二四. おでかけ
二四.
「トワイライト。言われたとおり湯を浴びたぞ」
「ちゃんと温まったか?」
階段を上がってくる気配がして、浴室から戻ったブルーが顔を出した。
蒼銀の髪は濡れてもなお天使の輪を宿し、縒りたての絹糸のように輝いている。すっかり汚れは洗い流せたらしい。が、拭くことを教えなかったためだろう。少女は髪も身体も濡れたままこちらに歩いてくるではないか。しかも素っ裸である。
「待って。うん、色々ちょっと待って」
「ナンダ。まだ問題がアルカ?」
「なんで少しキレ気味なの! 風呂からあがったら髪とか身体は拭いてくるもんだし、だいいち全裸で出てくるやつがあるかよ!」
「なぜだ? さあ、きれいにしたからちゃんと点検スル。トワイライト」
「点検ってなァ……あーもういいかァ」
バスタオルを被せ、自らの視線からブルーの身体を隠すと、トワイライトは丁寧に頭を拭いてやった。タオルで擦られると、ブルーは擽ったそうに笑い声をたてた。わしゃわしゃと髪を掻けば一際愉快そうに笑う。腕とは対照的に華奢な肩、それに細く丸いお腹が揺れるたびにどきりと胸が高鳴る。なにをやっているんだ、おれは。トワイライトはそういう意味合いも含んだ溜息を吐き、揃えておいた着替えをブルーに差し出した。
「それじゃ、これに着替えて。一応見繕っておいた」
「この布は?」
「おまえの服だよ。おれやハルの古物だけどな」
「ハル?」
「腐れ縁の魔性。あとで会わす。めちゃくちゃ綺麗だけどこっわい女だぞ~」
首を傾げるブルーに押しつける形で一式を手渡す。
ブルーはまず一番上に畳んであったショーツを両手に摘んでしげしげと見つめた。絶対やると思った。トワイライトは内心でツッコミをいれていた。
「なんだよ……下着は一応新品の筈だよ」
「こんなもので身を守れるノカ?」
「鎧じゃねえんだから。むしろオマエがまず守るべきは貞操だ。いいから早くそれ履けよ」
「……うむ」
少女の生着替えの一部始終を監視するという変態行為を働きかけていることに気づき、トワイライトは箪笥のほうへと踵を返す。そのまま服探しのため中身を引っ繰り返していたのを片付けることにする。
「なにかあったらすぐに言えよ」
「うむぐぅ」
背を向けたまま呼びかけると、くぐもった声が答えた。ブルーはシャツと格闘しているらしい。その様子を尻眼にトワイライトは散らかした服を畳んで棚に戻し始めた。
衣装箪笥の中身はバラエティに富んでいる。色柄やサイズ、自分のものから他人のもの、ハルの着替えのストックまで様々である。
トワイライト自身はデザインやサイズさえ気に入れば女物の服でも平気で身につけた。細身の体躯と女じみた顔立ちのために、むしろ男物よりも女物の服が似合ってしまったりするからだ。実際、箪笥の中身は女物が六、七割だ。女人街で安く買ったものや、誰かの忘れ物、あるいは貰い物が多かった。いま身につけている赤い紐結びの耳飾りだって、どちらかといえば女性向けの装飾品だろう。
「――それ!」
「おぉ? どうしたんだよ、急に?」
「ブルーはそれが着てみタイ」
「どれ……ってこれはダメ! ダメです、ぜったい!」
ブルーの視線は、トワイライトが手にしたハルの下着(のような洋服)に注がれていた。
着替えだか忘れものだかでハルが置いていったものだった。極端に面積が少ないうえに隠すべき部位を隠せない布、というか紐である。
これを身に付けたハルとあれこれ楽しんだ記憶があるにしろ、ブルーには絶対的に不向きだ。
「どうしてもダメか」
「よりによってなぜここで食い下がるんだよォ。これは近所の痴女の忘れものです! こんなの着せて歩いたらオマエ共々逮捕されちまうよ! 滅、滅っ!」
「ダメなのか」
「だめぇ!」
箪笥の奥に無理やりねじ込んで猥褻衣装を隠すと、ブルーはあからさまに残念そうな顔になった。
「なんかもう複雑な気分にさせやがって……って、おまえはあれか、もしかして下着の締め付けが苦手っぽいの?」
「さっきのはぎうぎうしてイタ」
「……なるほどねぇ」
ブルーは渡しておいた筈のショーツをとうに脱いでおり、投げてよこした。年頃の少女に脱ぎたての下着を投げつけられるなどある意味ご褒美ごにょごにょと考えつつ、トワイライトは箪笥の別の段を探り出す。目的の品は案外すぐに発掘された。
黒くて伸縮性のある肌着。光沢スパッツとやらだ。かつてハルが修行時に使っていた服である。もしくはリンレイのモノかも知れないが、どちらにしろまだ履けるくらいには痛みが少ない。なぜそんなものが取ってあるのか問われても困る。困るったら困るのだ。
