第66話 人面桃将軍のたくらみ
天幕の外から聞こえてくる無残な悲鳴に、人面桃将軍は一瞬だけ背筋を凍らせた。
けれど、すぐに心の中で自分に言い聞かせる。
(ふう、危ないところだった。この天才的なおしゃべりスキルがなければ、今頃柱に吊るされていたのは俺の方だったかもしれないな)
将軍は目をキョロキョロと輝かせながら、名案を思いついたように、動かせる方の頭をひょこっと持ち上げた。
機嫌を窺うように慎重な声で尋ねる。
「大王様、現在の状況は確かに少々深刻ではございますが、人間たちの書物には『天に突き出た絶壁にも、必ず一本の抜け道がある』という言葉がございます。そういえば先ほど、近々古いご友人が訪ねて来られるとおっしゃっていましたが、それは真実でございますか?」
鷹王は深く頷いた。
「古い友人というか、通天山でワシと並び称される星盤仙尊のことじゃ。昔、奴のところへ遊びに行った時、あそこには何万年経っても絶対に解けない不思議な氷の結晶(氷晶)があるのを見かけてな」
「我が領地は年中カラカラの激熱じゃろう? もし冷たい氷晶があれば、どれほど涼しく快適に過ごせることか!」
「彼もその時、『もし余りが出たら少し分けてやってもいいぞ』と約束してくれたのじゃ。今日、ワシの神識が氷晶の気配を感知した。近いうちにこちへ向かってくるに違いない」
将軍は鷹王の言葉を聞き終えると、陰険な瞳を妖しく光らせた。
「大王様、氷というのは熱を浴びれば水に変わるものでございます。通天山は何万年も雪と氷に閉ざされた極寒の地」
「もし、あそこの小さな山頭ごと砂漠へ引っ張ってくることができれば……圧倒的な熱気で氷山がみるみる解け、巨大なオアシスへと生まれ変わるはずです! そうなれば、現在の水不足など一撃で解決いたしますぞ」
それを聞いた鷹王は大喜びした。
「おおっ! さすがは我が砂漠が誇る天才将軍じゃ! 実に賢い! 普段から熱心に兵法書を読み込んでいるだけのことはあるな!」
やり取りを盗み聞きしていた波有は、鷹王たちの身勝手さに心の底から呆れ果てていた。
(こんな最悪な男が、光如意羅漢様や星盤仙尊じいちゃんと並ぶ三大能の一人だなんて信じられない! 愚かで、ワガママで、大能を名乗る資格なんて一ミリもないわ。やっぱり、ダメなボスの下にはダメな部下が集まるのね。二人とも揃いも揃って大悪党じゃない!)
―――
ヘビの妖怪はさらに得意げに胸を張った。
「大王様が沙の谷を完璧に隠匿されているとはいえ、たまに外の世界から迷い込んでくる間抜けな人間がおりますからね。おかげで私、外の噂話にはそこそこ耳が早いのです」
「話によれば、仙尊のじいさん、もう寿命が残り少ないらしく、すでに『天人五衰』の時期に入っているとか。大王様はご友人の来訪だとお喜びですが……失礼ながら、本当にやってくるのは星盤仙尊ご本人ではなく、その弟子たちの可能性が高いかと」
「それがどうした? 師匠が来ようが弟子が来ようが、ワシに氷晶を届けにくることに変わりはなかろう?」
不思議そうに首を傾げる鷹王に、将軍はニヤリと冷酷な笑みを浮かべた。
「仙尊がいくら衰えているとはいえ、長年蓄えた法力は化け物クラスです。真っ向から戦うとなれば相当な骨が折れるでしょう」
「……しかし、もしやってきたのが弟子たちであれば、話は別です。若くて世間知らずな上、法力だって師匠には遠く及ばないはず」
「まずは極上の美女を送り込んで骨抜きにし、それでもダメなら監禁してしまえばいいのです! そして仙尊に向けて『氷山と弟子を交換しろ』と脅迫の手紙を送りつけるのですよ!」
将軍がそう言い放った瞬間、鷹王だけでなく、隣にいた皇后や床にひざまずく貴妃たち、さらには警備の鷹衛兵までが、一斉に手を叩いて歓声を上げた。
天幕の中が「将軍の作戦は宇宙一素晴らしい!」という絶賛の嵐に包まれる。
―――
波有は怒りのあまり頭から湯気が立ちそうだった。
(もう我慢できない! これ以上、あいつらの汚い作戦なんて聞いていられないわ!)
