第7話 麗しき少年
<前書き>
いやはや、驚いた。
あの小娘、ちびで不細工なツラをしてるが、頭だけはキレるらしい!
まさか、あんな「苦肉の策」を使いこなすとはね……
正午。
太陽の光が容赦なく照りつけていた。
森の中にささやかな清流があり、遠くからは微かに「轟々」という水の音が聞こえてくる。川の上流に滝があることを予感させる、涼やかな響きだった。
雲英が先に敷物を広げ、師父に座って休むよう促した。
皆もその傍らに腰を下ろし、それぞれ干し肉や水を取り出した。
波有は、あらかじめ計算していた通り、「用を足してくる」と言い残して一人で川の下流へと向かった。
師父たちの姿が十分に遠くなったのを確認すると、彼女は靴と靴下を脱ぎ、足の指の間に隠していた小亀を解放した。
手の中で、小亀は手のひらほどの大きさに戻った。
彼女はそれをじっと見つめて言い放った。
「さっきの師父の話、聞いてたわよね? 今こそ恩返しのチャンスよ! これであんたも堂々と、私のことを『師姉』って呼べるようになるんだから!」
そして、小亀を地面に置いた。
「さあ、人間に化けて見せて! あんまり不細工にならないでよ。師父は自分こそ不細工だけど、弟子たちはみんな見栄えのいい奴らばかり選んでるんだから。きっと、綺麗な弟子が好きなのよ」
そう言うと、彼女は一人でケラケラと笑い出した。
「……何言ってるのかしら、私。美人が嫌いな人なんていないわよね!」
瞬きをする間だった。
草の上にいた小亀の姿が消え、突如として、白磁のような肌に紅の唇、絵に描いたような美少年が姿を現した。
波有は呆然と見惚れてしまった。
「あんたが小亀? ……まあ、なんて綺麗なの! 師父が見たら、間違いなく一番のお気に入りになるわ!」
「でも……」彼女は眉をひそめた。
「もう少し小さくなれる? 師父は、術の中には幼い頃からでないと練り上げられないものがあるって言ってたから」
「こうかな?」
再び瞬きする間に、小亀は少年から七、八歳ほどの童子へと姿を変えた。
波有は手を叩いて喜んだ。
これなら完璧だ。
―――
「師姉、今すぐ師父のところへ連れて行ってくれるの?」
「まだよ! 私の師姉(伊念)は『陰陽眼』の持ち主で、人間と妖を見分けちゃうの。あんたの正体が小亀だってすぐに見破られるわ。そんな状態でいきなり現れたら、師父に怪しまれるに決まってる。」
「……だから、ここは一つ『苦肉の策』で行くわよ!」
「 まず、嘘は絶対ダメ。師父は嘘が大嫌いだから。本当のことを言いなさい。その上で、師父が同情せずにはいられないように、情に訴えるのよ!」
「じゃあ、師姉。なんて言えば弟子にしてもらえるかな?」
「……師父は用心深くて、面倒なことが大嫌いなの。だから、誰かに追われてるとか、連れ戻されそうだなんて口が裂けても言っちゃダメ」
波有は少し考えてから続けた。
「こうしましょう。」
「頭を打って、自分が誰だか思い出せないって言うのよ。覚えているのは、大海原から大河へ泳ぎ着き、さらにこの小川へと泳いで来たことだけだって」
小亀は素直に頷いた。
「わかったよ、師姉。覚えた!」
波有は、目の前の色白で柔らかな頬と、長く黒い睫毛の下で宝石のように輝く無垢な瞳に見つめられ、胸がズキリと痛んだ。
(……ああっ、手が出せないわ! でも仕方ない、ごめんね師弟! これもあんたのためなんだから!)
