第80話 一石二鳥の罠
衛兵隊長が操っていた旋風も、いまや跡形もなく消え去っていた。
黒い鷹の羽が数枚、寂しそうに砂の上に散らばっているのが、主の哀れな結末を物語っている。
「通天山の弟子というのは、やっぱり一筋縄ではいかないな。少し侮りすぎていたようだ」
鷹王はへらへらと笑いながら言葉を続けた。
「だがな、このワシが本気で貴様らと戦うとなれば、年下いじめだと世間に笑われてしまうからな」
伊貴は一歩前に出て、丁寧に腰を折って礼をした。
「僕たち若輩者が、偉大な力を持つ大能に対して不敬を働くなど、滅相もないことです」
その頃、鷹王の脳内ではドス黒い計算が働いていた。
人間のガキが三人、それに小さな亀の妖怪が一匹。本来なら歯を剥いて戦う価値すらない羽虫のような存在だ。
しかし、彼らは本物の『三味真火』を操ってみせた。
あの炎は本当にヤバい。
自分ですら、まともに喰らえば消火できる自信がなかった。
さっき精霊から取ってきた『息神水』も、瓶の底にほんの少し残る程度だ。
もしも恐ろしい炎を砂漠一面にバラ撒かれでもしたら、本当に手が付けられなくなる。
……いや、待てよ。
あれはとんでもないお宝じゃないか!
砂漠の外に伝わる三味真火の噂はかねがね耳にしていたが、これほど凄まじい威力だとは。
彼の胸の奥で、底なしの強欲がまたムクムクと頭をもたげてきた。
どうにかして、炎を我が物にする方法は……
ぐるぐると目玉を回しているうちに、邪悪なアイデアがひらめいた。
「お前たちがワシの最強部下を打ち破った実力、確かに認めてやろう」
鷹王は言葉を区切ると、わざとらしく残念そうな表情を作ってみせた。
「ワシはな、実力のある者が大好きなのだ。これからの時代を担う若き天才たちを、内心ではとても気に入っている。だからこそ、わざわざお妃まで差し出してもてなそうとしたのだ」
「ワシは、通天山にいるお前たちの師匠と並び称される『世の三大能』の一人だ。ゆえに、後輩相手に本気で手を下すような真似はしない。だが、お前たちがお宝を盗み出したのは紛れもない事実。このままタダで放免というわけにはいかん!」
「そこでだ! 最後のチャンスをくれてやろう」
「ここにある、絶対に壊すことのできない魔法の牢獄(法器)に入ってもらう。もし自力でそこから脱出することができたら、命を救ってやろう」
彼は残酷な笑みを浮かべた。
「そればかりか、盗み出した蓋紅沙もくれてやる! もし脱出できなかったとしても、本王がチャンスを与えなかったなどと恨まないでくれよ?」
―――
人面桃は、さっきの衛兵隊長が火だるまになった衝撃的な光景が頭から離れず、(危ねぇ、最初に突っ込まなくて本当に良かったぜ……)と冷や汗を流していた。
そこへ来て鷹王の提案を聴き、心の中で深く感服した。
(やっぱり、大王様は一枚も二枚も上手だ! まさに一石二鳥の神がかった一手だな)
『無畏眼の宝物庫』は、自分の目玉で作られた空間だからこそ、絶対的な強固さは誰よりも知っている。
一度中に入れば、外へ出る方法など存在しない。
彼らをそこに閉じ込めておけば、人質として通天山の星盤仙尊に「氷山を溶かして水をよこせ」と脅迫する材料に使える。
さらに、部屋の中で飢え死にすれば、最高のお宝である三味真火も自動的に鷹王の手に入るという仕組みだ。
それだけではない。
将軍にとっては、愛しの美少女の命がとりあえず繋がったことも好都合だった。
宝物庫の中の様子は、無畏の感覚を通じていつでも盗み見ることができる。
大王の目を盗んで、こっそり彼女に会いに行くことだってできるかもしれない。
そう考えると、彼の心は早くもウキウキと弾み出していた。
鷹王は、隣で部下がニヤニヤと上の空になっているのを見て、不機嫌そうに声を張り上げた。
「将軍ッ!」
