第88話 ヘビ男の下心
目を覚ますと、目の前に「赤たまご」みたいな顔があった。
小亀の両頬がパンパンに丸く腫れ上がり、目が押し潰されて細い線のようになっている。
波有は心底ギョッとして、思わず飛び起きそうになった。
一瞬、これがイケメン師弟だとは分からなかったんだ。
隣にいた伊蘭が、ニコニコしながら彼をからかう。
「起きてくれて良かったよ。じゃなきゃ、情に厚い若旦那は、申し訳なさのあまり自分の顔を殴り壊すところだったからね」
「まあ、二人でゆっくり話しなよ。俺はみんなに目覚めたことを伝えて、薬をもらってくるから」
波有は必死で目をこすりながら、呆れたように叫んだ。
「さっきは死なずに済んだのに、あんたの不細工な顔のせいでショック死するところだったわよ!」
小亀は彼女が起き上がったのを見ると、嬉しそうに顔を寄せてきた。
「師姉、起きたんだね! 良かった! ねぇ知ってる? 湖の底から水が湧き出たんだよ。君が砂漠全体を救ったんだ!」
波有は不思議そうに尋ねた。
「その顔、どうしたの? 誰かに殴られでもしたの?」
小亀は顔を撫でながら、気まずそうに答える。
「これは……罰するために、自分で叩いたんだ」
波有は呆れ返って苦笑した。
「このおバカさん。何やってるのよ。そんなことして私の痛みが和らぐわけないでしょ。本当にバカね!」
「そうだよ、僕はバカで間抜けさ! でも師姉、本当に後悔しているんだ。僕がずっとそばについていれば、君にこんな大怪我をさせずに済んだのに……」
波有はようやく正気に戻り、水底での出来事をじっくりと思い返してみた。
(ううん、違うわ。あの時もし師弟が隣にいたら、きっと甘えが出ちゃって、あそこまで必死になれなかったと思う。痛みに負けて、尾ヒレを振るのを諦めていたかもしれない……)
彼女は思った。
人間はとても小さくて儚い存在けれど、時に思いもよらない底力を発揮する。
あんなにも苦しくて壮絶な時間だったけれど、自分はやり遂げたのだ! 地下の水源を叩き起こし、湖を元通りにして、砂漠の生き物たちを救ったのだ!
今の彼女の心は、誇りと大きな喜びに満ちあふれていた。
ずっと昔、世の中が大日照りに見舞われた際、光如意羅漢が岩を叩き割って水を呼び寄せたという時の気持ちが、今の波有には少しだけ分かるような気がしていた。
―――
その時、テントの入口がさっと開かれ、伊貴とトニが薬の入ったお椀を手に持って入ってきた。
「波有ちゃん、目が覚めたのね! お医者様が、起きたらすぐ薬を飲むようにって。痛みを和らげる海市花が少し入っているのよ」
トニに言われて初めて、波有は下半身に走るズキズキとした痛みを思い出した。
彼女は無理に笑顔を作った。
「心配をおかけしました! もう大丈夫です。この薬を飲んで数日大人しくしていれば、すぐ元通りになりますよね?」
トニは涙をぽろぽろとこぼした。
「お医者様は、さいわい大事な部分には傷が届いておらず、表面の怪我だけだって言っていたわ。でも、水族にとってウロコが剥がれるのがどれほど痛いか、私には分かるの……波有ちゃん、本当に辛かったでしょうね」
波有はお椀を受け取ると、苦さも気にせず一息に飲み干した。
「薬はまだありますか? たくさん飲んで早く動けるようになれば、すぐに通天山へ帰れますもの! みんなの足手まといにはなりたくありませんから」
伊貴は波有を見つめ、それから小亀へと視線を向けた。
「焦らなくていいよ。まずは身体を治すのが先決だ。それに、相談したいことが二つあるんだ」
「一つ目はね、さっき将軍が来て俺に伝えてきたんだ。『四人は先に砂漠を出ていっていいが、波有だけはここに残せ』とね」
「理由としては、君の怪我がまだ治っていないこと。それと、大月湖以外にも新しい水源を探してほしいからだそうだ。他にも水源が見つかれば、本当の意味で安心できるから、とね」
それを聞いた小亀は、あからさまに軽蔑の表情を浮かべた。
額に青筋を立て、整った目を怒りで燃え上がらせている。
「あいつ、師姉を自分のモノにしたいだけだろ! そんな大層な理屈、誰が信じるかってんだ! 無畏からも聞いていただろ? あいつの主人が心から欲しがっているのは、師姉なんだよ!」
伊貴は彼をなだめた。
「落ち着きなよ。最後まで話を聞いてくれ。二つ目は、無畏のことだ。俺たちがこのまま去ってしまえば、彼は永遠に宝物庫の精霊として縛られ続けることになる。それはあまりにも不憫だと思うんだ」
「外の世界を見せてあげると彼に約束した。だから……トニの時と同じように、何か良い方法がないかと思っているんだ」
一瞬、部屋の中がしんと静まり返った。
「将軍は、俺たち四人が一刻も早くここを離れることを望んでいる。鷹王が目を覚ませば、また禁錮されてしまうと危惧しているんだ。彼は三味真火の宝物をひどく気に入っていて、ずっと執着しているらしい」
伊貴が言葉を付け加えた。
波有はふと疑問を口にした。
「でも、鷹王は『天人五衰』で寿命がもう長くないんでしょう? そこまで世の中の宝物に強欲になれるのかしら……」
「どんな者にも弱みはあるものさ。それが鷹王の弱点なんだろうね」
伊貴は静かに溜息をついた。
―――
通天山の弟子たちは、宝を盗みにきた小悪党から、一躍「砂漠の大恩人」へと祭り上げられた。
人面桃将軍は、すぐさま自分のテントを伊蘭たちに譲り渡した。
(あぁ、なんて幸せなんだろう! 大好きなあの子が自分のベッドで横になっているなんて!)
