明け暮れて、人体改造、解体、損壊に標本蒐集(しゅうしゅう)と、どす黒い裏稼業で血塗れだ。存在自体がお子様の教育に悪すぎじゃの」

「え、さすがにひどい言われよう……って、あのな! 仕事の話は持ち出すなよォ。つーか半分はおれがリンレイ師匠から継いだモンだろうが」

「あれよという間に経営方針が邪悪な方向に転換されて、センセイもあの世でさぞかし恨めしく思っておろうなぁ?」

「いや、あのひとお金大好きだったから逆に喜んでるか羨ましがってンじゃないの」

「む。一理あるな」

「……けんか、ヨクナイ。ナカヨク」


 あくまでも単なる日常会話なのだが、どこか不穏さを感じ取ったのか、ブルーが二人の会話に割って入った。


「やだ、可愛い! そして彫りたい!」

「わざわざ内股になンのやめろ、こわいから」


 頬を赤らめ濡れた吐息を漏らして、ハルがまたも不穏なことを呟く。トワイライトは彼女に預けると言ったことを深く後悔した。


「なんだ、そんな目でみるな。私だってさすがにこんな小娘を取って喰ったりはせぬよ? あ~でもでも、本当に素体としては極上なのじゃが……そうだな、彫るには未だ肌が若すぎるしなぁ。あと一、二年待ってもらってからというところかの。インクの浸透具合がちょうど落ち付く頃合いが、そうじゃなぁ……」

「おいこら途中から真剣な値踏みになってンぞ」

「むぅ。ほれ、早く行ってこんか。じじいが店を閉めてしまうぞ」

「じゃあくれぐれも頼んだからな。ブルーも大人しく待っていろよ。大人しくって意味わかるよな?」

「息をシナイ?」

「呼吸はしていい。あんまりうろちょろしないでねってことだ」


 念を押すとブルーはそっと頷いたが、どうだろうか。分かっていないような気もする。

 ハルに促され、トワイライトは数軒先の薬局へと走って行った。







「トワイはじきに戻るじゃろ。お嬢ちゃんはそこの長椅子に座って待っておれ」


 そう言うと、ハルはスタジオの奥に引っ込んでしまった。長い黒髪が尾のように靡いて、不思議な香りがあとに残された。嫌な匂いではなかった。

 一人残されたブルーは、軒先に置かれた赤い椅子に腰かけて賑やかな往来を眺めた。

 変なもの、きれいなもの、ゴミみたいなもの、不思議なもの。様々な様子の人々や建物が沢山あった。何を見ても面白くて、飽きることがない。ほんの少しを過ごしただけだったが、ブルーはこの街を気に入り始めていた。トワイライトが暮らす場所。それを知ることができたから。


「どうぞじゃよ」


 ハルはすぐに戻ってきた。その手には色鮮やかな袋が二つ。彼女は一つをブルーに手渡すと、隣に並ぶ形で腰掛けた。

 ハルは先に包みを開けると、氷菓子とやらを齧り始めた。桜色の氷が一片零れ落ちるが、器用に舌先で舐め取って平らげる。その様子がなぜだかとても色っぽく、そして菓子は美味しそうに見えたので、ブルーも恐る恐る食べてみる。

 歯を立てると、しゃりっとした食感と共に口の中で氷が砕け、甘酸っぱさを残しながらほろほろと溶けていく。


「……オイシイ! 冷たくて甘イ」

「良かった。安物じゃが、この菓子はわたしのお気に入りなのじゃよ」

「これはすごいおかしダナ!」


 思わず感嘆したブルーを見て、ハルはニッコリと微笑んだ。人懐っこい笑みだった。


「……ア、アリガトウ」

「どういたしましてなのじゃ」


 目の前の女性――ハルは、その凄然とした美しさや艶を帯びた佇まいから妖女のようにも見えて、最初は少し恐ろしかった。でも、本当はそんなに怖い人ではないのかもしれない。なにより、トワイライトが心を許している特別な(ひと)だ。きっと、もう少し信じてもいいのだろう。