隣の小亀に視線をやると、彼もヘビの妖怪の卑劣なセリフに激怒し、小さな二つの目がこぼれ落ちそうなくらい飛び出していた。
(そうだ、あいつらが悪い企みを話し合っている隙に、私は外へ出て師兄たちを探しに行こう。師弟にここで聞いておいてもらえばいいわ)
波有はそう決めると、自分の意識(神識)をゆっくりと天幕の外へと這わせ、湖の周辺へと泳がせていった。
外へ出ると、さっき捕まった可哀想な小さな妖怪たちが、太い木柱にガチガチに縛り付けられていた。
砂漠の凶悪な太陽にジリジリと照らされ、彼らはすっかり元気をなくして頭を垂れている。
(バカでワガママなボスのせいで、こんな目に遭うなんて本当に災難ね……)
波有は心の中で同情のため息をつきながら、湖の周りをぐるりと一周してみた。
先ほど、彼らがこの場所を『大月湖』、最初に見た湖を『小月湖』と呼んでいるのが聞こえたけれど、名前は似ていても広さは十倍以上も違っていた。
小月湖がちょっとした公園の池だとすれば、目の前の大月湖は本物の大パノラマの湖だ。
水が豊かな南方の土地に持っていったとしても、十分に人々を圧倒するほどの立派な大湖だった。
けれど、波有の神識は時間をかけて捜索しても、伊貴たちの気配を感知できなかった。
彼女はがっかりしながら、柳の木の下で目を閉じている自分の肉体へと意識を戻した。
ところが、瞑想から目覚めてパッと目を開けると、すぐ傍らに、伊蘭と伊貴が立ち、静かに護衛をしてくれていたのだ。
しばらくすると、小さな姿から戻った小亀も無事に帰還した。
伊蘭たちは、二人が怪我もなく戻ってきたのを見てホッと胸を撫で下ろした。
兄弟弟子たちは頭を突き合わせ、お互いにこれまでの出来事を報告し合った。
―――
聞けば、師兄たちは砂の竜巻が止んだ後、そのまま上空から砂漠へと真っ逆さまに叩きつけられたらしい。
気を失って倒れていたものの、幸運にも松明のような低木の茂みがクッションの役割を果たしてくれたため、奇跡的に大きな怪我はなかったという。
目を覚ました後、周囲を必死に捜索したけれど、伊念と後四の二人だけはどうしても見つからなかったそうだ。
小亀が冷静な表情で分析する。
「白鶴の羽は、主人の本命の法宝なんだ」
「僕の感覚だと、羽は竜巻に吹き飛ばされたわけじゃなくて、今も通天山の近くにある気がする。もしかしたら、伊念師姉も僕たちを見つけられなくて、先に白鶴に乗って通天山へ引き返したのかもしれないよ」
伊貴は眉間に深いシワを寄せた。
「俺たちは本来、鷹王に法宝を借りにきたはずなのに、状況は想像以上に最悪だ。念ちゃんと後四がこの危険な場所に巻き込まれなかったのは不幸中の幸いだけど……」
「白鶴がなくなってしまった今、用事を済ませた後、一体どうやって砂漠から脱出すればいいんだ?」
小亀はのんびりと無邪気に笑ってみせた。
「白鶴みたいにずっと飛び続けるのは無理だけど、短い時間なら、僕の本来の力でみんなを乗せて飛ぶことはできるよ」
伊貴はもう一度ため息をついた。
「ラクダの妖怪の後を追って、偶然沙の谷へ紛れ込むことができた。今はとにかく、目の前の課題を一つずつクリアしていくしかないな」