地鳴りのような怒声に人面桃はビクリと肩を震わせ、ようやく我に返った。
慌てて大王に向かってペコリと最敬礼をすると、黄砂の中から不気味な純白の球体(無畏眼)を呼び出した。
球体はフワフワと波有たちの足元へと移動し、音もなく一行をパクリと飲み込んだ。
そのまま、底なしの流砂の中へと静かに沈み込み、消え去っていった。
―――
事前に小亀から話は聞いていたものの、実際に宝物庫の中に足を踏み入れた瞬間、目の前に広がる圧倒的な黄金の世界に、全員が言葉を失って開いた口が塞がらなくなってしまった。
波有は、小亀が言っていた「お留守番の精霊」の存在が気になっていた。
あちこち見回してみるけれど、どこを向いてもキラキラとした金色の輝きがあるだけで、彼の言っていた「頭が大きくて体が小さい変な小人」の姿は見当たらない。
「ねえ、師弟、あの精霊さんは……」と聞きかけた、その時だった。
突如として、甲高くて幼い男の子の声が、広大な黄金の空間全体に響き渡った。
「おや、そこの可愛いお嬢ちゃん、僕を探しているのかい? もしかして、ここから出たいと思っているのかな? 先に言っておくけど、頼んでも無駄だよーだ! なんてったって、僕自身もここから出られないんだからね! どうしてか知りたい?」
誰も何も言っていないのに、声の主はテンション高く喋り続ける。
「ま、本当は教えたくないんだけどさ、君たちがどうしてもって言うなら、特別に親切に教えてあげるよ」
「僕ちんが宝物庫であり、この宝物庫こそが僕――無畏そのものなんだ! だからさ、自分が自分の中から外に出るなんて、そんなことできるわけないじゃない?」
「キャハハハ! 君たち本当に頭が悪いねぇ。こんな簡単な理屈も分からないの? もう一回言ってあげるよ、僕が自分自身の外側へお出かけするなんて不可能なの! キャハハハ!」
まるで出来の悪い早口言葉のようなマシンガントークに、みんな思わず耳を塞ぎたくなってしまった。
鷹王にプレゼントされて宝物庫の管理人になって以来、今日という日は無畏にとって人生最高に楽しい日だった。
楽しすぎて、脳みそがちょっとパッパラパーになってしまっている。
自分の話を真剣に聞いてくれる、話し相手になってくれる生身の人間が、こんなにたくさん一気にやってきたのだ。
(この人たち、あと数日もすれば飢えと渇きで全滅しちゃうんだろうけど……まあ、死ぬまでの数日間は、僕ちんを楽しませてくれるよね!)
彼はひとしきり独り言をブツブツと呟いた後、これ見よがしに忠告してきた。
「僕の身体はちっちゃいけれど、優しさは宇宙一大きいんだからね! だからアドバイスしてあげる」
「無駄な体力を遣って出口を探すのはやめなよ。そんなものあるわけないじゃん。一切の隙間もない、絶対無敵の要塞なんだから。壊そうなんて大それたことも考えないことだね」
「あと数日して、持ってきた食べ物も水もおしまいになったら、ここでゴロゴロしながら死を待つだけ。だからさ、大人しくエネルギーを節約しておきなよ。動けば動くほど早く死んじゃうんだからさ。ウケる!」
「ほーら、僕ってなんて親切なんだろう。わざわざ教えてあげに来るなんてさ。大王様だったら、こんな面倒くさいお喋りなんかしないで、小指の先でプチッと潰してたよ」
無畏は口では憎まれ口を叩きながらも目を細めて、波有の姿をじーっと観察していた。
(うわぁ……本当に、お花の妖精みたいにめちゃくちゃ可愛い女の子だなぁ。道理で、主人が『あのお嬢ちゃんだけは絶対に特別扱いして、餓死させないように見守っててくれ』って、必死に頼み込んできたわけだ)
彼は姿を現さないまま、ニヤニヤしながら彼たちの困惑した反応を楽しんでいた。
幼い子供の声だけが、どこまでも続く黄金の空間に虚しく響き渡っていた。




