第91話 狙われる不老不死の秘術
<前書き>無光国師(心魔)についての解説
無光国師——正体は、かつて光如意が人魚姫・波有に抱いた、深すぎる執着から生まれた「心魔」の一筋の影である。
昔日、増長した心魔は光如意の肉体を乗っ取った。
一番弟子である光驕盧(霊獣・四不像)は、妹弟子の波有を守るため立ち向かったが、心魔に叩きのめされ、南海の万丈の深淵にある巨大な岩の下へと封印されて深い眠りについた。
その後、波有が命を落とすと、光如意は大悟の境地に達した。
ついに羅漢としての正果を修め、自らの体内から心魔を追い出すことに成功したのだ。
しかし、執着から生まれた心魔を完全に消し去ることはできない。
羅漢は心魔を眠り続ける光驕盧の体内に封印し、強大な呪いをかけたのだった。
それから何百年もの時が流れた。
羅漢が世を去り、封印の力は日ごとに衰えていったが、光驕盧が目を覚ますことはなかった。
——あの日、人間に生まれ変わった波有が、偶然にも呪いを破って光驕盧を呼び起こすまでは。
そして覚醒とともに、長きにわたり静まり返っていた心魔もまた、目を覚ましてしまったのだ。
現在の心魔は、自らを「無光国師」と名乗っている。
彼は光如意羅漢の神通力と、四不像・光驕盧の太古の凄まじい威圧感を強引に融合させ、二大強者の途方もない法術を一身に宿した。
こうして、世で誰一人立ち向かえない至高の存在となったのである。
人魚族は、ずっと昔からこの南海の果てにある小さな島で暮らしていた。
伝承によると、先祖のそのまた先祖の時代、世の中では、人間が妖族よりも強い勢力を持っていた。
海で魚を獲る船乗りたちが、人魚たちの歌声に出会うことがある。
霊力を持たない普通の人間にとって、彼女たちの天上から響くような美しい歌声は毒のように人を狂わせ、時には海へ落ちて命を落とす者もいた。
そんな話が噂として広まるうちに、人魚は「漁師を惑わせて命を奪う恐ろしい悪魔だ」と決めつけられてしまったのだ。
当時の人間の強力な術師たちが大勢の修行者を率い、美しい人魚たちを一人残らず殺し尽くそうと、海上で大討伐を始めた。
彼らは逃げて、逃げて、逃げ延びた末に、この南海の奥深くにある島へと辿り着いた。
人魚のご先祖様は、凄惨な体験と残忍な人間たちの姿を思い返すたび胸を痛め、残された仲間を守るために島の周囲へ幻の結界を張った。
島に住む者が内側から仕掛けを解除しない限り、どんなに広大な海を探しても白い霧が見えるばかりで、島の入口に辿り着くことすらできないのだ。
―――
無光は国師の黒い長袍を羽織ると、部屋を出て甲板へと足を向けた。
左右に控えていた従者たちが、彼の姿を見るなり一斉に頭を低く下げる。
李御は葉と慧を引き連れ、美姫も円筒を従えて、動きを察知すると部屋から出て彼の脇に立った。
巨大な船は帆いっぱいに風を受け、波を押し分けて海を突き進んでいる。
舵を取っていた妖怪が振り返って報告してきた。
「国師様! 航海図の通りに進んでおります。間もなく人魚島を覆う霧の海域へと入ります!」
無光は静かにうなずき、短く命じた。
「全速力で向かわせろ」
彼がここを訪れるのは、これが初めてではない。
何百年も昔、光如意羅漢の身体を借りて、当時の人魚族の長老―戦勇に会いに行って以来のことだ。
そして今——千年の時を経て、彼は「不老国」の国師として艦隊を率い、南海へ向けて堂々と船を出していた。
目指すは、あの人魚島だ。
目的は、島に眠る極上の禁断の秘術を手に入れること。
絶対に勝利を手にするため、手下の赤狐・李御と、北海美姫の二人も伴っていた。
秘術の名は『酵人大法』。
天の理に背く恐ろしい禁術であり、作り方は血生臭く、あまりにも惨いものだった。
千年前、彼が当時の長老から耳にした伝説の秘術である。
やり方はこうだ。
まず人間の心臓と肝臓を壺に入れて発酵させ、そこに人魚の血を混ぜ合わせる。
複雑な工程を経て作られた代物を身体の中へ戻し、新たな肉体を作り上げるのだ。
新しい身体には人魚の血が交ざっているため、永遠に年を取らず、死ぬこともない!