 ブルーは隣に座る女性のことをもっとよく観察しようとした。純粋に、見たいと思った。こっそり、そしてゆっくり視線を上げていくと、目が合った。視線がぶつかった瞬間、ハルはにっこりと目を細めた。ブルー自身がずっと見られていたのだ。どうやらハルの方もこちらを気にしているらしい。


「あ……あの、スマナイ……」

「その髪飾り。懐かしいのう」

「え?」

「それは小さい頃、師匠からもらって私が使っていたものなのじゃよ。よく取っておいたものだ」

「ヒツヨウ? ならば返ス……」

「いや。それはもう私のものではないからの。第一、トワイがお嬢ちゃんにあげたのじゃろう。そういうときは素直に貰っておくものじゃ」


 どう反応していいかわからなかった。ブルーはこくりと控えめに頷いて視線を落とす。

 どうにも気まずい。やっぱりトワイライトがいないと心細い。早く戻ってこないものかとブルーはほんの少し弱気になった。

 しかし、まだハルはブルーを気にしているようだ。淡い紫の瞳を好奇心で輝かせている。そしてまだこちらを見ている。気配でわかった。そして、ブルーのほうも自分を意識していることにこの(ひと)は気が付いている。


「トワイはどうじゃ?」

「え……トワイライトが?」

「多少チャラいけどいいヤツじゃろ。なんたって外見がイイからのう。外面以外はいまいちアレじゃが」

「……うん」


 ブルーが素直に頷いたので、ハルは笑い声を立てた。もっとも、ブルー自身には何のことやらさっぱりだったが。

 ブルーが不思議そうにしていると、ハルはふざけるのをやめて少し考え込むような顔になった。


「そうじゃの。なんというか、アレはああ見えてこう……優しいところがあるじゃろう?」

「……うん。ブルーが言葉にシなくても、思ってイルことを、シテほしいことを気づいテくれタ。あのひとは優シイ」

「あと、料理も上手いしな」

「とても美味しいソバをつくってくれタヨ」

「そうそう。ほんとに狡くて最低最悪な男だけどな、あれを出されるとつい許してしまうのじゃ」

「ご飯がオイシイのは、イイコトだ」


 ブルーが答えると、ハルはやはりおかしそうに笑う。馬鹿にしているような態度ではなく、ころころと天真爛漫に笑うのだ。ブルーは、こんなにきれいな女性がいるのかと今初めて驚いていた。


「よかったのう。お嬢ちゃんは大切にされておるようじゃ。わたしは少し安心したぞ」

「安心?」

「そうじゃなぁ。あやつはお嬢ちゃんに会う前な、とりつかれたように青い竜の話をしておったのじゃ。執着がいきすぎて一時どうなるかと思うたが、お嬢ちゃんのおかげでバランスを保っているようだ。あいつは優しいが、危うくもある。だが、素直で強い娘が傍にいればまた違うのかも知れないの」

「強い? ブルーが?」

「ああ。お嬢ちゃんは強い。素直でいい子じゃとわたしは思う。さきほどはじめて会ったくせにとお思いかもしれないがの……なんというか、わかってしまうのじゃよ。おんなの勘というやつじゃ」


 どこか遠くを見るような眼差しは憂いを含んでいるが、同時に温もりも感じさせた。

 情が深いひとなのだろう。ブルーはまた少しだけハルのことを信じたくなった。

 ブルーがハルの瞳をいつの間にかじっと見つめていることに気づいて、彼女は恥ずかしそうに口元を押さえた。


「おっと。おとなが一方的にマジになるのは恥ずかしいな?」

「……問題ナイ。ブルーはトワイライトのことを、たくさん知りタイ」

「おやおや。大方、あやつはお嬢ちゃんの事情を聞くばかりで自分のことはなんにも言っておらんのじゃろうなぁ。のう、聞きたいかえ? 聞きたいじゃろ? なんでも聞いてくれて構わないぞ?」

