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二六. 黄昏の誓約

 


 二六.




「ブルー」


 呼んでも応えない。ただ前に進み出たまま、少女はこちらを見ようともしなかった。蒼い花びらのような髪が揺れている。蓮の花の髪飾りが日差しを浴びて虚しく煌めく。

 その細い首をバルベルの大きな掌が摑まえた。少女はうめき声すらあげなかった。ただ真っ直ぐに男たちを睨みつけるだけだった。


「なかなかイイ顔すんじゃねえの。このメスガキ思ったよか悪くないぜ」

「余計な手出しは控えろ。バルベル」



 馬鹿だと思った。

 行ってしまえばその身を待つのは苛烈な尋問と私刑だけだ。

 ここまでくれば何も知らなかったとしても、自分がどんな目に合うか感付かないわけがないのに。

 それになんだ。「ありがとう」ってのは。

 何も知らないくせして、それなのに器用に嘘をつくことだけ覚えやがって。

 おまけに別れの挨拶なんてどこで聞きかじったんだよ、クソガキが。こんなアホウ、やっぱり此処で手放した方が利口じゃねえか。こんちくしょう。

 ……でも、一番愚かなのは誰だ?




 ――――あのとき。

 ブルーはおれの名前を呼んだ。知らないはずの言葉を口にしてみせた。名前を呼ばれたとき、鼓動が深く脈打った感覚が今もはっきりと残っている。

 蒼い燐光。花舞う銀鱗。かつて眼にした竜の面影。

 しかし、少女は何も覚えていなかった。一切の記憶を失っていた。それを奪ったのはトワイライト自身だ。トワイライトの不完全な召喚術。だから誓った。おまえを完全にしてやると。それ以上を願ったときは必ず力を貸してやる、と。

 無防備な寝顔。裸の背を恥じる横顔。怒って頬を膨らませたときの変な顔。

 寝床に無断で潜り込んでくるし、街に出れば忙しなく走りまわり、平気で車道に飛び出して行く。だけど、どうしてかハルとはすぐに打ち解けた。豪胆で無垢で、素直な少女。なぜかソバを気に入って、そればかり食べたがる。食い意地だけは一人前で、買い与えた糖葫蘆にもハルが渡した氷菓子にも大喜びしていた。

 髪を括ってやったときの無邪気な笑顔。大きくて熱い掌。熱心に靴を見つめる横顔。好奇心に輝く双眸。その瞳の中にはありとあらゆる星屑を閉じ込めたような小宇宙が宿っている。

 ようやく知ることのできた姿が遠ざかる。

 でも――それくらいしか知らないってのに。

 よりによって最後に見るのが泣き顔にも似た嘘つきの笑顔だなんて。しかも「ありがとう」などという別れの言葉、性質の悪い嘘と一緒の。


 そうか、馬鹿なのは俺だ。

 守りたい? そうではない。違う。

 ……壊したい。壊してやりたい。このおれが。

 初めて出会った時、蒼色だった少女は今では無垢なる白だ。色を持たないし、つまらない。取るに足らない美しいだけの人形だ。上っ面の価値しかない。

 だったら――何色にでも染まるのなら、いっそ真っ黒に染め上げてやればいい。

 愚か者の少女も、こんな馬鹿げた状況も、何もかも壊してやりたい。

 気に入らねぇ。何もかも。確信があるのに、それができるのは俺だけなのに、変えなくてどうする。

 やらなくてどうする。




「哈ッ」


 トワイライトは勢いよく張り巡らせた鋼糸を手繰り、ブルーの身体を拘束した!

