第99話 『畏鶴雑技町』
波有たちは白鶴の背の上に座り、青々とした大空を高く飛び渡っていた。
この白鶴の羽は、もともと和白の身についていた羽だ。
他の羽とともに法器『鶴羽扇』に仕立てられ、和白から仮羅へ本命の法具として贈られたものだった。
不老国にいた際、仮羅が小亀を慰めるため、扇から一枚引き抜いて手渡したのがこの羽だ。
その後、伊蘭たちを乗せて無光の追撃を逃れ、雪山を越え……
過酷な旅をともに乗り越えてくる中で、少しずつ霊智(知能)が芽生え始めていたのだ。
今の白鶴は、背中に乗っている人々の言葉をすっかり理解できるようになっていた。
マシンガントークの無畏が、胸の中に抱く壮大な夢を熱っぽく語るのを聞きながら、白鶴はふと羨ましい気持ちを抱いていた。
そうして飛んでいるうちに、なんと自分から言葉を口にすることができたのだった。
「無畏……」と、小さな声で呼びかける。
無畏は顔に心地よい風を受けながら、相変わらずノンストップで独り言を喋り続けていた。
声が聞こえてハッと振り向く。
だが、ギャラリーのはずだった面々は、すでに服を頭からすっぽり被ってぐっすり夢の中だ。
「誰だ、今僕を呼んだのは?」
首を左へ右へと振りながら、あたりを見回す。
「ここ……私だよ……白鶴だ」
今度ははっきりと聞こえた。
無畏は下を見下ろす。
白鶴は羽ばたきながら、つぶらな黒い瞳をくるりとこちらに向けていた。
無畏は大喜びだ!
「お前、知能が芽生えたのか!?」
白鶴はコクンとうなずく。
「でも……たくさん……喋れない」
先輩である無畏は、格好良く手をサッと振ってみせた。
「へっちゃらだよ、焦らずいこうぜ! 僕だって言葉を覚えたての頃はお前以下だったんだから。『ご主人様』しか言えなかったんだぞ?」
そう言って横たわる面々を指さした。
「でも見ろよ、今じゃこんな風にアイツら全員を喋りでノックアウトできるまでになったんだ!」
白鶴が言った。
「わたしも……君と……大石」
それを聞いた無畏は、ますますテンションが跳ね上がった!
「お前も僕と一緒に『胸の上で大石たたき割り』をやりたいのか!?」
「いやあ、鶴ちゃん、お前お目が高いな! よーし、近いうちに二人で組んで、王都の一番賑やかな街にでっかくて豪華な雑技団を開こうぜ!」
無畏は眉をひそめて少し考えると、ポンと手を打った。
「いや待てよ! 街ひとつ丸ごと全部を大道芸の街にしちゃおう! 街の名前は『畏鶴雑技町』だ! 」
「僕とお前の名前から一文字ずつ取ったんだけど、どう思う?」
白鶴は満足そうにうなずいた。
「いいね……無畏」
その横で「寝たふり」を決め込んでいた面々は、たまったものではなかった。
みんな腹筋がよじれるほど必死で笑いをこらえていたが、声の一筋さえ漏らすわけにはいかない。
波有は想像すればするほどおかしくなり、ついに耐えきれず「きゃははは!」と爆笑してしまった。
これには無畏も白鶴も飛び上がらんばかりに驚いた。
―――
その時、前方の景色がガラリと変わった。
どこまでも続いていた青々とした山脈が途切れ、パッと視界が開ける。
目の前に広がっていたのは、見渡す限りのエメラルドグリーンに煌めく、美しい南海の海だった。
「ひゃっほーい!」
無畏は空に向かって歓声を上げた。
「鶴ちゃん、知ってるか? 僕、胸の上で大石たたき割りの次にやりたかったのが『海を見る』ことだったんだ!」
白鶴は深くうなずいたものの、言いたいことは山ほどあるのに口から出たのはワンフレーズだ。
「よかった……ね!」
無畏はふと溜息をついた。
「お妃のトニちゃんが来られなかったのは残念だなあ。海を見るのが彼女の一番の願いだったのに」
冗談はさておき、トニのことを未だに「お妃」と呼ぶのだけは伊貴として許せないポイントだった。
彼はガバッと起き上がり、たった今目を覚ましたかのようなフリをした。
「トニの話かい? 心配いらないさ、いつか俺が連れてきて見せてあげるから。……それにしても無畏くん、彼女はもうお妃じゃないんだ。その呼び方はそろそろやめようね?」
伊貴のどこか暗い笑顔を見て、無畏は恐れをなして途端にしおしおと縮こまった。
「うぐっ……昔の癖でつい言っちゃってさ、後から『あ、今は伊貴の嫁さんだった』って思い出して……ごめんよ、伊貴!」
惨めな顔をする無畏を見かねて、周りの面々も起き上がり助け船を出した。
波有がわざとらしく尋ねる。
「ねえ、さっき誰とお話ししていたの?」
みんなが起き上がったのを見て、無畏はパッと顔を輝かせた。