「お姐サン、けっこう強引ダナ?」

「ふふ。ハルと呼んでよいぞ」


 ハルはむしろ自分が話したいといわんばかりの勢いで畳み掛けてきた。投げ出した足をぶらつかせ、彼女はブルーの瞳を覗き込む。成熟した美しい女性なのに子供じみた快活さを兼ね備えている。よく分からないけれど、素敵な仕草だった。


「……ハル、ブルーにトワイライトのなにを教エテくれル?」


 ハルが(まと)う魔的な雰囲気に気圧されつつも、ブルーはやがて頷いた。

 トワイライトの事だというなら、やっぱり聞いてみたいのだ。


「よろしい。トワイはの……おっと、あくまでこれは私の独り言じゃぞ。話したと知れれば、奴に怒られてしまうからな?」


 ぽってりとして艶やかな唇、ハルはそこに人差し指を当ててみせた。その指にはトワイライトの手……確か右手の指にある紋様に似た刺青が施されていた。

 まるで彼らが二人だけに通ずる約束をしているようだとブルーは思った。


「奴はの、お嬢ちゃんと同じで身寄りのない子供だったのじゃ」

「それは……」

「迷宮で死にかけていた少年時代のトワイライトを私の師匠が拾って育てたのじゃよ。若くして破滅を好み、迷宮探索に入れあげ、その挙句見事に失敗した愚か者じゃったが、運が良かったのじゃな」

「トワイライトはタンサクシャだったノカ?」

「そうじゃよ。愚かで迂闊な、若いだけの迷宮探索者」


 驚くブルーに対して、ハルは「昔はの」と付け加えた。現在のトワイライトは闇医者――外法道士だ。腕はいいのだろうが、おそらく善い行いばかりにその腕前を活かしているわけではないようだ。それだけはブルーも分かっていた。


「なぜ迷宮に潜ろうと思ったノカナ」

「あやつは、もともと迷宮の中で生まれたのじゃよ」

「……迷宮ノ、中で?」

「トワイライトは迷宮で死んだ女の腹から生まれた子どもなのじゃ。だから己のルーツを求めて、あるいは復讐をするために潜っていたのだろうな」


 復讐。己のルーツ。

 怪しげで不穏なハルの言葉に、ブルーは固唾を飲んで聞き入った。


「今、トワイライトは一人ダケド……」

「父親もトワイライトが生まれる前に亡くなったのじゃ。彼も探索者だったそうでの、当時は手付かずだった十三階層の探索で名を成した戦士だったという。だが、迷宮深部で悪魔族と戦闘になった際に殺されたと聞く」

「……では、母上は?」


 紫色の瞳が意味ありげに細められた。「それはの」と言いかけたハルの相貌を、突如生じた影が覆い隠した。ハルは笑顔のまま固まったが「……秘密なのじゃ」と付け足してみせる程度には胆が据わっていた。


