第86話 大月湖の水源を探せ!
二人の副衛隊長が家族を見つけられたかどうかは、一旦置いておくとして。
宝物庫の中では、波有たちがついに精霊の無畏と打ち解け、すっかり仲良くなって会話を弾ませていた。
伊貴は師父や伯父を救うため、蓋紅沙を探しにここへ来た経緯を隠さず話し、お喋りな無畏も知っていることを一から十まで隠さずに語ってくれた。
こんな風にお互い腹を割って話せるなら、どうして殺し合いなんてしなければならなかったのだろう――誰もがそう思っていた。
けれど、大豆もやしのような丸くてデカい頭に、くりっくりな目玉を乗せた精霊が、瞬きせずにじーっと見つめてくると、さすがの波有も少々居心地が悪かった。
「……ねえ、無畏くん。私に何か用でもあるの?」
耐えかねた波有が尋ねる。
隣では小亀が、「フンッ」と鼻で笑いながら冷ややかな視線を送っていた。
彼、心の中には、早くからある疑念が芽生えていたのだ。
無畏はコックリと頷くと、相変わらず大きな目で彼女を凝視する。
「はぁ……分かったわよ、降参! 言いたいことがあるなら言いなさい、聞いてあげるから」
波有がため息をつくと、小亀が焦って割り込んできた。
「ダメだよ、師姉! 万が一、あいつが『主人と結婚してください』なんてお願いしてきたらどうするのさ!」
「えっ、まさかそんなわけないでしょ!?」
波有が目を丸くすると、無畏は悪事がバレた子供のようにオドオドしながら、消え入りそうな声で呟いた。
「……だ、ダメなのかな?」
「ダメに決まってるでしょ!!」
波有と小亀の声が完璧にハモった。
「そ、そんなぁ……僕、まだ何も言ってないのに……」
無畏はショックを受け、しおしおと肩を落とした。
(やっぱり師姉は僕と心が通じ合っている! 断る時までピッタリ重なるなんて!)と、小亀は大喜びしている。
―――
もちろん波有にしてみれば、頷けるはずもなかった。
人面桃将軍に対する彼女の第一印象は、「人間の顔をしたヘビの化け物」だ。
人魚だって上半身が人間で下半身が魚だから、似たようなものかもしれないけれど、見た目の美しさと醜さの差は月とスッポン、比べるまでもなかった。
もっとも、見た目の問題だけでもない。
彼女は昔から男勝りでサバサバした性格で、「男女の意識」なんてまるでなかった。
その上、以前はパッとしない容姿だったこともあり、男の子から好きになられた経験など一度もなかったのだ。
最近になって前世の姫君としての姿を取り戻し、ようやく美しくなれたものの、次々とアプローチしてくる男たちが現れても、浮かれる気にはどうしてもなれなかった。
師父と伯父様の救出に、驕盧との決着。さらには蓋紅沙の入手と、ここからの脱出――。
やるべきことが山積みで、恋愛にうつつを抜かす余裕なんてどこにもなかった。
「僕の主人は、すごく一途なんだよ。彼が考えていることは僕にも全部伝わってくるんだ。沙の谷では、力のある妖怪が何人もお嫁さんを貰うなんて普通のことだけど、彼は今まで一度も女の子を好きになったことがないんだから」
「何百年も溜め込んできた恋心が、君を見た瞬間に爆発しちゃったんだと思うよ」
無畏は波有の顔色を伺いながら、必死に主人のフォローを続けた。
「実はね、少し前にも主人がここに入ってきたんだ。でも、波有ちゃんが伊甲とすごく楽しそうに横になってお喋りしているのを見て、心底ショックを受けてさ。ほんの一目見ただけで、悄然と出ていっちゃったんだよ。あの時の彼、ものすごく苦しんでた……僕には痛いほど分かったんだ」
波有はぽかんと話を聞いていたが、どう返事をしていいのか分からなかった。
小亀が冷ややかに言い放つ。
「だから何だって言うんだよ! 僕と師姉はずっと命がけで試練を乗り越えてきた絆があるんだ。お前の主人なんか、一目見ただけだろ? 比べものになるかよ!」
無畏は丸くて白い大きな頭をブンブンと振りながら反論した。
「君は『一目惚れ』って言葉を知らないの!?」
―――
二人が噛み合わない口論を続けていると、姉たちの身を案じていたトニが、心配そうにモヤシっ子へ尋ねた。
「ねえ、無畏くん。お姉様たちは無事かしら? 私のせいで迷惑をかけていない? 私、昔から聞き分けのない妹だったから……今もこうして閉じ込められて、大姉(皇后)様も大王様の前で肩身の狭い思いをしているんじゃないかしら」
「お妃様、心配いりませんよ。皇后様はそんな風になっていませんから。……ただ、さっき主人と感覚を同調させたら、とんでもない大事件が起きていて、沙の谷全体がてんやわんやの大パニックになってるみたいです」
みんなが息をのんで理由を尋ねると、無畏は淡々と説明を始めた。
「大王様が突然倒れて、目を覚まさなくなっちゃったんです。主人は『天人五衰』の症状だって言ってました。今すぐ命の危険はないみたいですけど」
「……それと同時に、大月湖の水位が急激に下がっちゃって。その噂が広まって、住民たちが一斉に水を奪い合いに押し寄せているんです。このままだと、湖が干上がるのは時間の問題ですね」
トニの目から、一瞬でポロポロと涙がこぼれ落ちた。
「そんな……どうすればいいの? 大月湖は、ここにある最後の命の綱なのに……」
「どうすればいいかって? さあね。たぶん全員喉が渇いて死ぬか、砂漠を出て外の世界に生き残る道を求めるしかないんじゃない? 君たち妖怪や人間は、お水と食べものがないと生きていけないもんね」
無畏は他人事のように涼しい顔で言い放った。
言葉を聞いた全員の心が、ずんと重くなった。
伊貴はしばらく深く考え込んだ後、顔を上げて波有を見つめた。
「師妹。以前話してくれた『岩を叩いて新しい水源を掘り当てる』って方法、試してみる価値はあると思うかい?」
波有も思案げにうつむいた。
確実な保証があるわけではない。
けれど、沙の谷の広場で罰を受け、干からびていた小妖精たちの姿が頭をよぎった。
もし水がなくなれば、谷に生きるすべての者が、あいつらと同じ無惨な末路を辿ることになる。
(トニの家族のためにも、絶対に全力でやってみせる!)
