第8話 師弟・伊甲
<前書き>
小亀、ついに波有の弟弟子に昇格!
おめでとう! やりました!
波有の策と小亀の熱演、まさに二人三脚での勝利ですが、 結局のところ一番の決め手は…… 伊高屋の「弟子を拾いたがる変な癖」だった気がします......
師父がそう言ってくれたのなら、万々歳だ。
伊蘭は小亀の体を拭き、波有の着替えを着せてやった。
幸い、波有はいつも師兄たちと同じ武道服を着ていたし、彼女自身が小柄なため、小亀が着ても少しゆったりする程度で済んだ。
雲英は鍋で乾いた饅頭を煮込み、とろとろの粥状にした。
さらに約二時間ほど経つと、小亀がゆっくりと目を覚ました。
雲英が少しずつ粥を口に運んでやると、血色の悪かった頬に赤みが差し、ぷくぷくとした幼い顔立ちがより一層可愛らしくなった。
伊高屋はすでに伊念から、この童子の正体が小さな亀であることを聞いていた。
彼は内心、迷っていた。
(……惜しい。妖であったか)
脈を診た際、彼は密かに小亀の経絡と骨格を確かめていた。
法術を学ぶにはこれ以上ないほどの逸材だ。一番弟子や二番弟子をも凌駕する素質を秘めている。
(……だが、妖がどうしたというのだ? 生まれつき陰陽眼を持つ伊念以外に、誰がこの子を妖だと見抜ける? こんな弟子を連れていれば、みんなが羨ましくて死にそうになるに違いない!)
そう考えているところへ、雲英が小亀を連れてやってきた。
「師父、この子が起きました。少し食べさせたら、ずいぶん元気になったようですわ」
玉を刻んで作ったかのように愛らしい顔と、キラキラと輝く瞳に見つめられ、伊高屋は思わず声を和らげて尋ねた。
「……坊や。名前はなんて言うんだ? 家族はどうした?」
小亀は波有との打ち合わせ通り、まずは伊高屋に深々と頭を下げ、跪いて誠実に答えた。
「命を救ってくださった大師匠様、ありがとうございます。私は元々、北海に住む小さな亀の一族でした。北海の河口から唐河を遡ってきましたが、滝から落ちた際に岩に頭をぶつけ、意識を失ってしまいました。こうして大師匠様に救われたのは、幸運の極みです」
伊高屋は、彼が自分から妖であることを認め、嘘をつかなかったことにいたく満足した。
「……なぜ海を出て、わざわざ川を遡ってきたのだ?」
「大師匠様、嘘はつけません。目が覚めた時、どうしてここへ来たのか理由は思い出せませんでした。ですが、必死に川を遡る途中で筆舌に尽くしがたい苦労をし、道中で悪い奴らに襲われたことだけは覚えています」
(おお、こんなに小さいのに……苦労をしてきたのか)
伊高屋の心に、深い憐れみの情が湧き上がった。
彼には元々「弟子を拾う」癖がある。
四人の弟子のうち三人は拾い子だし、雲英だって街で拾ってきたのだ。そして今、またしても彼の「拾い癖」がうずき出していた。
伊高屋はいっそう優しい声で尋ねた。
「そうか……。では、これからどうするつもりだ? また海へ戻るのか? もし行き場がないのなら、わしたちと一緒に来てもいい。そうすれば、もう悪い奴に苛められることもないぞ」
近くの茂みに隠れていた波有は、「神識術」で二人の会話を克明に聞き取っていた。
(……師父ったら、完全に見た目で選んでる! 私にあんな優しい声を出したことなんて一度もないくせに!)
(でも、小亀師弟、演技が上手いわね! 師父、すっかり罠にかかっちゃってる。……さあ、早く『はい』って言いなさい!)
