第71話 『お利口さん』の裏事情
「いやはや、まさか通天山の連中が、心の準備ができる前にやって来ちまうとはな……」
双頭のヘビ妖怪・人面桃は、内心すっかり焦っていた。
天幕へと戻った彼は、再びテントのてっぺんへと這い登り、トグロを巻いた。
ジリジリと照りつける烈日はたまらなく心地よかったが、もうちっとも眠れそうにない。
さっきの酒席で、鷹王が星盤仙尊の「天人五衰」の話を聞いた瞬間、嬉しそうな色を顔に浮かべたのを、人面桃は見逃さなかった。
沙漠の支配者は、昔から見栄っ張りでうぬぼれが強い。
完全に『当事者はかえって周りが見えなくなる』というやつだ。
実際のところ、大王自身の状況だって、星盤仙尊とどっこいどっこいなのだから。
―――
将軍・人面桃は、絵に描いたような『お利口さん(世渡り上手)』だった。
実は修行の年月はそこまで深くなく、せいぜい八百年程度にすぎない。
ただ、彼は世にも珍しい「双頭のヘビ」の妖怪だった。
さらに運が良いことに、かつて砂漠の中で、どこぞの高名な修道者が残していった修行の秘籍を拾ったのだ。
書物には、目を「天眼」へ、そしてさらに「無畏眼」へと鍛え上げる方法が記されていた。
無畏眼は、世の何よりも硬く、永遠に朽ちないと言われている。
ずっと「普通とは違う奇妙な体」のせいで、周囲から白い目で見られ、差別されてきた彼は、心に誓ったのだ。
――絶対にこの砂漠で、誰もが見上げる『ひとの上』に立ってやる、と。
やがて彼は、二つの頭のうち片方の目を、見事に「無畏眼」へと鍛え上げた。
その一芸を引っ提げて、沙の谷の精鋭である『鷹衛隊』に潜り込むことに成功したのだ。
鷹王が新しい宝物庫を建設したがっていると知るや、彼は鍛え上げた、無畏眼の目玉をドロリと抉り出し、鷹王へと献上した。
それが、千年も万年も絶対に壊れない『無畏宝蔵穴』の鍵となったのだ。
大勝負が見事に当たり、彼は一気に大出世を遂げた。
忠誠心が高く、口が達者で頭もキレる彼は、今や鷹王がどこへ行くにも連れて歩く、一番の腹心にまで上り詰めたというわけだ。
そんな将軍の普段の趣味は、日光浴のほかに、人間の書物を読むことだった。
しかも、難解な文字列であればあるほど、重箱の隅をつつくようにして解読し、研究に没頭した。
本をたくさん読むと、地頭が目に見えて良くなるものである。
ここ数年、彼は鷹王の側近として、物事をいろんな角度から深く観察し、思考を巡らせてきた。
その結果、ある一つの恐ろしい結論に達してしまったのだ。
――鷹王の寿命は、もう残り少ない。沙の谷の繁栄も、まもなく砂のように崩壊する。
状況は完璧に見えている。……けれど彼一人の力では、この大局をひっくり返すことなんて到底できなかった。
砂漠の絶対強者である鷹王の命は、砂漠の環境の変化とぴったり連動している。
ここ数十年の間に、各地の小さなオアシスや泉が次々と干上がっていき、ついには小月湖までが黄砂の底に消えかけている。
水源が急速に枯れ果てているということは、そのまま鷹王の肉体が衰えている証拠なのだ。
砂漠の支配者も、すっかり焼きが回って先は長くない。
ただ、本人が現実を知らないだけだ。
いや、もしかしたら薄々は気づいているのかもしれない。
けれど、狂暴で傲慢な性格ゆえに、そんな不都合な未来は絶対に認めたくないのだ。
これぞまさに、人間の本にある『耳を塞いで鈴を盗む(見たくない現実から目を背ける)』というやつである。
―――
(だったら……)と、人面桃は考えた。
「まだ大王様に寵愛されている今のうちに、宝蔵穴からお宝を二、三点ほどくすねて遠飛しちまうのが賢い選択なんじゃないか? 人間の都へ行きゃあ、残りの人生を優雅にぬくぬくと暮らせるはずだ」
それに、普段から自分を目の敵にしている鷹衛隊の隊長は、鷹王の血を引く遠い甥っ子だ。
もしもいつか鷹王という後ろ盾がなくなれば、口先三寸しか武器のない自分が、あの脳筋の甥っ子とガチで殴り合って勝てるわけがない。
彼は心の中で、自嘲気味に鼻で笑った。
(他人のマヌケさを笑っているが、俺だって結局は『茹でガエル』じゃないか。早く逃げなきゃいけないと分かっていながら、今の権力と贅沢が惜しくて、ずるずると先延ばしにしている……)
考えれば考えるほど心が乱れ、居ても立ってもいられなくなる。
いっそ一眠りして、エネルギーをチャージしてからまた考えよう。
「――ウゥ、ウゥ……ッ」
しかし、天幕の前に響く哀れな泣き声が、本当に耳障りでイライラする。
彼が並ぶ木柱のほうに目をやると、お仕置きとして縛り付けられた下っ端の妖怪が、すでに干からびて息絶え絶えになっていた。
彼の目がふっと霞み、未来の自分の姿がそこに重なった。
鷹王が死んだあと、傲慢な隊長によって、自分が柱に縛り付けられている生々しい幻影だ。
ジリジリと容赦ない太陽が全身を温めてくれているはずなのに、なぜかちっとも温かく感じない。
「ダメだ、ダメダメッ!」
彼は心の中で、ガンガンと警鐘を鳴らした。
一刻も早く、確実な脱出計画を練らなければ。
今みたいな生活を続けている場合じゃない!