つるんとして艶のある黒布を渡すと、ブルーは黙ってそれを身に付けた。しかし、その表情は先程と明らかに異なっている。
「うむ! これはよいものだ!」
「ああ、うん。その、すごく……ぃぃょ…… 」
短い一分丈のスパッツを履いたブルーはなにかに深く感心したかのように頷いてみせる。
トワイライトもまた別の意味で深く感嘆して頷く。ギリギリスパッツはいつだって脳裏に夢とロマンとお花畑をもたらすのだ。異論があるならいつでも受けて立つ。
正体不明の敵との脳内バトルが勃発したところで、ブルーがシャツの紐と格闘しているのに気がついた。締め方がわからないらしい。小さな飾りを大きな手で四苦八苦しながら弄んでいる。
「それは横のところで紐を組み合わせて留めるんだ」
「難儀ダナ」
「大げさだよ」
前と後ろのスリットを留めてやり、さらにベルトで丈を絞ってやる。
目立ちすぎる手元を隠すために大き目のシャツを渡したが、肝心の両手は完全に隠せているし、丈もチュニックのように見えて違和感がない。
「お着替え終了。次は髪だな」
蒼銀の髪をひと房持ち上げれば、指の隙間からさらさらと零れていく。美しい姿ではあるが、床を引きずるような長さのままでは外にも出しにくい。
「よし」と小さく呟くと、トワイライトはブルーの頭をぽんぽんと撫でた。
「さっき言った通り、括ってもいいだろ」
「オウ、まかせタ!」
トワイライトはブルーの髪をドライヤーで乾かすと、櫛で丁寧に梳いて、セットに取り掛かった。
独断と偏見、そして絶対的な確信でもって少女の髪を二つに結い上げ、それでもまだ長さがあるのでお団子に巻いてから下ろしてみた。悪くない。いや、どう考えても最高だ。そう、おれの女子力は絶対なんだ。しかし――どこか完璧ではない。
「……なんかモノ足りねえな」
「そうナノカ?」
ブルーが首を傾げると、結った髪がその動きに合わせて揺れた。かわいい。そして閃きが脳裏を奔る。
トワイライトはふと思いついて箪笥まで引き返し、小引き出しを漁ると蓮の花の髪飾りを取り出した。結い上げた髪の根元に飾りを括りつけると、やっと満足のいく仕上がりになった気がした。これぞ完璧という体である。
「おさがりの古物だけどいいよな。これはおまえにやるよ」
ブルーはそっと自分の髪に添えられた薄桃色のロータスに触れ、ほんの少し気後れした顔で振り返った。
「……イイノカ。大事なものではナイノカ」
「別にいい。さあ、鏡をみてくれ」
促されるまま立ち上がったブルーが鏡の前に立つ。
そこにはなにも知らない竜の少女ではなく、可愛らしく仕立てられた町娘の姿が写っていた。
「……どうカナ?」
「いいよ、いいよォ! ちょっと回って、くるくるって! そう、鏡のまえでさ!」
「だいじょうぶか、トワイライト?」
いかがわしいカメラマンのように一人で盛り上がるトワイライトを訝しみつつ、ブルーは言われた通りくるりと回ってみせた。翻る白い袖、蒼銀の髪が弧を描き、シルエットは天使そのもの。髪飾りの鈴の儚げな残響。
トワイライトはただ静かに立ち上がり、両腕をスッと掲げて謎のポーズをとると、やおら叫んだ。
「美少女ビーム!!!」
「なっ!?」
「へへへ、勝ったぜぇ……おれはおれの女子力に今、勝利したんだ……」
奇跡を眼にした信奉者のようにひれ伏し、唇からはただ自分の限界を超えたもののみ至る境地を語る言葉が漏れる。あまりの光景にトワイライトは蹲ったままぷるぷると震えていた。要するに、身支度を整えたブルーの可愛らしさはそこまでの破壊力を備えていたのである。
それに、トワイライトは脳裏に一人の女の姿を思い描いてもいた。
蓮の花の髪飾り。甘い残り香。揺れる面影。鈴の残響。ブルーはほんのすこし彼女に似ていた。
「トワイライト、どうシタ? だいじょうぶか? ビームってなんダ? ブルーの恰好、やっぱりおかシイか?」
「……おかしくないよ! おかしくないね! むしろ完璧!」
素早く復活して親指を立てると、ブルーは戸惑ったように視線を泳がせた。
「……そう、カナ。トワイライトが急に発狂するからてっきり変なのダと」
「全然。すっごくかわいいね。今すぐ街中の人間に自慢してやりたいくらいさ」
服の裾を掴んだブルーは「ばかダナ」とだけ小さく言った。
トワイライトはこういう仕草であれば何度だって見たかった。