 それと同時に地を蹴って跳躍。


「トワイライト!?」


 そのままバルベルに肉薄し、点穴針を突き立てようとしたその瞬間。即座に反応したバルベルがファイティングナイフで一撃を受け止める。

 軋む刃、火花。

 真紅と黄昏。

 至近距離で両者の視線がぶつかりあった。


「はッ。てめえ、やっぱり魅入られてやがるなぁ!」

「魅入られていようがいまいが、そいつはまだおれのもんなンだよォッ!」

「そうかい。なら死ね、ロリぺド野郎」


 そのまま一歩を踏み込む。間合いを取るようにしてバルベルが後方へ飛びのいた。

 退避しながら繰り出された一撃が深く頬を切り裂いても動じない。トワイライトはさらに懐へ身を潜りこませ、ついに隠し針を突き立てた。

 ……当たればどこだって構わない。


「遅い! ――――勅令(‐íːdikt‐)


 ニタリ、とトワイライトは獰猛に微笑む。

 符咒が発動、傷口が爆ぜるように穿たれた。


「ちぃッ」


 バルベルが喉元を抑えて舌打ちをする。

 手の間からは闇が零れていた。鮮血ではない。真っ黒な質量を伴う闇が。


「はん、ぬかっちまったねぇ」


 青年は悪意滴る笑みのまま両手を広げた。その手からナイフが放りだされ、どすんと地面に突き刺さる。


「ツオルギ、ガキを引き渡すよう取引は果たしなよ。あの女の正気は俺ですら保障できねえぜぇ……」


 黒霧と化していく狼の(かげ)が中指を突き立てた。


「あばよ」


 さざめく(たてがみ)のような黒髪が風に崩れ、男の姿だった闇の塊があっという間に霧散していく。


「近いうちに会うぜ、トワイライト。そんときゃ――俺が殺す番だ」

「ほざけ、飼い犬が」


 物騒な文言を残してバルベルだった闇は消え去った。

 どういうトリックかは知れないが、あれは本体ではなかったということだろう。バルベル本人はどこかで闇――実体のない翳を操っていたにすぎないのだ。〈陰獣〉。奴の二つ名が今さら脳裏に甦る。

 そこへ困惑しつつもツオルギがブルーを捕まえようと手を伸ばした。それを遮るように、トワイライトは絡め取った少女の身体を手元に引き寄せた。


「オマエはお仕置きだな」

「トワイ」


 ブルーがトワイライトを見つめ、口をきこうとした瞬間だった。


「誰が勝手に行けといったよォ! 悪い子がァッ!」


 少女の素っ首を掴まえると、トワイライトは思い切り頭突きをぶちかました。

 ごがっ、という生々しい音がその場に響き渡った。


「ふぐうっ」


 互いの頭蓋をかち割るような情熱的なヘッドバッドを喰らわすと、衝撃にブルーが呻き、赤く腫れた額を抑えた。

 しゅうしゅうと額から湯気があがっているようにも見えたが気のせいだろう。否、気のせいったら気のせいだ。涙目のブルーがすぐに噛みついてきた。


「何をスル! トワイライト……うぐっ……痛イ……頭がぐらぐら、スル」

「ふざけんなよ、ブルー」

「い、いまスグ放す! ……でナイと、またトワイライトに迷惑がかかってしまう。ブルーはそんなのは嫌ナノに!」

「黙れよ、クソガキ。おまえはもうおれのモンなんだ。なのに勝手に消えようなんて我儘が許されると思ってンのか?」

「でもっ」

「黙れ」


 今度は容赦なく頬を張る。ツオルギが唖然としてトワイライトを見ていた。

 殴られてもなおブルーは心の折れぬ眼差しをむけてきた。無論、気にいらなかった。


「目が気にいらない」

「むぐっ」


 薄い顎をひっ掴まえると咒符を口に無理やり捻じ込んで、また殴る。雷撃に襲われ、小さな身体はようやくその場にくず折れた。


「ざけんな。馬鹿が。死ねよ、クソガキ。いや、いっそ殺すか」

「ふ、く……っ」


 トワイライトの怒声は叫びではない、低く、おどろおどろしいものだった。


「でも、ブルーは、それでも……」

「トワイライト、もうやめろ」

「あぁ!? 嫌疑とか言い出したのはおまえらだろうが!」


 止めに入ったツオルギに噛みつくと、トワイライトは何かに思い当たったように捲し立てた。


「……殺す。おれは殺すんだ。あのとき出来なかったから……。そう、そうだ。殺せばいい。殺せばいいんだろ、あの魔物を。俺には心当たりがある。あの時逃げた魔物を仕留めて、本当は誰があいつら(・・・・)を殺したか、その証拠を持ってくればてめえらは納得するんだろ?」


