第73話 遅れてやってきた春
夜になり、お世話係の妖怪たちが引き上げると、小亀が部屋に結界を張った。
みんなで集まって作戦会議のスタートだ。
波有が嬉しそうに報告する。
「今日、天幕を出たり入ったりしているときにね、彼らが噂話しているのを聞いちゃった。明日、大王がまた将軍を連れて砂漠の見回りに出かけるんだって。だから急いで準備しろって大騒ぎしてたよ」
「やったね! もう少し待たされるかと思っていたから、最高のタイミングだよ」
伊貴もパッと表情を明るくした。
トニが少し首を傾げて言った。
「普段は、そんなにマメに見回りなんてしないの。きっと小月湖が干上がっちゃったから、代わりになる新しい水源を探したいんだわ」
「トニ、前からずっと気になっていたんだけど……」
波有が尋ねる。
「彼らが言っていたの。もし今この大きな大月湖まで干上がっちゃったら、砂漠には一滴の水もなくなっちゃうって。 本当にそうなの?」
トニは仕方のないことだと、諦めたようにため息をついた。
「ずっと昔はね、大月湖と同じくらい大きな湖が、他にもいくつかあったらしいわ。小月湖くらいの小さなオアシスなんて数え切れないほど。激しい嵐が去ったあとに、地中から泉がブワッと湧き出して、そのまま小さな湖になることがよくあったのよ」
「でも、どうしてかしら。ここ数十年の間は、新しい地下水源がさっぱり見つからなくなっちゃって。それどころか、昔からあった湖やオアシスも、どんどん干からびて消えていっちゃったの」
伊貴が納得したように頷く。
「なるほど、そういうことか! 鷹王がおれたちを人質にして、通天山の氷山と交換しようと企んでいるのも、すべては水源不足が原因だったんだね」
「そういうことだったんだ!」
波有も合点がいった。
「いやあ、波有は本当に素敵な友達を見つけてくれたな」
伊蘭と小亀もニコニコしながらトニを見つめる。
みんなから褒められて、彼女は恥ずかしそうに頬を赤らめ、うつむいてしまった。
出会ってからまだ日は浅いけれど、一緒に過ごせば過ごすほど、波有たちから離れたくないという気持ちが強くなっていく。
まるで、ずっと昔から仲間だったような。
あるいは、ずっと前にうっかり失くしてしまった大好きな宝物をようやく見つけ出したような、そんな不思議な愛おしさが込み上げてくる。
もう二度と、この手を離したくない。
―――
波有が小亀のほうを向いた。
「そういえば師弟、今日は鷹王の部屋に忍び込んでいたんでしょう? 何か収穫はあった?」
小亀はがっかりしたように首を振る。
「途中で将軍が入ってきて報告していたんだけど、水汲みの間隔をもっと引き延ばせ、だってさ。あいつ、本当に口が上手くて、鷹王のことをこれでもかってくらいヨイショして持ち上げるもんだから、隠れて聞いていて吐き気がしちゃったよ」
「よし、無駄話はここまでにして、一番大事な明日の話をしよう」
伊貴が真剣な表情で引き締める。
「波有の探知能力(神識)でも、さすがにそこまで遠くへは届かない。明日は完全に甲ちゃんが頼りだ。くれぐれも気をつけて行動してくれよ」
トニが自分の部屋へ戻る時間になった。
どこか名残惜しそうな彼女を、伊貴がそっと扉の前まで見送る。
「戻ったらゆっくり休んでね。また明日」
彼が振り返ると、背後で波有たちがニヤニヤしながらこっちを覗き見していた。
何やらヒソヒソと耳打ちし合っている。
「いやぁ、ずいぶん待たされたけれど、二師兄にもついに春がやってきたね!」
波有がしみじみと呟く。
伊蘭も興奮気味に声を潜めて叫んだ。
「おいおい、やるじゃねえか! お前、あの子がラクダの妖怪だってことは気にしないのか?」
伊貴は顔を真っ赤にしながら、言い返すように反論した。
「人間だから何だ、妖怪だから何だって言うんですか? ほら、師父だって、古い偏見を持たずに甲ちゃんを迎え入れてくれたじゃないですか。しかも、誰よりも可愛がっているでしょう?」
伊蘭は「確かに」と頷いた。
「まあな。よく考えたら波有だって人魚の仲間だし、後四も妖だ。それに何より、トニちゃんは美人だし胸もデカいし……って、痛いッ!」
振り返るまでもない。
お尻に思いきり、師弟と師妹の強烈なキックが同時炸裂した。
小亀は直接蹴り入れなかったけれど、さすがに甲ちゃんは優しくて暴力反対なんだな、と伊蘭が思いかけたその瞬間、耳元で冷ややかな声が響いた。
「大師兄、自業自得ですよ」
―――
翌朝、まだ太陽が昇りきらないうちに作戦が始まった。
伊貴が立てた計画通り、小亀は波有の探知サポートを受けながら、誰にも気づかれることなく鷹王の天幕の入り口へと忍び込んだ。