「ハル。オマエ、あんまり余計なことをブルーに吹き込むなよ」

「戻ってきよったか、残念残念。おうおう、怖い顔しよって。お嬢ちゃんはこうなってはいけないよ」


 ハルは何事も無かったようにけらけらと笑ったが、ブルーは違う。ハルが語った意味深な言葉は、とても忘れられそうになかった。

 トワイライトにはブルーとの共通点があったのだ。ただし、秘密もありそうだ。ブルーと違って忘れているのではなく、意図的に隠している秘密が。


「ハルの話は気にするなよ、ブルー。用は済んだから行くぞ。……ハルも一応ありがとうな」

「なんの、またな。お嬢ちゃん、これは餞別ぢゃ」


 ハルは手品のように一瞬でどこからか取り出した飴玉をブルーの手に握らせた。ブルーは色鮮やかな包みを握りしめた。


「その気になったら、トワイに内緒で店までおいで。とっときの図案を用意して待っておるからの」

「うん」 

「ハル! 聞こえてンぞ」

「……トワイ、少しだけよいかの」


 真面目な表情で呼びとめるハルを邪険にすることも出来ず、トワイライトは素直に従った。ブルーに待っているように言うと、ハルのほうへ近づいていく。







「……トワイ、あまり深入りすると先が辛くなるぞ。分かっておるのじゃろ?」


 トワイライトの腕を掴んで引き寄せると、ハルは彼にだけ聞こえるように耳打ちをした。


「中途半端に情を発揮するのはおまえ自身にも、あの娘にも毒じゃ。あの娘の素性が分かっておらぬというなら尚更じゃ」

「ンなことわかってるよ。俺だって考えなしに行動しているわけじゃないンだからよ」

「ならよいが、忠告はしたぞ。あの娘が呼んでおる。もう行くのじゃ」


 先に往来に進み出ていたブルーが振り返って、トワイライトを呼んでいた。

 陽の光の下で無邪気に身を翻す少女の姿は一際眩しく映えた。髪が光に透けて煌めいている。まるで白い翼のようだった。「天使のようじゃの」とハルが呟く。

 トワイライトは一瞬だけ迷いながらも、少女の名を呼び返した。


「ブルー! くれぐれも車の往来には飛び出すなよ」

「努力スル!」

「いや、努力とかでなく絶対ダメだから。こら、聞いてんのか待て――っと、じゃあな。ハル」


 トワイライトはすぐに追いつくと少女の細腕を捉まえた。黄昏色の三つ編みが稲妻のように一瞬だけ閃いて、すぐに雑踏に紛れ、見えなくなった。

 彼らの後姿を見送ったハルは複雑な心境だった。


「……どうだか、のう」


 自分の幼馴染は確実に面倒な方向に足を踏み入れている。事態が悪化しなければいいのだが、果たしてどうだろうか。彼女にしては珍しく、本気で心配していた。

 ハルはトワイライトが決して親切なだけの青年ではないことを知っている。

 彼女は幼馴染の青年の業の深さを、別の側面を理解している数少ない存在だった。

 たとえば、トワイライトは混沌を好む部類の人間だ。傲慢で、異様で、破壊的。自己矛盾を抱えた破滅型の男なのだ。不埒な真似や非道な行いを働いてもなお真っ直ぐで、そして純粋に狂い続けている。ハルは何よりもそこを気に入って幼い頃から彼に執着してきた。

 けれど、いつもと同じ調子を装いながらも今日の様子はどこか違っているように見えた。

 要するにトワイライトらしくなかったのだ。彼は混沌の中に秩序を見出そうとしている。驚くべきことに、何らかの方向性を求めているようにさえ思えた。

 局面が動いている。違和感が消えない。嫌な感覚をどうにも拭えない。もっと面倒な事になるまえにあやつ(・・・)が引き下がればいいのだが。ハルは白衣のポケットに残された黒い燐寸箱をきゅっと握った。C³のロゴが潰されて歪む。胸の奥がかき乱されるきがして、ハルは実在しない痛みを抑えるように胸元に手を添えた。