「おい! 聞いてくれよ! 鶴ちゃんの知能が芽生えたんだ!」
みんな「えーっ!? 本当に!?」と大袈裟に驚いて見せ、白鶴へ挨拶をしに行った。
ワンフレーズずつしか喋れないと分かっているため、「やあ!」「調子はどう?」と短く声をかけていく。
大勢に挨拶されて気分が良くなった白鶴は、ますます羽振りを良くしてスピードを上げた。
伊貴が彼らに注意を促す。
「もう南海に入った。みんな、警戒を怠るなよ」
かつて逃亡していた頃に比べ、今の白鶴は当時の三~四倍もの大きさに成長していた。
伊蘭たちが背中でゴロゴロ寝返りを打てるほどで、体力も法力も段違いに跳ね上がっている。
荒れ狂う海の強風の中でも、ビシッと安定して飛ぶことができた。
飛ぶ速度も格段に増しており、南海に入って間もなく、前方のかすむ白霧の中に怪しい影が見えてきた。
近づくにつれ、霧の中に佇む三つの人影がはっきりと視界に飛び込んでくる。
間違いなく、星盤仙尊の弟子である和白と藍、そして心魔(無光国師)が激闘を繰り広げている最中だった。
伊貴が慌てて指示を出す。
「鶴ちゃん、これ以上近づかないでくれ。私たちみたいな若手が飛び込んだところで一たまりもない。ここで機を伺いつつ、和白様と藍様をサポートしよう!」
―――
妖族同士の戦いにおいて、決着の時は必ず「真身(本来の姿)」を現して死闘を繰り広げるものだ。
あちら側には、雪のように白い毛並みにエメラルドグリーンの瞳を光らせる藍と、純白の翼を大きく羽ばたかせる和白が並び立っていた。
藍の毛並みにも和白の翼にも、痛々しい血の跡が鮮やかに散っている。
対するもう一方——頭に立派な鹿の角を戴き、四つの蹄で黒雲を踏みしめる四不像の姿をした無光がいた。
彼は高々と首を掲げ、まるで彫像のように微動だにせず立ち尽くしている。
伊貴が低く呟いた。
「藍様も和白様も、手傷を負っておられる……」
無畏が思わずへりくつを叩く。
「向かいのシカの血かもしれないだろ?」
波有がジト目で睨みつける。
「無光の毛並みを見てみなさいよ。どこに血が付いているのよ?」
見れば、四不像の全身は新雪のように真っ白で、一筋の汚れすら存在しなかった。
対峙していた三人は、飛来した白鶴と背に乗る伊蘭たちの存在に気づき、すぐさま人間の姿へと戻った。
和白と藍は顔をほころばせた。
波有たちがここに辿り着いたということは、砂漠で『蓋紅沙』を手に入れる作戦が成功した証拠だ。
ここまでの激闘において、なぜか無光は『如意錫杖』の凶悪な法術を使ってこなかった。
つまり、四不像驕盧の法力だけで戦っていたのだ。
(驕盧一人の力で俺たち二人を倒せると高をくくっているんだな……)
二人は密かに安堵しつつも、相手の自負心の強さを警戒していた。
―――
無光は少し離れた場所で佇む白鶴を見つめ、クスリとあざ笑った。
「青二才どもめ、少しは身の程を知っているようだな」
「まあ、立場上、僕もお前たちのようなひよっこ相手にムキになるつもりはない。都の囚人を逃がした件も、大目に見逃してやろうではないか」
「ここは大先輩が決着をつける場所だ。邪魔にならないよう、もっと遠くへ去るがいい」
一呼吸置くと、無光は波有へ視線を向けた。
「……ただ、人魚姫よ。如意塔を取り払ったのはお前だな? 頂上に輝く『人魚の涙』はお前が流したものかもしれんが、今や僕の法器だ」
「何度も邪魔されて不快ではあるが、お前は『師妹』の生まれ変わりだ。かつての情に免じて、少しは手減らしをしてやるとしよう」
無畏が不満そうに吐き捨てた。
「シカのバケモノ、マジで態度がでかいな! 僕より喋り倒しやがって!」
「威張るだけの理由があるのさ。現世で最も強い存在があいつなんだから」伊貴が重々しく呟く。
無畏は目を丸くした。
「じゃあ……あいつが世の中で一番強い奴なのか!?」
周りが答える間もなく、さらに叫んだ。
「うわあ! 今回の旅は本当に目から鱗だな! 世界最高の絶世の猛者たちのバトルを見られるなんて!」
そして感心したように呟く。
「見た目じゃ全然分からないや、あんなに若いのに!」
小亀が耳元で静かに囁いた。
「光如意羅漢の心魔が中にいるんです。本当の年齢は、鷹王と変わらないんですよ」
「へえー! この若返りの法術、すごいじゃないか! あのイケメン顔を見たら、大王様も星盤仙尊も完敗だな!」
あちら側にいる三人は超一流の法術の使い手だ。
無畏たちのヒソヒソ話など、まる聞こえであった。
和白と藍は思わず吹き出しそうになった。
波有たちは一体どこでこんな珍妙な逸材を拾ってきたのだろうか、と。




