第81話 我慢比べ
前回小亀がここへ足を踏み入れたときは、精霊が小舟を漕いで、鷹王を黄金の海へと案内していた。
けれど、今の無畏はこちらに敵意を向けている。
どう考えても小舟を貸してくれるはずがなかった。
そこで小亀は元の姿へと戻り、波有たち一行を背中に乗せて、黄金の海の中心に向かってゆっくりと飛び立った。
そして先ほどのうざったいおチビちゃん(無畏)のマシンガントークは、波有の心にダメージを与えていた。
彼女はすっかり落ち込んでしまい、昔、伊高屋が言っていた言葉を思い出してポツリと呟いた。
「師父が言っていたんだ。『人間、歩いている以上は、それが一日早いか遅いかの違いだけで、行き着く結果はみんな同じだ』って」
「こんなところに閉じ込められたら、もう何一つ期待できないよ。やり残したことなんて、もう考えたくない……考えても無駄だし、余計に悲しくなるだけだもん」
すると伊貴が首を振ってなだめた。
「師父は口が軽いから、その場のノリで良いことも悪いことも適当に言うんだよ。どうして彼が言っていた『努力して上を目指せ』を忘れて、そういう言葉ばっかり覚えているのさ」
「俺は波有の意見に賛成だけどな。どうせ出られないんだ、居心地のいい場所を見つけて、ダラダラ死を待とうぜ」伊蘭までがため息をつきながら便乗する。
伊貴はすっかり呆れてしまい、笑うに笑えなかった。
「師父や伯父が俺たちの助けを待っているんだよ。そんな弱音を聞いたら、あの世に行く前に怒り狂って死んじゃうよ」
小亀は入門が遅かったので師父の教えを聞いたことはなかったが、とにかく暗い雰囲気をなんとかしたいと思った。
みんなのテンションを上げようと、明るい話題を振る。
「ねえ、蓋紅沙の島を見てみたくない?」
実は小亀が言うまでもなく、彼らの目の前、ちょうど正面に、赤く染まった小さな島がはっきりと見えてきていた。
―――
そこは島全体が、噂の赤い砂「蓋紅沙」で覆われている。
小亀は、彼らがこれを見て大興奮するだろうと期待していた。
ところが……。
(あれ? なんで同じことばかりするんだろう?)
伊蘭も波有も、あのときの鷹王と全く同じ行動をしていたのだ。
二人は両手いっぱいに赤い砂をすくい上げては、指の隙間からサラサラと落とし、それを何度も楽しそうに繰り返していた。
やがて、伊蘭が砂を手放して最初にゴロンと仰向けに寝転がると、つられて他の人も大の字になって砂の上に横たわった。
伊貴はトニの隣に寝そべり、顔を横に向けて小さな声で語りかけた。
「大丈夫? 疲れたなら、少し眠るといいよ。後で起こしてあげるから」
トニは首を振って微笑んだ。
「ううん、今すごく楽しいの! 小さい頃はお姉ちゃんたちや友達と、よく砂漠をあちこち駆け回って遊んでいたんだけど……沙の谷へ呼ばれてからは、毎日お行儀よくしていなきゃいけなくて、窮屈で仕方がなかったの」
「でも、この数日間みんなと一緒に逃げ回って、いろんなものを見て、ハラハラドキドキして……なんだか子供の頃に戻ったみたい」
伊貴はクスッと笑って、彼女の額をコツンと指先で小突いた。
「このおてんば娘」
トニは目を丸くした。
「あいたっ! ちょっと、バカって言いたいんでしょ? なんで叩くのよ!」
伊貴は耳のあたりまで真っ赤に染め、唇に人差し指をあてて「しーっ!」とウインクした。
様子を見ていた伊蘭は、妻の雲英にもよくこんな悪戯をしていたなと思い出し、急激に彼女が恋しくなった。
彼はちょっと悪巧みをするような顔でトニに話しかけた。
「トニちゃん、師弟の澄ました顔に騙されちゃダメだぞ! こいつはわざとやっているんだ」
「君を叩いてもっとおバカさんにして、自分の言うことしか聞かないように、ずっとお尻の後ろをついて歩かせようとしてるんだからな」
少し離れたところで横になっていた小亀は、ズリズリと身体を動かして波有の隣まで潜り込んできた。
「師姉、僕のことも叩いてよ! 叩かれておバカになれるなら大歓迎だし、喜んで師姉の言うことだけ聞いて、一生お尻の後ろをついて歩くから!」
この狭い島の上だ。
ひそひそ話のつもりでも全員に丸聞こえで、みんなドッと吹き出してしまった。
―――
姿を隠して様子を窺っていた無畏も、ついおかしくなって、小さな口元を緩めてニヤリとした。
しかし、同時に内心では驚きを隠せなかった。
(……なんだこいつらは?)