「それじゃ、買い出し行きますか」
「……うむ」
手を伸べれば、おずおずとブルーが手のひらをのせ返してくる。
トワイライトは少女を連れて、黒数市街地へと繰り出した。
魔都北西部・懺骸地区中心街。
昼下がりの街は夜間とはまた異なる健全な喧噪に満ちていた。往来はもの売りや行き交う客たちで賑わっている。中心街はトワイライトたちの住む裏路地街とは違った、華やかな旧市街観光地区である。ホログラム看板と旧式文字看板が混然と並び立つ雑居ビルの下には、所狭しと屋台が並ぶ。赤や黄色の燈籠が、そして食べ物の匂いが、道行く人の足取りとついでに財布の紐をも緩めている。
喧噪に負けじとブルーが声を張り上げた。
「トワイライト! すごいナ! ひとも街も――とても賑やかダ!」
「おっと、はぐれンじゃないよ。ほら、手ェちゃんと握って」
「だいじょうぶダ!」
実際はそうでもない瞬間が何度かあった。
「鋼鉄の塊が走っている!」などと、色んな意味で口にしてはいけないような言葉を現実に聞いてしまった場合、そして車道に向かって突進をかまされてしまった場合、人は咄嗟の判断ができかねることを、トワイライトは身を持って知ったのだった。幸い、ここまではなんとか無事に切り抜けた。
ともかく、トワイライトは左手に買い込んだ衣料品の包み、右手にブルーの左手をしっかり掴まえて雑踏の只中を歩いていた。横では物珍しさと興奮ではちきれそうになっているブルーが今もきょろきょろとあたりを見回している。ブルーの右手には途中で買い与えた糖葫蘆の串が二本握られており、ときどき思い出したように一粒ずつ頬張っては蕩けそうな顔をしていた。途中、試しに「一口ちょうだい?」といたずら半分で頼めば、ブルーは何とも切なげな表情で飴を差し出した。もちろん買ったのはトワイライトだが、とてつもない罪悪感にさいなまれてしまったので一度きりでやめておいた。しかし大人げないトワイライトは自分の分も購入し、二本分をブルーに持たせてときどき自分も摘んでいた。
そんなふたりの容姿は人目を惹いた。時折、道行く人々が振り返ってはため息をついたり、見とれたように立ち止まったりするのだ。それをトワイライトはいつも通りに知らんぷりを決め込み、ブルーは全く気にとめる様子もなく通り過ぎていった。
「あと一軒……いや二軒行きたいんだけど、いいよな?」
「平気! ブルーはもっとたくさんいけるぞ」
「それ以上はおれがもたないよ」
ともあれ、初外出は問題なく終わりそうだった。高揚状態にあるものの、ブルーは楽しそうに街の様子を眺めていたし、メインの買い物も無事終えることができた。
トワイライトが抱えているのは、ブルーの普段着や外出着として当面の分を買いこんできたものだった。半分はブルーが自由に選び、もう半分はトワイライトが趣味で見繕ったものである。呉服店の主人は婦館で受ける仕事の繋がりもあり、だいぶ値引かせることに成功した。そのうえ上等の品をとっかえひっかえ勧めてきたので、ファッションショーじみたお楽しみも味わうことができた。
少女向けの旗袍に身を包んだブルーはとても可憐だった。店員までが見惚れ、その場にいた誰もが一瞬言葉を失っていた。その模様はちょっと痛快だった。ただ本人だけが何も分かっていないようで、「どこか変か?」と心配そうに振る舞っていたのがまた可愛らしかった。トワイライトは結局そのドレスも含めて購入した。
「……さァてと、ほんとは最初につれてくべきだったんだがねぇ」
「ん?」
「脚、疲れたろ」
「なぜ?」
「靴のサイズがあってないからだけど。違和感あるでしょ?」
指摘してやると、ブルーは自分の足元を見つめて「……少シ」と頷いた。まだブルーには遠慮があるのだ。当面はトワイライトのほうから本音を引き出すアプローチをすることが必要だった。
「呉服屋のじじい、あいつ午後は営業に行っちまうから予定を急いだんだけど。悪かったよ」
「ブルーは気にしていナイぞ?」
「っても靴はねえ、さすがに古物だとサイズが合わんからなァ。そういうわけでぇ、そこの角の店付き合って♥」
「……ブルーはもう十分に与えてもらっタが」
「靴は別モンなの! それにオマエはおれのなンだし、おれがオマエになにを与えようとおれの勝手だもンねぇ~」
「トワイライトはときどきわけのわからぬことをいう」
「いいンだよ、わかんなくて」
通りの角にある靴屋に入ると、膝に足を乗せるように言い、トワイライトはブルーの足を検分した。踵に靴ずれができてしまっていたが、幸いひどくはない。だが、やはり靴のサイズは少し大きいようだった。