―――
一方その頃、伊蘭と伊貴の二人は、すっかりお腹をパンパンに膨らませて、太鼓を叩けそうなほど満足していた。
……ただし、彼らがガブガブと流し込んだのは酒ではなく、手を洗うため、ただの水だった。
一歩進めば罠だらけの危険地帯。二人は少しも油断していなかった。
口元に運んだ酒杯は飲むフリをしてそっと机に戻し、代わりに、横に置いてあった手洗い用の水を「いやあ、水はうまいなぁ!」と田舎者丸出しの演技で飲み干したのだ。
横にいたラクダの姉も、お腹を抱えてクスクスと大ウケしていた。
そんな中、トニだけは心ここに在らずといった様子で、ソワソワと落ち着きがなかった。(波有ちゃん、いつ私を迎えにきてくれるんだろう……)と、そればかりが頭をよぎる。
すると、隣にいた四姉・トコがニヤニヤしながら声をかけてきた。
「もしかして緊張してバクバクしちゃってる?」
「えっ!?」
トニはビクッと肩を震わせた。やだ、私、考えていることが全部顔に出ちゃってたのかな? 姉さんに怪しまれたんじゃ……。
しかし、トコはひとりで深く納得したようにコクコクと頷いた。
「分かるわ、分かるわよぉ! 目の前にいる若い人間の男子たち、ひとりはシュッとしたイケメンで、もうひとりはガタイのいい逞しいお兄さんだもの。どっちをモノにするか、本当に迷っちゃうわよねぇ?」
トコは口元を手で隠してクスクスと笑う。
「姉様たちは『砂漠の田舎者に仕えるなんて、罰ゲームよ!』って嫌がって来なかったけれど、大正解だったわ。あいつらには、奥にいる干からびた老いぼれをヨボヨボとお世話させておけばいいのよ!」
トニの耳元でこっそり囁いた。
「まさか、通天山の使者がこんなにピチピチしたのイケメンたちだったなんてね。棚からぼた餅だわ、私はすごーく気に入っちゃった。トニ、あなたはどう?」
トニは心の中で(本当にお気楽な脳天気姉さんだわ……)と盛大に呆れ返りつつも、話を合わせるために口元を引きつらせて微笑んだ。
「さすがトコ姉さん、お目が高いわ! 私も全く同じ気持ちよ」
姿を隠して様子を窺っていた波有は、一刻も早くトニと二人きりになりたかったため、
伊貴の背中をツンツンと小突いた。
彼はすぐ察した。
「沙の谷の皆様、素晴らしいおもてなしをありがとうございました。お腹もいっぱいになりましたし、ここへ来るまでの長旅で少々体が疲れてしまいまして……。よろしければ、どこか横になれるお部屋へ案内していただけないでしょうか?」
―――
近くに控えていた下っ端の妖怪が、あらかじめ言いつけられていた通りに動き、伊貴とトニを小さな小部屋へと案内した。
そして、伊蘭とトコは、隣の部屋へと連れて行かれた。
部屋に入ると、トニは急に緊張し始めた。
若い男の人と二人きりで同じ空間に閉じ込められるなんて、彼女の人生で初めてのことだ。しかも、こんな整った顔立ちの綺麗な男性である。
一体、何を話せばいいのだろう。
背中にじっとりと冷や汗がにじみ、服が肌に張り付いて、何だか居心地が悪くてたまらなくなった。
「あの……神使様、どうぞごゆっくりお休みください。私はお邪魔でしょうから失礼しますね!」
彼女は早口でそれだけをまくしたてると、一刻も早く場から逃げ出そうと、脱兎の如く扉へ向かった。
しかし、伊貴が素早く立ち上がって彼女の行く手をそっと遮った。
「お妃様、どうか行く手を止めて、お話を少しだけ聞いてくれませんか」
トニが恐怖で怯えたように目を真ん丸にするのを見て、伊貴は慌てて両手を振り、安心させるように微笑んだ。
「あ、驚かせてしまってごめんなさい! 決して怪しい者でも、お妃様に乱暴を働くつもりでもありません。ただ……ひとつお伺いしたいのですが、私の師妹『波有』という少女をご存知ですか?」
「えっ!」
トニは驚きのあまり声を上げた。すぐに疑り深い目を伊貴に向ける。
「あなた……波有ちゃんと……?」
伊貴は優しく微笑みながら、綺麗にお辞儀をした。
「お妃様、どうか怒らないでくださいね。私たち、正体を隠してあなたに近づいたのには、どうしても外せない深いワケがあるのです」
トニは焦ったように言葉をまくしたてた。
「説明はあとでいいわ! それより、波有ちゃんは今どこにいるの? さっき『また絶対に会いにくる』って言ってくれたけれど、こんな警備の厳しい天幕の中に、一体どうやって入ってくるつもりなのかしらって、私ずっと心配で……」
伊貴は悪戯っぽく微笑んだ。
「彼女なら、もう、とっくにここにいますよ」
その言葉が響き渡った瞬間。
何もない空間から、ぽわん、と波有が姿を現した。