かつて、鷹王に逆らった罪人の妖怪がここに放り込まれたことがあった。
妖怪は中に入った途端、必死になって壁に体当たりをして出口を探し回り、風を巻き起こし雷を鳴らして大暴れした。
最後にはエネルギーを使い果たし、絶望に満ちた顔で寂しくのたれ死んだのだ。
それなのに、この人たちはどうして笑い合っていられるのだろう?
無畏は不思議でたまらなかった。
彼は生まれつきお祭り騒ぎが大好きだ。
波有たちが楽しそうに大笑いしているのを見て、自分も混ざりたくて仕方がなくなってしまった。
「フン! よくお気楽に笑っていられるね。あと数日もすれば、そんな笑顔、消え失せるんだから!」
幼い子供の声が、またどこからともなく響き渡る。
波有は思わず言い返したくなったが、ここに入る前に交わした「ある約束」を思い出してグッと堪えた。
伊貴が全員にこう言っていたのだ。
『あの精霊はかなりの寂しがり屋で、何百年も一人でここにいるから、とにかくお喋りしたくてたまらないはずだ。脱出できるかどうかは、あいつをどう攻略するかにかかっている』
「だから、彼が何を言ってきても、絶対に無視を貫いてくれ』
モヤシっ子が話しかけてきても、みんな一言もしゃべらず、完全にスルーした。
無畏は、彼らがわざと自分を無視していることに気づいた。
それでもお喋りを止められない。
「ふんっ、黙ってたって僕にはお見通しなんだからね! 僕は外の世界には行かないけれど、主人とはいつでも心がつながっているんだ」
「主人はね、すっごく頭が良いんだから! この砂漠では、大王様の次に偉くて、みんな主人の言うことを聞くんだ。なんたって、大王様の一番のお気に入りなんだからね。どう? 凄いでしょ!」
相手が聞いているかどうかに関係なく、彼は自慢話を続ける。
「大王様が一番大好きなのが僕の主人。そして、主人が一番大好きなのがこの僕ちん! つまり、僕もすっごく偉くて凄い存在ってこと! どうだ、参ったか! キャハハ!」
波有は心の中で、(はいはい、凄い凄い。井戸の中の蛙さん、尊大さは確かに鷹王にそっくりだね)と、おもいっきり白目を剥いた。
姿は見えなくても、無畏には波有の白目がバッチリ見えていた。
「ちょっとお嬢ちゃん、なんで白目を剥くのさ! お腹が空いたなら食べなよ。あと数日分くらいは持っているんでしょ?」
さらに、小亀が波有にぴったり寄り添っているのを見て、我慢できずに口を挟む。
「おい、そこの青二才! なんでお嬢ちゃんの隣にくっついてるわけ? もっと端っこの方に転がりなよ! この島は広いんだから、あっちに這っていけばいいじゃん!」
ボソッと小さな声で付け足した。
「そんなベタベタしてると、主人が見たら絶対に怒るぞ……」
この小さな呟きを、横たわっていた一同は聞き逃さなかった。
伊貴は彼らに向けて、目線で合図を送った。
(聞いたか? これこそが、脱出するための鍵になるかもしれない!)