「見て! 誰か来たわよ!」
波有は適当な空を指差した。
小亀が釣られてそちらを向いた瞬間、後頭部に衝撃が走り、視界が真っ暗になった。
彼はそのまま意識を失った。
波有は気絶させた小亀を川の中に放り込み、全身をずぶ濡れにさせると、彼を抱きかかえて皆の元へと走り出した。
走りながら、小さな声で繰り返す。
「許してね師姉を! これしか方法がなかったのよ!」
―――
一方、伊高屋たちは腰を上げ、出発の準備を整えていた。
「師父、もう少し波有ちゃんを待ちましょう。用を足しに行くと言って、まだ戻りません」
雲英がとりなすと、伊高屋は露骨に不機嫌そうな顔をした。
なぜか、この一番下の弟子に対してだけは、彼はすぐに頭に血が上ってしまう。
最初は、この子が物分かりが悪く、他の弟子のように素直でないせいだと思っていた。だが、最近になって彼は、原因が自分自身にあることに気づき始めていた。
一番弟子の伊蘭は、逞しく堂々とした体格。
その妻の雲英は、肌こそ少し浅黒いが、長い足に引き締まった腰つきの美女。
二番弟子の伊貴は、涼やかな目元の気品ある美青年。
三番弟子の伊念は、深窓の令嬢のようにしとやかで、誰からも愛される良い子だ。
周りが優秀すぎるせいで、伊高屋と波有の「不細工師弟コンビ」の無様さがより際立ってしまうのだ。
パッと見、二人は師弟というより父娘のようだった。
お揃いの吊り上がった目、低い鼻、薄い髪、短足。
波有自身は自分の容姿などこれっぽっちも気にかけていないが、伊高屋は鏡を見ているような弟子の顔を見るたび、溜息が止まらなくなる。
「こんなんじゃ嫁の貰い手もない。まさかわしが一生養わにゃならんのか……」
一番弟子や二番弟子は、いつも善意で師父を慰めていた。
「女は十八で変わると言います。波有ちゃんだって、急に絶世の美女になるかもしれませんよ。金亀の婿でも見つかれば、師父も安泰です!」
残念ながら、そんな現実味のない期待も、波有が十四歳になった今も、一向に兆しは見えてこなかった。
伊高屋が首を振り、暗い顔で落ち込んでいたその時、遠くから「未来の絶世の美女」の叫び声が聞こえてきた。
「師父! 師父! 人を拾ったわ!」
―――
小亀が地面に下ろされ、皆がその周りに集まった。
波有は師父に説明した。
「河原で用を足していたんです。昨日の野いちごを食べ過ぎたのか、何度も何度も出ちゃって。そしたら、この子が川を流れてくるのが見えたんです。息があったから、連れて帰ってきました」
伊高屋は彼女の言い訳を遮るように「黙れ!」と一喝すると、童子の小さな手を取って脈を診た。
雲英は濡れた童子を気遣い、タオルで顔や髪を優しく拭った。
その瞬間、全員が言葉を失った。
……この子、なんて綺麗な顔をしているんだ!
誰よりも衝撃を受け、そして歓喜したのは伊高屋だった。
(おおお、これぞわしが夢にまで見た、最後の弟子に相応しい逸材ではないか! 願えば叶うとはこのことだ!)
「脈を診る限り少し衰弱してはおるが、大事ない。二、三時間もすれば目が覚めるだろう。雲英、波有の着替えを出して、この子に着せてやりなさい」
伊高屋が命じた。
彼は波有もずぶ濡れなのを見て、「お前も! さっさと乾いた服に着替えてこい、風邪を引くぞ! 行軍は中止だ。この子が目を覚ますまでここで待つ!」と言い放った。
陰陽眼を持つ伊念は、小亀の正体が見えていた。
彼女は突然、伊蘭の袖を掴み、驚きを込めて言った。
「大師兄、待って! この子……人間じゃない気がするわ。妖よ」
小亀を抱えて着替えさせに行こうとした伊蘭は、足を止め、師父を見た。
伊高屋はさすがに経験豊富だ。
川を子供が流れてくること自体、ただ事ではない。何らかの理由があるはずだ。だが、この子がこれほど不憫で、これほど美しく、そして……。
「……まずは服を着せ、何か食わせてやれ。話は目が覚めてからだ。妖がどうしたというのだ?」
<あと書き>
ラジオにまつわる、ちょっといいお話。
かつての年末、ラジオから流れてきた「大掃除でも捨てられないものは、子供の頃の夢です」というリスナーさんの言葉。
その一言に、私は雷に打たれたような衝撃を受けました……
物理的なゴミは捨てられても、心に根付いた夢は捨てられないよね。