小亀は再び地面に頭を下げた。
「今の私には身寄りもなく、法術も未熟です。命の恩人である大師匠様は、いわば親も同然。もし大師匠様が、私の正体が妖であることを厭わないのであれば、どうか弟子にしてください。一生涯、お仕えいたします!」
伊高屋は狂喜した。
「伊蘭、伊貴、雲英! 念ちゃん、波有! みんなこっちへ来い!」
彼は小亀を指差して言った。
「今日から、この子がわしの新しい弟子だ! みんな挨拶をしなさい。この子は少し特殊でな、北海の水族の出だ。いいか、外では余計なことを喋るんじゃないぞ! 」
「……さて、末弟子よ。名前はなんという?」
「師父、どうかお名前を授けてください!」
「よし、よし! 正体が亀の妖だから『伊亀』と呼びたいところだが、二師兄の『伊貴』と音が重なって紛らわしいな。」
「……そうだな、『伊甲』というのはどうだ?」
(※甲羅の「甲」)
「最高です! 素晴らしいお名前だわ! 伊甲師弟、これでやっと私を『師姉』と呼んでくれる人ができたわ!」
波有が躍り上がって喜んだ。
小亀も満足げだった。
「師父、素敵なお名前をありがとうございます。今日から私は伊甲です」
彼は幼い声で丁寧に一同へ作法をしてみせた。
「師兄、師姉の皆様、どうか未熟な甲を厳しくご指導ください」
―――
川で子供を拾ったと思ったら、あっという間に一番下の弟弟子になってしまった。
心から喜んでいるのは伊高屋と波有だけで、他の面々はあまりの急展開に少し呆然としていた。
ともあれ、一行は再び旅路についた。
日が暮れてきたが、周囲には村も宿もない。風を凌げる場所を見つけ、野宿をすることになった。
伊甲は短い足を一生懸命動かして、波有の後ろを「トコトコ」と追いかけていく。
この年少の二人の任務は、一番楽な「薪拾い」だ。
焚き火の準備が整う頃、伊蘭と伊貴も野ウサギ二羽と野鳥一羽を仕留めて戻ってきた。
雲英が手際よく獲物を捌き、硬くなった餅や饅頭を串に刺して火に炙る。
食事の後、伊高屋は小亀――伊甲に声をかけた。
「甲ちゃんよ、どうだ? 疲れておらんか?」
「はい、師父! 全然疲れていません」
伊高屋は磨き上げられた玉のような末弟子を、見れば見るほど気に入った様子で、わざとらしく話題を振った。
「師兄や師姉に苛められてはおらんか? もし誰かが悪さをするようならわしに言いなさい。たっぷりお灸を据えてやるからな」
それを聞いて、他の弟子たちは一斉に不満の声を上げた。
(師父、それはあんまりだ! 不公平すぎる!)
伊甲は太陽のような明るい笑顔で答えた。
「皆さん、とっても良くしてくれます! 特に波有師姉が!」
伊高屋はさらに煽る。
「新入りだからといって、奴を怖がって嘘をつくことはないぞ! わしがついておる! お前の素質なら、『四霊術』を学び終えれば、師兄たちだって鼻であしらえるようになるからな」
波有は胸がムカムカとしたが、聞こえないふりをした。
(……このえこひいき。やってられないわ!)
―――
波有は気づいた。
師弟がやってきてからというもの、師父の気性が目に見えて穏やかになったことに。
伊甲はまだ幼く、旅の強行軍は辛かろうと、師父は彼が小さな亀の姿に戻ることを許した。
そのため、昼間のあいだ彼はたいてい元の姿に戻って波有のポケットに潜り込み、一日の大半を眠って過ごすようになった。
夕食の後、伊高屋は広々とした場所を見つけては、末弟子を呼び出して一対一で修行をつけるようになった。
しかも、驚くほどの忍耐強さで、自身の絶技である「四霊術」を細やかに伊甲へと伝授している。
かつて波有の顔を見るたびにブツブツと小言を垂れていた伊高屋は、もうどこにもいなかった。
それどころか、時折ぞっとするほど優しい声で彼女に問いかけてくることさえある。
「波有、最近の法術の修行はどうだ? 分からないことがあれば、いつでも師父に聞くんだぞ」
彼女は鼻で笑いながらこう思った。
(……きっと師父は、自分の本当の恐ろしい顔を見せて小亀師弟を怖がらせたくないのね。だから、わざと慈愛に満ちた師匠のふりをしてるんだわ)
波有は再び、隊列の最後尾を歩くようになった。
小亀に聞きたいことが山ほどあったが、それを仲間に聞かれるわけにはいかない。
彼が教えてくれたところによれば、その昔、人魚は水族の中でも極めて高い地位にあり、他の妖族たちから崇められる存在だったという。
だが、いつの頃からか何らかの変化があり、今ではわずかな数が生き残っているに過ぎないらしい。
また、ある漁師が海に出た際、南海の深淵にある名もなき小島の周囲で、人魚たちが水飛沫を上げて遊んでいるのを見たという噂もあるという。
小亀から自分の出生について聞かされて以来、彼女の心の中にある渇望は、日増しに強くなっていった。
海を見たい。
波の音を聴きたい。
なぜ小亀以外の誰も、自分の妖族としての気配に気づかないのか。
その疑問も彼女を悩ませ続けていた。
だがそれは、小亀さえ口を閉ざしていれば、師父や師兄、師姉たちに永遠にこの事実を隠し通せるということでもある。
何しろ、説明するとなればとてつもなく面倒なことになるのは目に見えていたから。
彼女はいつもポケットの小亀に向かって、ぶつぶつと「恩返しをしてよ!」とせがみ続けた。
小亀は彼女にしつこく纏わりつかれ、根負けして、一つ師姉の力になってやることに決めた。
<あとがき>
お読みいただきありがとうございました。
私のペンネーム「唯紅蓮真美」には、深い思い入れがあります。
耳に心地よい響きはもちろんですが、何より「家族の名前」を組み合わせて作った大切な名前だからです^^