 ハルは彼らが去った方向をしばらく眺めていたが、やがて溜息をつくと踵を返した。

 店内に引き上げる前に、休憩中の看板を裏返すのも忘れなかった。視界の端、スタジオの暗がりで闇がさざめく様を捉えて、女は素早く笑みを形作った。







「ワタシのような者がこの街で生きていくには、どうしたらイイ?」

「あ? なんだ、そりゃ」


 医院が間近に迫ったところで、傍らを歩くブルーがぽつりと呟いた。

 ブルーは前を向いたままで、トワイライトの方を見ていなかった。けれど、手は繋いだままだ。問い掛けへの適切な答えを探しあぐねていると、少女は質問を変えてきた。


「おしえて。トワイライトの傍に居続けるため、ブルーはなにをすればイイ?」

「……どうしたよ、急に」

「このままずっと、ただトワイライトの世話になれないコト、分かってイル。ブルーは自分の力で隣に立たなくてハならナイ。ハルと話シテみて、気がついタ」


 握った指先には力がこもっていた。

 トワイライトは握り返すことはしなかったが、手を離す事も無かった。


「でも、その方法が分からないから知っておきたいだけ。心の準備、ヒツヨウ」

「……べつにおれは、ただ居てくれるだけでもいいンですがね?」

「それではダメ。ブルーは知りたい。わたし自身を、もっと教えて欲シイ」

「ブルー、お前」

「トワイライトのこと、ハルから少し聞いた。トワイライトがシテいたように、ブルーも自分ノこと、知りタイんだ」


 それは不意打ちだった。

 どういうわけか、ブルーのほうがよっぽど現実的で冷静だった。真なる強さを突きつけられてたじろいだのはトワイライトのほうだった。

 トワイライトはいつも通り何事にも深入りせず、ふらふらとやりすごすか冷淡になるか、ただそれだけの事だと思い込んでいた。

 ――おれがおまえを完璧にしてやる。

 その言葉の意味を今問いただされている。求められている。答えを。

 ああ、なぜここまで深く関わってしまったのだろう。これは本来の自分であれば足を踏み入れぬ領域だ。求められて傷つける……あるいは傷つけられることが一番嫌いだというのに。今さら、トワイライトは自分が引き返せぬ領域に足を踏み入れていることを再認識させれていた。


「……こうなったこと、トワイライトが気にスル、ちがうヨ?」


 言葉に窮するトワイライトの手を引っ張って、ブルーは気を使ってみせた。

 本当にひとの心の機微には敏感な娘だ。何も覚えていないくせに豪胆で度量が広い。


「べつに、なにも気にしちゃいねえよ」

「トワイライト?」

「……そうだね、おれが甘かったンだ。どうしてか、フツーっぽくやれたらとか、らしくナイことを考えちまってねぇ。思うに、最近ちょっと楽しかったンだろうなァ」


 そうだ、おれは想像以上に憧憬にひっぱられていた。築けなかった関係や環境をブルーに求め、押しつけていた。

 トワイライトは過去への後悔にとらわれていたのだ。

 でも、ブルーは前に進みたがっている。あのときトワイライト自身が口にした「それ以上」を欲しているのだ。

 ならば、そう。約束を破るわけにはいかなかった。


「……オマエがオマエ自身を知りたいってンなら、そうだな。やっぱり迷宮に潜って足跡(そくせき)を辿るしかないだろうねェ」

「地下迷宮に、潜る?」

「ああ。おまえがどこから来たのか、どうして来たのか。それを元来た場所に探しに行くっきゃないってワケさ」

「それは……ブルーが迷宮探索者になるというコト? 昔の……トワイライトみたいに?」

「ハルが吹き込みやがったな。まァいいか。お前が迷宮に行くってこたァある意味自分の抜け殻を探索するみたいで奇妙な状況だが、そうなるね。それが嫌ならなにもなかったフリしておれと暮らすか出ていくか、好きなように振る舞えばいい。でも、何もかも知りたいってンなら、探索者になるという選択をしなくちゃならない。この街では」


 迷宮探索者。黒数大迷宮に挑み、富と名声を求める者ども。

 地下迷宮に潜るには探索者としてのライセンス登録が必要となる。迷宮探索機構に認められた正規の探索者だけがナビや医療士、地図士の支援を受けながら潜ることができるのだ。

 探索者たちは、時に機構を通じた依頼や民間の雑用を受けて報酬を稼ぎながら装備を整え、より深くを目指すことになる。登録ギルドやクランに所属するという手もあるが、そのためにはやはり正規探索者にならねば始まらない。なんにしろ、非正規探索という危ない橋を渡らせるわけにはいかなかった。


「わかった。ブルーは探索者になる」


 少女は深く頷いた。探索者。迷宮探索。その響きがトワイライトの胸を軋ませた。かつての自分がしでかしたこと。とりかえしのつかない(きず)跡。リンレイから永遠を奪ってしまったあの出来事。