 その言葉に、ツオルギが、ブルーが。固唾を呑んで立ち尽くしている。

 それすらも本当に気に食わない。


「なら俺が……俺が証明してきてやる」


 傲然たる態度で、トワイライトは低く邪悪に宣言し、誓っていた。

 怒りにも似た強い衝動がこのような態度を取らせている。破壊衝動、破滅行動、混沌主義。なんでもいい。どうせ俺は迷宮の中――混沌の中に生み出された半端者だ。なら、なるようになればいい。したいようにすればいいのだ。クソ気に食わない迷宮だろうがなんだろうが、飛びこんでやればいい。

 ブチ切れたトワイライトは更に捲し立てた。


「――ただし、このガキは置いていけ。何もかも立証できねえうちは、こいつはまだ俺のもんだ。もともと迷宮で俺が見つけて拾ったンだからな」

「お前に預けておくと、逃亡させる可能性がある」

「ねえよ。一挙手一投足ちゃあんと俺が見張るからな。ンでもって、こいつを迷宮につれていく。散々メイワクとやらをかけてくれたツケを払わせてやるのさ。それで貸し借りはナシになるんだろ」

「しかしそれでは……」

「そいつ自身の手で汚名を晴らすというなら、お前らだって文句はねえだろうが。ツオルギよォ、てめえも機構の面子を無駄死にさせたくはないだろう。〈狗颅骨(クルグ)〉のあの女が仕掛けたもんが何かはしらねえが、奴が動かなくても余計な真似をすればおれが殺すからな。てめえらのとこの人間ならさぞかし裏界隈の奴らには高く売れンだろうよ?」


 脅しを効かせると――といってもトワイライトにとっては脅しではなく本心からの言葉であったが――反論しようと口を開きかけていたツオルギも押し黙る。彼らとて、これ以上厄介な立場に追い込まれる訳にはいかないのだ。


「トワイ、ライト」


 ブルーは泣き出しそうな目でこちらを見つめている。ただの頼りない少女のような、甘ったれた表情が憤りを加速させた。

 トワイライトはブルーの胸ぐらをぐいっと掴んで無理やりに立ちあがらせた。上着のボタンが弾け飛び、その向こうに、トワイライトの顔のすぐ先に、ブルーの驚愕した顔があった。


「ブルー、俺と来い。おまえがさっき誓ったように迷宮に潜るんだ」

「でも、ブルーには記憶がない――このひとたちが言う通り、ブルーはトワイライトを傷つけ、他の人たちも手に掛けたのかもしれない。だとしたら」

「おれのどこに傷をつけたってンだよ、クソガキが。おれは傷つかない。ぜったいに傷つかない。迷宮でもどこでもおれがついててやるっつってンだ! ……おれがおまえの全部を証明してやる」


 少女を激しく睨みつけながら、それでもトワイライトは手を差し伸べた。


「ただし、記憶も名誉も取り戻すのはオマエ自身の手でだ。できないとは言わせない」


 少女は一瞬目を(みは)って、そしてその瞳に強い光を取り戻していく。

 ブルーは深く強く頷いた。


「……わかった。ブルーは、わたしは、わたしの手でやり遂げる」


 襟首を離してやると、ブルーはトワイライトの手を握った。熱い手だった。今度ばかりはトワイライトもブルーの指先を握り返した。無意識のうちに強く掴まえていた。

 今度こそ離さぬように。

 あのときできなかったように。


「どの道行き先は迷宮だ。どこにも逃げられはしないし、失敗すればそこで終わりだ。どうだ? 異論はあるか」


 振り返って宣言すれば、ツオルギは困ったように肩をすくめた。探索機構の副所長として、男はそのまま眼鏡を指で押さえ、しばし考え込んだ。やがて重々しく口を開くと、


「――許可しよう。準備が出来次第潜るといい。だが不正を働かれては困るのでね。こちらと〈狗颅骨(クルグ)〉からも人員を同行させる。魔物の討伐には協力させるが、もし証拠を持ち帰ることができなければその時は……分かるな」