小さな虫の大きさになった彼は、タイミングを見計らって鷹王がこれから身につける衣装へと這い登り、緑豆ほどの大きさに変化して、服の裾へとぎゅっとしがみついた。
ついにお日さまが昇り、バシッと着替えた鷹王が、人面桃将軍を連れて天幕から姿を現した。
外では、エリート部隊の鷹衛隊と皇后が、すでに行列を作って彼らの出発を待ち構えていた。
鷹王との将軍が、突如巻き起こった黄砂の竜巻に飛び乗る。
「大王様、いってらっしゃいませ!」という部下たちの凄まじい合唱に見送られながら、彼らは派手に出発した。
黄砂の竜巻は、まず砂漠の全景をなぞるように大きな円を描いて激しく飛び去り、そこから徐々に内側へと渦を巻くように進んでいった。
砂漠のすべての土地を、一寸の狂いもなくチェックしていくためだ。
鷹王が深くため息をつき、隣の将軍に話しかけた。
「なあ、いつになったら、通天山にいるワシの古い友人に連絡を入れるつもりじゃ? 早く氷山を持ってこさせて、弟子たちと交換してやりたいんだがな」
ヘビの妖怪が応じる。
「大王様、若い二人の神使が来てからまだ何日しか経っておりません。もうしばらく様子を見ましょう」
「そうは言っても、ワシは焦っておるのだ! 特にここ数十年の間、新しい水源なんてどこにも見つからん。見回りに来るたび、がっかりさせられてばかりだ!」
将軍はニヤリと笑った。
「お聞きになりましたか? 彼ら、一日中お妃とベタベタしてイチャついているそうですぞ。例の『海市花』のお茶が、完璧に効いている証拠です」
「あと十日か半月も待てば、さらにメロメロになって正気を失うでしょう。そのときを狙って、通天山のいまの内部事情を詳しく探り出すのです。そうすれば、もっと確実に有利な条件を突きつけられます。人間の兵法書で言うところの、『彼を知り己を知れば百戦危うからず』というやつですな!」
さすがは本を読んでいる男、言うことがいちいち知的で頼もしい。
鷹王はすっかりご機嫌になった。
「百戦危うからず、か! 気に気に入ったぞ、その言葉! やはりワシのことを一番理解しているのは将軍、お前だけじゃ!」
―――
人面桃は心の中で(砂漠はお前の縄張りなんだから、そもそも戦う相手なんていないし、戦争なんて一度もしたことないだろう。何が百戦百勝だよ)と毒づいていた。
けれど、口から出たのは全く別の言葉だった。
「大王様、地上の砂地のチェックはすべて終わりました。そろそろ、『無畏眼』を呼び出されますか?」
鷹王は急かすように言った。
「さっきのドライブは退屈でたまらんかった! 早く宝物庫の中に入って、ワシのコレクションを数えさせてくれ。そうすれば気分も晴れる!」
すると、将軍が何やら怪しげな呪文を唱え始めた。
なんと、彼の首の付け根からもう一つの頭がニョキッと生えてきたのだ。
全く同じ顔をしているけれど、そちの頭はしっかりと目を閉じている。
二つの頭が同時に不気味な呪文を唱えると、黄砂の竜巻の下にある地面が、ゴゴゴと激しく震えだした。
やがて、激しくめくれ上がる砂の底から、ツルツルとした巨大な球体をした、白い物体がズズズと姿を現した。
二人は竜巻から飛び降り、球体の前に立った。
将軍は恭しく頭を下げた。
「大王様、どうぞ中でお宝をじっくりとお楽しみください。私はいつも通り、外でお待ちしております」
鷹王は満足そうに頷くと、球体に向かってスタスタと歩いていった。
まるで白い壁が存在しないかのように、何一つの抵抗もなくすんなりと中に吸い込まれていく。
服の裾にしがみついていた小亀は、一瞬たりとも見逃さないようにプロセスを凝視していたけれど、鷹王が一体どういう仕組みで中に入ったのか、さっぱり理解できなかった。
けれど、球体の中に一歩足を踏み入れた瞬間、目の前に広がった光景は、彼を完全に圧倒した。
うわっ、まぶしっ!
瞬間、四方八方から押し寄せる強烈な光の嵐に、危うく目を潰されそうになった。
彼は緑豆ほどの小さな目を必死に細めながら、恐る恐る周囲を見渡した。
そこは、まるで黄金でできた別世界だった。
きらきらと輝く金色の海が足元からどこまでも広がり、水平線の先すら見えない。
向こうから一艘の小さな小舟がこちへ向かって進んできた。
頭がやたらと大きくて体つきの小さな子供が、楽しそうにオールを漕ぎながら、大声で叫んでいる。
「大王様! 大王様! ずっとお待ちしておりましたよ!」
鷹王は呆れたように笑いながら、親しげに言った。
「たった二、三日会わなかっただけだというのに、大袈裟なやつめ」
そう言いながら小舟に飛び乗ると、真っ先に命令を下した。
「無畏よ、まずは『蓋紅沙』の様子を見に行くぞ」