 そしてブルーはかつての自分と同じ言葉を口にした。


「トワイライトといっしょにいたいから、そのためになりたいんダ」

「……おまえってやつァ正直で、本当扱いに困るな。そうさね、慈善事業(・・・・)で医術士として同行するなら機構も文句はないだろうなァ」

「……! トワイライトも来てくれるのか?」

「だって約束だろうが。あんな根暗クソ迷宮は大嫌いだけど、そんな場所に可愛いオマエを一人でやれないからねぇ。手伝うくらいはズルでもなんでもないだろう?」


 言ってやると、ブルーは頬を赤くして俯いてしまった。その様子は十分に少女然として可愛らしいのだが、それを口にするのは禁句らしかった。

 しかし、トワイライトにしてもなんの計算もなしに提案をしたわけではない。ブルーの強さや実力を鑑みたうえでの判断だ。それに精気をやりとりし、高め合うことのできる自らがパートナーとして同行するのであれば、初心者でも勝算は十分にある。そう考えたからこその提案だった。


「ただし、動き出すのはもう数日休んでからな。おれが病み上がりなの皆忘れてやがるんだ」

「応! 一生懸命休む、ブルーは手伝う」

「休むのに一生懸命になっていたら休めないだろうが」







 二人が医院の前まで来ると、既に誰かが入り口の前で待っていた。彼らもまた二人組だった。

 細身で背の高い眼鏡の男と、探索者――前衛職であることが一目で分かる屈強な青年。後者の容貌はとくに目を惹いた。蜂蜜色の肌に、鬼か獣のような獰猛な骨格。かなり上背がある。それにまだ若い。ざらりとぎらつく視線はそれこそケモノのようだった。

 眼鏡の男性は迷宮探索統括機構(LQPO)の副所長・ツオルギで、後者の青年もトワイライトには見覚えがあった。あれは名の通った探索者だ。ただし、残酷なやり口と汚辱まみれの後援者の存在から悪名高いA級クラン『狗颅骨(クルグ)』の一員である。名前はたしかバルベルといったか。頭領の右腕のようなやつだ。


「遅かったな、トワイライト」


 最初に口をきいたのはツオルギだった。いつも通りの怜悧冷徹な態度。しかしその背後に立つ男からはさざめく闇のような怒気が溢れ、迫ってくる。どうやら、本格的に用があるのは背後の青年のようである。

 トワイライトはブルーを背後に庇いながら、気迫を跳ね返すように両者を睨みつけた。


「遅いって? 勝手にひとの帰りを待ってたのはオマエらだろう、ツオルギよォ」

「あいにくと、待っていたのはお前ではないのだよ、トワイライト。我々が待っていたのはその娘だ」

「あァ? まだ探索者でもなんでもないこいつに何の用があるってンだよ、失せな」

「それが、用があるんだよなぁ」


 どこか金属的な――鋼を思わせるような声が答える。ツオルギの背後に控えていた青年が口をきいたのだ。


「後ろのおつむの足りねえクソチビ、お前が迷宮で拾いやがったンだって?」

「……なァにが足りないってぇ? もっかい言えよ、てめぇ」

「抑えろ、トワイライト。その娘には重大な嫌疑がかかっている」

「嫌疑ィ!? 笑わせンな――」

「トワイライト、だいじょうぶ。ブルーは平気ダ」


 肩を掴まえたツオルギの手を振り払い、トワイライトはいきり立った。その指先をブルーが強く握った。

 毛穴を塞がれるような敵意の中で、ブルーは誰より冷静で凪いでいた。おびえているのかと思ったが、違った。少女もまたトワイライトに落ちつけと伝えていた。


「俺らの下っぱとシザーズのクソ雑魚どもがやられた五層の件、さすがに忘れちゃいねえだろうが……そのガキがあの場の唯一の生存者だと、機構のこいつらにはそう報告したらしいじゃねえか。だが、それはあくまで表向きの話だろう?」