「おねーさん、こいつの足測ってやってよ」
「はーい、ってトワイじゃないの。あら? なぁに今日もまた別の娘連れちゃって……しかもまだ子どもじゃない」
奥から出てきた若い女性店員が意味ありげな視線をくれるが、トワイライトは意に介さなかった。顔馴染みで女関係について多少知られてはいるが、だからといってどうということでもない。
「ンー。たまにはロリロリするのも気晴らしになるかと思ってェ?」
「否定しないところが嘘くさい。えっと……つまり遊びじゃなくマジってこと?」
「そういうのいいから。営業トークして、はやく」
急に恥ずかしくなったトワイライトが手ぶりで示すと、店員――名前はたしかリンという――はブルーの足の採寸を始めた。
なにやら話しているのか、ブルーがころころと笑っているところを見ると大丈夫そうである。接客に関しては相手が誰であろうとプロということか。安心したトワイライトは、自分の靴でも見ようかと視線を彷徨わせた。そこへ女二人の会話が聞こえてきた。
「くすぐったいナ? おねーさん、どうしてブルーの脚をそんなに摩るノカ?」
「顔もいいけど、ああ……あなたかなりの美脚ね。ちょっと奥に来て型を取らせてくれないかしら? それから踵をひと舐めさせてほし」
「ストップストップストップ! だめです! そういうのやってないです!!」
「けちぃ。少しくらいいいじゃない? 心配しなくても私用のコレクションで誰にも公開はしないから」
「余計だめだよ!? 刺青彫ろうとしたり足舐めようとしたり、なァんで懺骸の女は揃いもそろって痴女ばかりなんだよォ!?」
「失礼ね! これは靴に人生を捧げた者なりの最大の賛美なのよ!?」
「言っていることが分からないし分かりたくもないが、ブルーよ、他の店にしよう。まだ歩けるな?」
「うむ」
「あっ待って! お願い! せめて彼女のために至高の靴を選びぬかせて!」
リンがあわてて棚に向き合い、同サイズの靴を複数持ちだしてくる。
蓮や牡丹、鳳凰柄など、様々な刺繍が施され、ファスナー式からストラップ式、おまけに夏用長靴までがブルーの眼前にずらりと並ぶ。靴(と足そのもの)に対する審美眼はさすがのもので、どの品物も最高級といってよいものだった。ラインナップも豊富で、見ているトワイライトのほうが少しうきうきしてくるくらいである。
「どれでもいいよ。好きなの選びな」
「……ブルーはこれを直して履く。だめか?」
「カンフーシューズなら別に買うし。こっちは余所行き。さ、選んでよ」
「でも……ブルーはもうイイ」
雰囲気でなんとなく値段やら質やらの気配がわかってしまうらしく、ブルーは明らかに気後れしていた。「でも」といったきり口をつぐんで黙りこんでしまう。トワイライトとしては欲しい時はそう言われたほうが楽であるのだが。
本音を引き出すというのはここでも必要らしかった。なにも言葉だけがすべてではない。相手がなにを望むのか。それは目線や顔色、息遣い、表情のすべてに表れる。だから、結局はブルーをよくみてやれさえすれば、おのずと分かってしまうのだ。
「そんじゃ、その薄桃色の刺繍靴ちょうだい。足首に紐飾りがついてるほうね」
「トワイライト! ……ブルーはなにもいってナイのにどうして?」
「どうしてもなにも、さっきからそればっか見てただろ。ふつーどれ見てるかくらい気づくって」
「……みてない。いらナイ、必要ナイぞ」
「ほんとうにいらないのかなァ? いいのかなァ~?」
「うぅ」
意地悪く囁いてやるとようやくブルーは声を絞り出した。
「……トワイがいう通り、それが欲シイ」
「でしょ?」
「……悪かっタ」
「えー? 悪かったじゃないでしょ。おれはもっとべつのことを言われたいんだけどなァ?」
「えうう」
ほっぺたをぐにぐに捏ねてやるとブルーは変な顔のまま「ありがとう」といった。
「そーそ。子どもはそれでいいんだよ」
「ブルーは子どもナノカ」
「そういや、オマエいくつだよ?」
「……わからない」
「アー、まァ、もういくつだって関係ないよねぇ」
やがてリンが靴を包んで持ってきたので決済を済ませた。ブルーが自分で持つといったので素直に従う。両手がいっぱいになってしまうし、荷物が増えればブルーと手をつなげないからだ。
心底名残惜しげな視線で見送るリンを尻眼に店を出ると、二人はハルのスタジオへと向かって歩き出した。