―――
ここは光が遮られた闇の世界。
どれほどの時間が流れたのか、もう誰も分からなかった。
伊蘭たちは他の島へ宝物を見に行くこともせず、ただひたすら蓋紅沙の島にとどまり、大半の時間を横になって過ごしていた。
目が覚めれば少しの食料と水を口にし、あとは円になって座り、たわいもないお喋りをして笑い合う。
その姿はまるで、ピクニックに来た少年少女の集まりのようだった。
もちろん!
これは無畏の気を引くための、完璧な「お芝居」だ。
おチビちゃんが口を開くたびに、みんなはピタッと口を閉ざして黙り込む。
何度も繰り返された無畏は、ついにしびれを切らし、イライラと怒りを募らせて、彼らのお喋りをただ盗み聞きすることすら耐えられなくなってしまった。
とうとう我慢の限界を迎えた彼は姿を現した。
現れた無畏を見て、波有は「師弟の言った通り、本当にモヤシっ子だなぁ」と思った。
頭が大きくて体が細く、豆もやしそっくりだ。
「いいかい、君たちがどうなろうと、僕ちんはこれっぽっちも気にしてないんだからね! 僕はここに一人で何百年もいるんだ。僕が君たちを無視しているだけで、君たちが僕を無視しているんじゃないんだから!」
「もういい、僕は一番好きなことをしに行くから、君たちの愚痴なんかもう聞かない!」
「これから一番遠くの島へ行って、大王様のお宝をチェックしてくるんだ! せいぜい今のうちに楽しんでおくことだね。後でまた、死体を片付けに来てあげるから」
無畏はそう言いながら、黒くて大きな瞳をキョロキョロと動かして反応を窺った。
けれど、波有たちはただ静かに座ったまま、ピクリとも動かない。
無畏はまたしても我慢できなくなった。
「僕がずっとここにいるからって、外のことを何も知らないと思ったら大間違いだよ!」
「前も言ったでしょ? 主人は大王様の懐刀なんだ。沙の谷のことで、主人が知らないことなんて何一つないんだからね!」
「もし、どうしても気になるっていうなら、僕にひざまずいてお願いしなよ。そしたら、ほんの少しくらい秘密を教えてあげなくもないよ」
「……君たち、僕と主人の関係が知りたくてたまらないでしょ? これはちょっとやそっとの秘密じゃないんだからね。皇后様すら知らない、特大の秘密なんだから!」
「嘘だと思うなら、隣にいるお妃に聞いてみなよ! 賭けてもいいけど、彼女は何にも知らないはずだからね! ねぇ、お妃、僕の言う通りでしょ?」
無畏はトニに話を振り、彼女に言い返させようと企んだ。
しかしトニはぎゅっと目を閉じ、身体を硬直させて、伊貴の手を強く握りしめた。
自分の名前を呼ばれて心臓が跳ね上がったけれど、必死に声を殺して耐え忍ぶ。
(伊貴が言っていた通り、絶対に彼の言葉に乗っちゃダメ!)
(これは、どちらが長く耐えられるかの勝負なんだ! ここを耐え抜いた先にしか、生き残るチャンスはないんだから……!)
だから、何があっても絶対に口を開かない。
誰も餌に食いついてこないのを見て、無畏の口元に冷たい嘲笑が浮かんだ。
(ふん、いつまでお澄まし顔が保つか、見ものだね)
彼は自分の小舟を呼び寄せると、そこへピョンと飛び乗った。
わざとらしく独り言を呟きながら舟を漕ぎ出す。
「さーて、可愛いお宝たちが僕のチェックを待っているからね。それじゃあまたね! あ、違った、もう二度と会うことはないから、さようなら、だね!」