 浅黒い肌の青年は真紅の瞳に敵意と悪意を滾らせて言葉を継ぎ足した。

 異様なのは強い怒りを滲ませながらも、その瞳が、狼のような口元が、笑みを浮かべていることだった。

 悪意を滴らせ、眼前の黒い青年は笑っていた。

 おそらく飢えているのだ。戦闘に。そして血に。


「実際のそいつは九人分の屍骸を贄とした召喚体だ。そうだろ? そしてやけに都合のイイ記憶喪失設定は、その小娘が本当は探索者を殺して回った五層のバケモン、階層違い(イレギュラー)であることを隠すための虚言だろうが」


 召喚術は現世の媒介物を経て、迷宮内を漂う精神生命体、はたまた神魔を呼び降ろす術である。呼び降ろしたモノが必ずしも善き存在であるとは限らない。だが、ブルーがバケモノであるとは根も葉もない言いがかりだ。しかし、同時に彼女が自らの記憶を失っている以上、なんの証明もできないのもまた事実であった。

 すなわち、あの場で階層違い(イレギュラー)を呼び寄せ行方不明者たちを殺させた魔物の正体がブルーであると、その可能性は否定できていないのだ。

 ……トワイライトが見て見ぬふりを――直感から否定した可能性を今、突きつけられている。


「どうだい? そうでない(・・・・・)証拠があるかい? 外法道士トワイライトは魔物に魅入られてやがるって噂もあるのだぜ」

「バルベル、おまえ……てめぇンとこの頭領が入れ知恵して寄こしやがったな、クソッタレが」

「はん。俺がテトラの意図など知るかってんだ、トワイライト。俺はお前もそのクソチビも気に入らない。そんで、気に入らないやつは殺す。それだけだ」

「……要求は。どうせあるンだろうが、あの女の言伝が」

ツオルギ(そいつ)に聞けばガキの調査も供述もとってねえっていうじゃないか。俺はお優しい首領サマのお使いで来ただけさ。大人しくその正体不明(・・・・)の小娘を差し出せば今まで通りお前への不干渉を貫いてやるってなァ」

「だから……ブルーを渡せってか? ざっけンなよ、クソ犬がァ!」

「ああん!? 犬っていうなこのクソヴォケ色魔! ガキに名前までつけやがって、早速手練手管で誑し込んでロリマ●コにブチ込んでやがんのかァ? あぁキモッ! こっちはこの場で喰らい殺したっていいんだぜぇ」

「……殺す。オマエを()り上げて、その口を塞いでやるよ」


 血の気の多い二人の間に割って入るようにしながら、ツオルギが続きを引き取る。


「トワイライト。どの道、その娘が目覚めた以上、我らも直接事情を聴かねばならない。そして、五層の事件と彼女に関連がないことを証明せねばならぬのだ。そうしなければ本当にあの魔女に彼女を渡さなければならなくなる」

「とんでもねえ言いがかりつけやがって……あの悪魔女と取引でもしたか、ツオルギよォ。いいよ、おれはもう表のイイ顔なんざとっくに飽きてンだ。ここでおまえらを斬って捨てても構わない」


 その時、抜きかけた刃を抑える手が、トワイライトの冷えた掌に重なった。

 トワイライトが何をしようとしているのか、ブルーには分かったのだろう。暗器を構えた手元を抑えつける掌には少女のものとは思えぬ力が宿っていた。

 ブルーはそのまま刃を収めさせると、静かに口を開いた。


「トワイライト。もういい」


 そしてブルーが一歩前へと踏み出した。こちらを振り返ることはなかった。


「ここでお別れダ。アリガトウ」


 凛と響く声に恐れの色はなかった。ただ確乎たる決意だけが込められていた。

 そのまま数歩。少女はツオルギの前へと進み出ていた。


「ブルーはあなたがたと行ク。そして、どんなことでも答えヨウ」


 









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