第75話 迫るタイムリミット
「よし、善は急げだ!まずは砂の谷を脱出することを考えよう。鷹王の手が届かないところまで行ってしまえば、あとはトニちゃんの案内があるんだ。通天山に帰れないわけがない!」
伊蘭が嬉しそうに声を弾ませた。
伊貴もみんなの顔を見回す。
「うん、その作戦で行こう」
「ただ、出発までに十分な水と食料を用意しておく必要があるね」
「まずは昼間、俺と大師兄、トニちゃんの三人で、昨日までと同じように妖怪の前で一芝居打つ。波有たちはその間に、もう一度鷹王と将軍の動きを監視してほしい」
「そして二日後の夜、みんなが寝静まったら、最初に身を隠したほとりの柳の下で合流しよう。そこでトニちゃんに竜巻を呼んでもらって、一気に砂の谷を飛び出すんだ」
全員はしっかりと頷き、作戦に同意した。
―――
こうして、また長く緊張感に満ちた一日が始まった。
波有は二師兄に言われた通り、大きなテントの物陰に姿を隠し、屋根の上でトグロを巻いている人面桃将軍をじっと見張っていた。
ふと前方を見ると、木柱に縛り付けられた妖怪たちは、何日も炎天下に晒されてもう息も絶え絶えだった。
波有は胸が締め付けられ、それ以上見ていられなくなった。
(……このままだと、大月湖の水もどんどん減っていっちゃうんだよね。そうしたら、湖を頼りに生きている砂漠の生き物たちはどうなっちゃうんだろう)
(きっと、柱に縛られている妖怪みたいに、ただ死を待つしかなくなっちゃうのかな……)
(トニは自分たちと一緒にここを離れることができるけれど、彼女の家族や友達は沙漠に残されるのだ)
そう思うと、波有は自然と眉をひそめ、瞳に深い悲しみの色を浮かべた。
急に脳裏、かつて通天山でみんなと交わした会話がふと思い浮かんだ。
あのとき、後四が言っていた。光如意羅漢が苦しむ人々を哀れに思い、如意錫杖で岩を叩いて天下の大干ばつを救ったという伝説。
波有はハッとした。
星盤仙尊は「お前の属性は水だ」と言い、不思議な金剛石をくれた、一体、どんな意味が込められているのだろう。
(もし、羅漢様みたいに、岩を叩いて水を湧き出させることができたらいいのに……)
―――
一方、人面桃将軍は、昨日から夜ぐっすり眠れずにいた。
昼間は鷹王のお供をして砂漠中を飛び回り、肉体的にも精神的にも限界だった。
普段は体の中に隠していて「もう一つの頭」が、どういうわけか内側でずっとブツブツと何かを呟いていて、ちっとも落ち着かないのだ。
彼は体の中の頭に、なだめるように語りかけた。
「……無畏が私を呼んでいるだって?あいつも寂しがり屋だからな、大王様に早くまた会いにきてほしいだけだろう」
「いいか、今日は疲れたし、大王様だって絶対に疲れているんだ。こんな時間に睡眠の邪魔をしたら、どんなお仕置きを受けるか分かったもんじゃないぞ。明日の一番で大王様に報告してやるから、今は少し寝かせてくれ……」
将軍はもう一つの頭を無理やり黙らせると、そのまま泥のように眠りこけた。
太陽がすっかり高く昇った頃、彼はようやく目を覚ました。
けれど、昨夜からの嫌な胸騒ぎはまだ消えていなかった。
(……やっぱり、大王様に一言伝えておいたほうがいいな。何といっても、無畏が守っているのは彼が命の次に大切にしているお宝だ。万が一、何かトラブルでも起きていたら一大事だからな!)