しかし、人魚の血は絶大な効果を持つ反面、凄まじい毒性も秘めていた。
人造の身体を作り上げたとしても、不老不死になれる確率は、わずか百分の一に過ぎない。
つまり、百人分の心臓と肝臓を使って百つの体を作ったとしても、最後まで生き残って不老不死になれるのは、たった一人だけなのだ。
身分の高い王族の身体を使えば使うほど、成功率は跳ね上がる。
小皇帝の李順天が真っ先に犠牲となったのも、まさにそれが理由だった。
秀麗山から逃がしたガキども(波有たち)のことなど、彼はハエほどにも思っていなかった。
逃げたなら逃げたでいい、大した問題ではない。
仮に救援を呼びに行き、通天山へ辿り着いて星盤仙尊に泣きついたところで、一体何ができるというのか。
大昔、彼は光如意の一番弟子として通天山からの客を迎えたことがある。
計算してみても、あの老いぼれがまだ世に生きていたとしても、「天人五衰」の時期を迎えているはずだ。
霊力は衰え、まるで風前のともしび。今の自分にとっては敵ですらない。
ただ、じじいには二人の弟子——鶴と狼がいたはずだ。
何百年も経った今、あの二人組がどれほどの力をつけているかは分からない。
……時が経つのは本当に早いものだ。
―――
周りの者たちから見れば、彼は美女たちを左右にはべらせて、心底楽しんでいるように映っただろう。
公平さを示すため、そして李御と美姫のどちらも大切に思っていると伝えるため、自分の部屋の両隣にそれぞれの部屋を割り当てていた。
この冷酷で美しい貴公子に恋焦がれていた狐と魚の二人の美女は、船に乗った瞬間から、バチバチと火花を散らしてマウントを取り合っていたのだ。
美姫は自分の容姿が「天下第一の美女」には遠く及ばないことを自覚していたため、派手な厚化粧をやめ、小さくて可愛らしい清楚なスタイルへと変えていた。
まさか、李御も全く同じことを考えているとは思わなかったのだ。
化粧をしていないのに透き通るような李御の白い素肌を見て、美姫は(なんて手ごわいライバルなの……)と苦々しく思った。
素顔の美しさでアピールしようとした目論みは、どうやら失敗に終わったらしい。
彼女は九十九人いた美男の愛人たちを全員北海へ置いてきたが、デブ軍師の円筒だけは連れてきていた。
今も彼は隣に座っている。
もうずいぶん長い間、美姫は眉をひそめて不機嫌そうな顔をしていた。
軍師は(ただでさえシワが多いのに、これ以上眉をひそめたらゴーヤみたいな顔になっちゃいますよ)と注意したかったが、そんなことを言えば平手打ちを食らうのは目に見えている。
そこで、言い方を工夫してみた。
「我が愛する宮主様、今回のお姿は実に可憐で素敵でございます。少し眉をひそめていらっしゃるお顔すら、息をのむほど絵になりますぞ」
美姫はハッと正気に戻った。
「私、ずっと眉間にシワを寄せていたかしら? やだ、美人が台無しじゃない!」
彼女は手招きして、軍師を近くへ呼び寄せた。
ここは北海ではない以上、部屋の前を通りかかった者に話を聞かれる危険があったからだ。
デブは椅子を少し寄せて尋ねた。
「宮主様、何かお申し付けでしょうか?」
美姫は不満そうに呟く。
「見た目じゃ勝てないと思って、あれこれ工夫してきたのよ。それなのに、あのキツネ女まで同じような格好をしてくるなんて……もう悔しくて歯ぎしりが出ちゃうわ!」
軍師は小さな目をパチパチさせた。
「考えすぎではありませんか? 驕盧様は顔で人を選ぶようなお方には見えません。術の強さで言えば宮主様の方が一枚上手ですし、お付き合いの長さだって違います。驕盧様が南海の底に封印されていた頃からのお知り合いなのですから」
「そうでしょう? そもそも私が胡白たちに報せに行って、偶然あの女の子が封印を解いてくれなかったら、驕盧様はいまだに岩の下で押し潰されていたかもしれないのよ」
美姫は満足そうに微笑んだ。
「そう言われて思い出しました。当時から不思議だったのです。驕盧様には強力な封印の呪いがかけられていて、宮主様ですら解除できなかったはず。あの子は人間の修行者に過ぎないと聞きますが、一体どうやって解いたのでしょうね?」
軍師は不思議そうに考え込んだ。
美姫は首を振った。
「あの子の法術が凄かったわけじゃないわ。たまたま揺り起こしただけよ。驕盧様は凄まじい霊力と法力をお持ちだから、目を覚ました後にご自分の力で封印を破られたに決まっているわ」
―――
……実は、美姫の推理も間違っていた。
封印は、光如意羅漢が心魔を四不像・光驕盧の中に閉じ込めるためにかけたものだった。
羅漢が世を去って何百年も経ち、呪術の力は年々弱まっていたのだ。
ただ、四不像である驕盧はずっと深い眠りについていて、起き上がることがなかっただけなのだ。
波有がふと口ずさんだ哀しい人魚の歌によって完全に覚醒した時、彼は自分を縛っていた呪いがとうに力を失っていることに気づき、あっけなく岩の下から抜け出したのだった。
無光国師が李御と美姫を両隣の部屋に住まわせたのは、表面上は二人を平等に扱うためだったが、もう一つ理由があった。
どんな小さな音であっても、壁越しにすべて聞き取ることができるからだ。
だからこそ、美姫と軍師が交わしていたこの会話も、彼は一文字残らず耳にしていたのだった。