気持ちが固まると、もう迷いはなかった。
「二師兄、私、やってみたい! もし新しい水源を見つけられたら、鷹王も私たちを閉じ込めて氷山と交換する必要がなくなるでしょ? 何より、砂漠の生き物たちがここで生きていけるようになるわ!」
トニはボロボロと涙を流しながら、波有を強く抱きしめた。
「本当に新しい水源を見つけてくれたら、あなたは砂漠に生きる全員の命の恩人よ!」
伊貴は強く頷き、無畏に向かって言った。
「将軍に伝えてくれないか。『僕たちを大月湖へ行かせてくれれば、この危機を救えるかもしれない』と」
―――
いまや、新しい水源を見つけること以上に重要な仕事など存在しなかった。
鷹王は昏睡状態のままであり、無畏からの報告を受けた人面桃は、すぐに波有たちを宝物庫から出し、大月湖のほとりへと連れ出した。
そして、水を奪い合っていた大勢の民に向かって高らかに宣言したのだ。
「通天山から来た神使たちが、新しい水源を探し出し、大月湖が干上がるのを防ぐ方法があると言っている!」
瞬間、地鳴りのようだった怒号が、嘘のようにピタッと静まり返った。
絶望に打ちひしがれながらも、かすかな期待を抱いた無数の瞳が、一斉に湖岸へと向けられる。
視線を浴びる中、複雑な表情を浮かべた親衛隊の手によって、伊蘭一行が連れてこられた。
波有は振り返り、師兄たちに「岸の上で警戒して、見張っていてね」と低く伝えた。
そして深く息を吸い込むと、小亀を連れて勢いよく湖へ跳び込んだ!
バシャーン! と冷たい水しぶきが上がる。
今の大月湖は、表面こそ濁ってドロドロになっていたものの、さいわい深体部まではまだ悪影響が及んでいなかった。
湖底の水は澄み切っており、真上の太陽光が濁り目を突き抜けて、まるで幻想的なクリスタルの光の束となって水中へと降り注いでいる。
美しい光の中に、エメラルドグリーンの水草がゆらゆらと揺れ、水流に合わせて優雅に舞っていた。
二人はもう姿を隠すのをやめ、水の中で本来の姿へと戻った。
一方は、虹のように鮮やかで息をのむほど美しい人魚。
もう一方は褐色の草亀。
彼らが淡い緑色の水草の森を軽やかにすり抜けていく。
波有の美しい魚尾と七色のヒレが太陽の光を反射し、水域全体を虹色に染め上げていく。
まるで湖の底に、光と影の豪華な絨毯を広げたかのようだった。
荒涼とした砂漠に暮らす人々が、こんな神々しく美しい光景を今までに目にしたことがあっただろうか。
湖畔に集まったの群衆は目を丸くし、息を殺して、湖底で起きている奇跡を緊張した面持ちで見つめていた。
湖の中央エリアをしばらく泳ぎ回っていた小亀が、泥砂に半分埋もれた巨大な青い岩の前でピタリと止まった。
彼は前脚をブンブンと振り、大慌てで波有を呼び寄せる。
「師姉、ここはどうかな!? まずはこの岩から試してみようよ!」
波有は一目見ると、すぐに頷いた。
表情を引き締め、胸の前で素早く印を結ぶと、全身の膨大な霊気を惜しみなく尻尾の先へと集中させていく。
次の瞬間、魚尾に埋め込まれた四つの海音鈴から、ダイヤモンドが放つ眩いばかりのオーロラが弾けた!
「ハッ!!」
可憐で凛とした気合の一声とともに、波有は水中でしなやかに腰をくねらせた。
霊力を極限まで溜め込んだ魚尾を、万鈞の重みを乗せて、巨大な青岩へと一気に叩きつける!
ズドンッ!!
硬く鍛え上げられたダイヤモンドの衝撃が激しい水流を巻き起こし、数トンはあろうかという大岩を一瞬で粉々に砕き割った!
それどころか、恐ろしいほどの衝撃波は青岩の底にある頑丈な砂地までも引き裂き、深く長い亀裂をズバッと刻み込んだのだ。