人面桃は天幕の屋根からスルリと滑り降りると、急いで鷹王の寝室へと向かった。
隠れていた波有もバツグンの反射神経で反応し、将軍が天幕に入るのを見るや、その後ろをぴったりと追跡した。
鷹王もまた、昨日の見回りで少なからず疲労を感じていた。
実際のところ、ここ数年で砂漠のオアシスが次々と干上がっている影響は、砂漠の主である彼自身の肉体にも少なからず現れていた。
体力的にも魔力的にも、少しずつ衰え始めているのを実感していたのだ。
けれど、底なしの自信家である彼は、自分こそが砂漠の絶対王であり、無畏宝蔵穴と同じように永遠に不滅の存在だと信じて疑わなかった。
将軍から「氷山を溶かして水にする」というアイデアを聞いて以来、彼は通天山にある果てしない氷山を手に入れ、砂漠に無限の水源を注ぎ込む未来を、今かと待ち望んでいた。
そのため、人面桃がバタバタと部屋に飛び込んできたとき、彼はベッドの上でその重要な計画についてあれこれ妄想していた真っ最中だったのだ。
思考を邪魔された鷹王は、あからさまに不機嫌そうな声を上げた。
「何の用だ?そんなに血相を変えて!」
将軍は声に怒りのトーンが混ざっているのを敏感に察知した。
けれど、大王が何よりも重きを置いている宝物庫に関わることだ。隠しておくわけにはいかない。
「大王様、無畏のやつです。どうしても伝えたいことがあるらしく、昨夜からずっと私を呼び続けているのです」
鷹王はますます眉をひそめた。
「昨日行ったばかりだというのに、何事だ!あやつ、自分が宝物庫の精霊(器霊)だからといって、調子に乗ってワシに甘えているのではないか?冰晶傘の話をした途端、早く見せろとワシを急かすとは。一体何様のつもりだ!」
言えば言うほど腹が立ってきたのか、鷹王は声を荒らげた。
「いかん!これ以上あやつを甘やかしてはならん。誰が本当の主人なのか、分からせてやらねばな!」
「大王様のおっしゃる通りです!私があの子を大王様に献上して宝物庫を任せて以来、あやつめ、すっかり天狗になりおって」
「ご主人の私に対しても、最近は生返事ばかりで不遜な態度をとる始末。それが今や、大王様のことすら軽んじるとは、身の程知らずにもほどがあります!」
将軍はこれ見よがしにペコペコと恐縮してみせた。
鷹王の顔色を窺いながら、調子よく言葉を続ける。
「あんなモヤシっ子、放っておいて小言でも言わせておけばいいのです!大王様のご機嫌が良いときに、気が向いたら行ってやれば十分でしょう。思い知らせてやるのです」
「いくら生意気な精霊とはいえ、大王様の寵愛がなければ、ただの物であり、ただの飾り物に過ぎないということを!」
人面桃がうまく調子を合わせたおかげで、鷹王のイライラはひとまず収まった。
―――
扉の外で気配を消していた波有は、冷や汗を流しながら二人の会話をハラハラと聞いていた。
間違いなく、宝物庫の無畏が『蓋紅沙』が二粒足りないことに気づいたのだ。
今回は運よく、鷹王が「わがままな精霊がヘソを曲げて愚痴を言っているだけだ」と勘違いしてくれたおかげで、お宝チェックには至らなかった。
(でも……これも時間の問題だよね。絶対にバレちゃう!)
もう猶予はない。
波有はこれ以上聞くのをやめ、きびすを返すと、一目散に師兄たちのところへ走り出した。
翌日の夜の脱出作戦をスムーズに進めるため、伊貴はその日の夕方、「天幕の中は蒸し暑くて敵わないな」と文句を言うフリをして、妖怪たちに酒と料理を湖のほとりへ運ばせていた。
彼ら三人は、相変わらずお酒を飲んでイチャついている大芝居を打ちながら、さりげなく周囲の警備状況を観察していた。
一人でヤケ酒をあおっていた伊蘭は、ついに「恋人同士に挟まれたお邪魔虫」の切なさを身に染みて味わっていた。
いつもなら自分と雲英の間に誰かが挟まる側だったのに、まさか自分がその役をやることになるとは、本当に居心地が悪くてたまらない。
本気でお酒をガブガブ飲んで現実逃避したかったけれど、これから脱出するという大事な計画があるため、泥酔するわけにもいかなかった。
(はぁ……、英ちゃん、お前に会いたいよぉ……!)
彼は心の中で盛大にため息をつきながら、つい手持ち無沙汰になってテーブルの上のグラスに手を伸ばした。
けれど、なぜか空振る。
目を細めてもう一度手を伸ばしてみたが、またスカッと空を切った。
おかしいなと思っていると、ぐいっと袖の端を引っ張られた。
振り返っても、そこには誰もいない。
(あ、波有だ!)
しかし、周りには料理の皿を持った妖怪が何人も控えている。
ここで彼女の名前を呼ぶわけにはいかない。
伊蘭は少し頭を働かせ、かつて一緒に旅をした伊念の真似をして、わざと大声で詩を吟じるフリをした。
指に酒をちょんとつけると、テーブルの上に文字を書き殴った。
『師妹、どうした?』
すると、すぐ隣のスペースに、すーっと別の文字が浮かび上がった。
『緊急事態!今夜に前倒しできる?』
伊蘭は心臓が跳ね上がるのを覚えながら、急いで書き足した。
『ちょっと待て!』
彼はチラリと横を見た。
そこでは、すっかりお互い良い雰囲気になった二人が、頭を寄せ合って甘い愛の言葉を囁き合っている……ように見えるが、実際は夜の脱出計画の最終確認をしている真っ最中だ。
伊蘭はわざと嫉妬に狂った恋敵のフリをして、大袈裟に割り込み、背中から二人をぎゅっと抱きしめた!
「なーんだよ!俺を無視しやがって!許さんぞ!君たちの仲をめちゃくちゃに引き裂いてやるからなー!」
周りに聞こえない超小声で素早く耳打ちした。
「波有が来たぞ、緊急事態だそうだ!」
抱きつかれた二人の身体が、一瞬でピンと強張った。
伊貴はすぐに話を合わせ、わざと大きな声を出して立ち上がった。
「もう、押さないでくださいよ!ここは譲りますから!あ、急にお腹が痛くなってきた。ちょっとそこを退いて、通れません!」