「好きにするがいいさ。どうせ穴ン中、出口も行き先も一つなンだ。逃げも隠れもできねえよ」


 毅然としたトワイライトの受け答えに、ツオルギはもう何も付け足しては来なかった。大きく妥協させることに成功したと思ってよいのだろう。


「……私とて、その少女がやったとは思っていない。しかしあの女王蜂はただで済まさぬ気だ。気をつけろ、トワイライト」


 忠告を済ませるとツオルギは踵を返した。公的立場とは違う、個人的な感情を滲ませた心からの言葉だった。

 トワイライトとブルー。騒然とした雑踏の中に、二人は取り残された。







 立ち尽くすブルーは熱に浮かされたような顔をして、ただ黙ってトワイライトの指先を握っていた。

 ちょっとした騒ぎに出来た人垣は散って、辺りはもういつも通りの裏路地街に戻っている。


「ブルー」


 トワイライトもまた放心状態から我に返ったばかりで、どこか上の空だった。それでも少女の名を呼んだ。そして頬に触れた。柔らかな肌は未だ熱をもって腫れていた。


「痛いか」

「痛イ。すごく痛イ。ほっぺたも、おでこも」

「おでこはおれも痛いよ」

「トワイライト、額が割れてイル」

「それはオマエがすげえ石頭だったからだね」


 無理やり笑おうとして、でも出来なかったらしい。ブルーは笑みのようで歪みのような表情になったところで顔をこわばらせ、固まってしまった。


「許してもらわなくたっていい。おれは謝らない。おまえがああして去るのが許せなかったし、正直今も怒ってる。もう一発殴ったって収まらないと思う」

「……トワイライトは悪くナイ。ブルーは……ほんとうはここに居タクテ、離レタクなくて、こわかった……」


 そこまで言うとブルーは押し黙った。何も言えなくなってしまったのだ。これ以上言葉を続けられるほど、ブルーはあざとくはなかった。

 トワイライトは回復の符咒を発動させると、手指でブルーの頬を撫でた。怯える様子はなかった。そのまま触れていると、親指に温かい液体が溢れてくるのがわかった。それは次から次へと零れ、指の隙間から流れていく。


「う……えぐっ……ひっ…………ふぐうぅぅぅ」


 大きくしゃくりあげると、ブルーはとうとう泣きだしてしまった。

 トワイライトはぎょっとして眼を見開いたが、すぐに宙へと視線を逸らした。見てはいけない気がしたからだ。自分の邪視で穢してはいけない。泣いているブルーはとても尊いものに思えたのだ。頬に添えた五指をずらしてブルーの両眼を覆ってやる。やさしく、そして静かに。温かい涙が次々と零れて、掌を濡らしていった。

 温かな暗闇の中で、トワイライトの腕にしがみつき、少女は泣き続けた。

 次第に激しく泣き出したブルーを抱え、散らばった荷物も拾うと、トワイライトは医院の扉をくぐった。幸いなことに中は静寂に包まれていた。




 泣きやむまで待つ間に、ブルーは眠ってしまった。泣き疲れたのだ。

 今はこれでいい。

 トワイライトはため息をついた。手指が軋んで痛かった。

 本当はブルーに詫びてしまいたかった。ああいう方法以外の術をトワイライトは実行できなかった。

 自分から離れていくものをひきとめる他の手段などとっくに失い、忘れてしまっていたのだから。

 不在に慣れ過ぎた天井を見上げ、トワイライトは煙草に火を点けた。なぜだか紫煙がひどく目に沁みる気がした。








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