人面桃は自分自身の気利いた計らいに感動して、泣きそうになっていた。
ただ一つ面白くないのは、あの生意気な男がずっと彼女のそばにくっついていることだ。
(ふむ……何か良い手を使って、あの二人を引き離さなければな)
ふと、彼は大王がまだ眠り続けていることを思い出し、様子が気になった。
蛇の身体をくねらせて大帳へ滑り込み、鷹王のベッド脇へと遊泳するように近付いていく。
皇后は目をつぶって体を休めていたが、人の気配に気づくと慌てて体を起こし、鷹王の手を握りしめた。
いかにも甲斐甲斐しく看病していたかのような素振りを見せる。
人面桃は声をひそめて尋ねた。
「皇后様、大王様のご容体はいかがですか?」
皇后は悲しみに満ちた顔を作ってみせた。
「相変わらずですよ。このように眠りこけたまま、ピクリとも動きません。将軍、大王様は眠り続けていて、お食事は必要ないのでしょうか?」
蛇男は慎重に考え込みながら答えた。
「古文書によれば、必要ございません。たとえ目を覚まされたとしても、お食事の量は激減するとのこと……こればかりは、どうしようもございませんな」
(この老いぼれ、ようやく顔色を伺わずに済むようになったわ。後で妹たちとおしゃべりでもしようかしら)
皇后は心の中でそうほくそ笑みながらも、目元からは無理やり嘘の涙を二滴ほど絞り出してみせた。
人面桃はその悲しそうな様子を見て、慌てて慰めた。
「皇后様、どうかお体を壊されませぬよう。あなた様が倒れられては、誰が大王様をお世話するのです……実は、外の状況をご報告に参りました」
皇后はすでに下っ端の妖怪から、湖の水が戻り、暴動が収まったことを聞き及んでいた。
「将軍、見事な働きでしたね! あなたが神使たちを自分のテントへ招き入れ、お医師まで手配したと聞きましたよ。我が砂漠の器の大きさを示す、素晴らしい対応ですわ」
「トニはかわいい末妹なのです。少し言うことを聞かない子ですが、一番上の姉として愛さずにはいられません。昔から他の妹たちとは違って、砂漠の外の世界に憧れておりましたからね」
「良い機会ですわ。彼たちと一緒に外の世界を見に行かせましょう。あの子の長年の願いを叶えてあげるのも悪くありません」
―――
蛇男はニコニコと揉み手をしながら褒めちぎった。
「お妃様は、あなた様のような慈悲深く情に厚いお姉様をお持ちで、本当に幸せ者でございますな!」
そして、すっと話題を変えた。
「ところで、四人の神使についてですが……私、考え抜いたのでございます。あの日、湖の底で具体的に何が起きたのか、我々は岸の上から見ていただけで、詳細は分かっておりません」
「後で尋ねましたところ、どうやら一番下の妹弟子が、ダイヤモンドのついた宝物で湖底を叩き割り、深い亀裂を作ったことで地下水脈が噴き出したそうなのです」
蛇男は自分の下心をひた隠しにし、平静を装いながら言葉を続けた。
「現在、その子は怪我をしております。それに、彼女が他の場所でもいくつか水源を見つけてくれれば、我が砂漠の水問題は万全となります。ただ、少々時間がかかりましょう」
「皇后様、こう考えております。他の三人の神使には、大月湖を救った手柄として蓋紅沙を与え、早々に出発させて通天山へ報告に行かせるのです。あの妹弟子だけは、沙の谷に引き留め、引き続き他の水源を探してもらう……というのはいかがでしょうか?」
皇后は意地の悪い笑みを浮かべた。
「前回、あなたがあの小娘のことで大王様からお叱りを受けたのは知っていますよ。私は大王様ほど頭の固い人間ではありませんから、あなたの好きにしなさい」
人面桃は皇后の顔色を伺いながら、歯切れ悪そうに言った。
「皇后様、私が今心配しているのはもう一つのことなのです。もし大王様が目を覚まされた時、私が勝手に人間を逃がしたと知ったら、激怒されるのではないかと……そこが恐ろしいのです」
「大王様が彼らを閉じ込めていたのは、氷山と交換するためでしょう? もう水源の問題は解決したのですから、なぜ逃がしてあげないのです?」
皇后は不思議そうに首をかしげた。
蛇男が解説する。
「ご存じの通り、大王様は宝物に目がございません。神使が持つ三味真火をひどく気に入り、彼らを宝物庫で殺して、その法具を奪い取ろうとなさっていたのです」
皇后は鼻で笑った。
「命が尽きかけているというのに、まだそんなものに執着しているなんてねぇ」
そう言って眠り続ける鷹王を一瞥した。
「この様子なら、当分目を覚ますことはないでしょう。少し考えさせてちょうだい。解放するのは、それからでも遅くはないわ」




