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波有伝説~海をゆく虹色の鱗【前編:人魚涙のブレスレット】  作者: 唯紅蓮真美(いちべにまみ)
第一章 邂逅

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第6話 「四霊術(しれいじゅつ)」

<前書き>

読んでいただきありがとうございます!


「巍峨派」の「四霊術しれいじゅつ」、派手で格好いいですよね。

でも、次に登板する「あの大妖」からすれば、ただの「お遊び」に過ぎないようです……。



 一睡もしていないというのに、少しも眠くない。


 彼女はこっそりと店に戻ると、部屋に潜り込み、布団を被ってまだ寝ているふりをした。しかし心の中では、千軍万馬が駆け抜けているかのように激しい興奮が渦巻いていた。



 ふと、あることを思い出した。


 昨日、山登りをしていた時のことだ。


 山頂で初めて大海原を目にした彼女は、その場に釘付けになり、伊高屋がブツブツ言いながら頭を小突いてくるまで、魂が抜けたように立ち尽くしていたのだ。



 今思い出しても、あの時の感覚は鮮明だった。

 (あそこから飛び込んでしまいたい……!)



 自分が人魚だったのだと知ると、これまでの数々の違和感にすべて合点がいった。


 心の中には喜びと、そしていくばくかの不安が同居していた。


 うとうとし始めた頃、「トントン」と扉を叩く音が響いた。



 「雲英、念ちゃん、波有、起きろ!」


 伊高屋が伊蘭と伊貴を連れて呼びに来た。



 荷物をまとめ、一家が客室を出ると、大広間では張が熱心に机を拭いていた。


 「皆さん、お早いお出ましで! もう出発ですか?」



 伊高屋は昨夜の温泉のおかげでよく眠れたようで、朝から活力がみなぎっていた。


 「ああ、先を急ぐのでな! ここの温泉は良かった。帰りにまた立ち寄らせてもらうぞ」



 実は昨夜、床に入った時点で彼は決めていたのだ。


 食事は食べ放題、温泉付きで、一人たったの五十文。これほど理にかなった宿はない。もっとも、閑散期で客が少ないからこその値段かもしれないが。



 張が満面の笑みで答えようとした時、入り口から二人の人物が入ってきた。


 昨日、于旦那の後ろについていた小太りの少年たちだ。


 「張旦那、注文していた酒と料理を取りに来たよ」


 「おや! ちょうど今から私が届けに行こうと思っていたところですよ。まあお座りなさい、少し待っててね」


 張は少年たちを座らせると、伊高屋たちに声をかけた。


 「お客さん、お気をつけて! お帰りの際はぜひまたお寄りくださいね!」



 張は熱心に一行を見送った。


 通りはまだ霧に包まれている。


 霧の中に「于家店舗」という金色の文字が光っていた。


 店先に立つ于旦那の後ろには立派な宿屋が構えていたが、霧のせいで全容は掴めない。


 ただ、入り口に鎮座する左右一対の、牙を剥き爪を立てた巨大な石獅子を見ただけで、伊高屋はそこが相当に値の張る宿であることを察した。



 太っちょの于旦那が一行に拱手した。


 「また温泉街へお越しください。皆さんの道中が安らかでありますよう!」



 波有は二師兄の後ろに隠れ、極力、彼と目を合わせないようにした。


 小亀が自分を感知できたのなら、于旦那も自分の秘密に気づくのではないか。


 だが、于は昨日と変わらずニコニコと笑っていたから彼女は胸をなでおろした。


 伊高屋も于旦那と二、三言葉を交わすと、弟子たちを引き連れて温泉街を後にした。




 ―――




 魚の妖の姿が見えなくなるまで歩いた。


 それでもまだ安心できず、彼女が密かに「神識術(しんしきじゅつ)」を発動させると、于旦那の声が意識に流れ込んできた。



 『……まだ見つからんのか! 山主様がもうすぐお越しになるというのに、ただでさえ忙しいというのに! うちの店だけでなく、他の店も隅々まで調べ上げろ! 温泉の方もだ!』

(小亀の言った通りだわ。アイツ、嘘はついてなかったんだ)



 波有は考え込むうちに、無意識に足早になり、いつの間にか一行の先頭に立っていた。


 大師兄の伊蘭と雲英は驚きを隠せない。


 いつも足を引っ張って最後尾を歩く末っ子が、どういう風の吹き回しか。



 二師兄の伊貴が笑った。


 「師父、やはり温泉の力は偉大ですね。見てください、今日の小師妹はあんなに元気だ!」



 波有は三角形に目を釣り上げ、反論した。


 「『伊波有師妹』と呼びなさい! 『小』をつけないで!」



 その真剣ながらも奇妙な様子に、一同はどっと沸いた。


 雲英もからかうように言った。


 「波有ちゃんたら、体は小さいけれど志は高いのね。師姉になりたくて仕方ないんだわ! 師父、早く新しいお弟子さんを取って、彼女の願いを叶えてあげてくださいな」



 波有は心の中で(雲英姉さん、最高! 私の言いたいことをズバリ言ってくれたわ!)と叫んだ。


 そして流れに乗って、伊高屋に問いかけた。


 「ねえ師父! 雲英姉さんの言う通りよ。もう一人くらい、師弟か師妹がいてもいいんじゃない?」



 伊高屋は口を尖らせた。


 「わしだって取りたくないわけではない。だが、こればかりは『縁』というものだ。すべては天の定め。我ら凡夫が勝手に決められるものではないのだ」



 波有は目をくるりと動かした。


 「じゃあ師父、もし次に弟子を取るなら、どんな子が理想なの?」


 師父が答えるより早く、大師兄が口を挟んだ。


 「俺は、家事が好きで料理が得意な女の子の師妹がいいな。いつも雲英の手伝いをしてくれるような子がね」


 雲英は隣で顔を赤らめた。


 「そんなこと言わないでください、大師兄。私は家事が好きなんです。少しも疲れてなんていませんわ」



 伊貴が茶化した。


 「祝言を挙げたというのに、まだ『大師兄』なんて呼んでいるのか」


 波有は伊貴の耳元でヒソヒソと囁いた。


 「この前、二人の会話を盗み聞きしちゃった。お互いに『蘭ちゃん』『英ちゃん』なんて呼び合って、もう見てられないくらいベタベタだったわよ。師父の前だから猫を被ってるだけなんだから」



 伊貴はニヤニヤしながら「へぇ、大師兄たちの秘密を聞いちゃったぞ!」と囃し立てた。


 それから、居住まいを正して伊高屋に言った。


 「ですが師父、真面目な話、次に弟子を取るなら年若い子がいい。」


 「大師兄は十二歳、私は十一歳で入門しましたが、師父はいつも仰っていましたよね。『法術の中には、幼い頃から基礎を固めなければならないものがある。もしお前たちがもっと幼い頃から修行していれば、今頃はもっと強くなっていただろう』と」


 

 「その通りだ!」


 伊高屋はかつての遺憾を思い出した。




 ―――




 例えば「幻影術(げんえいじゅつ)」などは、七、八歳以前から修行を始めなければ会得できない。


 そのため、一家の中でこの絶技を使えるのは波有だけだった。


 

 「巍峨派」は対外的にはそれほど名が知られていないが、それは伊高屋があえて低姿勢を貫いているからに過ぎない。


 「出る杭は打たれる、名は災いの元」というのが彼の持論であり、知られざる存在でいることこそが長生きの秘訣だと考えていた。



 しかし、その実力は確かなものだ。



 伊高屋には「四霊術」と呼ばれる四つの絶学がある。


 1.幻影術(げんえいじゅつ): 自身の姿を周囲の物体と同化させる。温泉街の厨房で、波有が水瓶に化けて張に悟られなかったのがこれだ。


 2.風火術(ふうかじゅつ): 風と火を操る。伊貴が「風」を、伊蘭が「火」を担当し、二人で連携することで威力は数倍に跳ね上がる。


 3.神識術(しんしきじゅつ): 霊力を高めた者や妖族が周囲を察知する感覚を、より鋭敏かつ正確にする術。


 4.巨力術(きょりょくじゅつ): 全身の経絡を一時的に爆発させ、力を百倍に増幅させる。ただし、使用後は極度の疲労に襲われ、長期間の静養が必要となる。



 伊蘭と伊貴は百人に一人の逸材であったが、修行を始めるのが遅すぎたため、「幻影術」と「神識術」を会得することはできなかった。



 一方、波有に関しては、残念ながら男の子ではなかった。


 伊高屋は彼女にそれほど大きな期待を寄せておらず、功力も未熟なため、「四霊術」を一通り形だけは覚えたものの、その腕前はへなちょこで、威力も知れていた。



 だからこそ、もし次に弟子を取るなら、資質に恵まれた幼い男の子が望ましい。


 自分の「四霊術」を完璧に受け継いでくれる後継者を!



 伊高屋はそこまで考えて、ふと思いついたように言った。


 「波有よ! もしまた弟子を取るとしたら……お前に、可愛い小師弟を一人つけてやるというのはどうだ?」


 波有はそれを聞くや、心の中で叫んだ。

 

 (来たわ、来たわ! 小亀師弟、あんたの出番よ!)


<あと書き>

お読みいただきありがとうございました!

前回の続きですが、もう一つよく聴いているNHKラジオ番組は『眠れない貴女へ』です。パーソナリティの作家・村山由佳さんの声が本当に素敵で……。

同じ女性の私でも、ついうっとりと聞き惚れてしまうほど魅力的なんですよね。



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