第63話【後編・第3話】 オアシスの美女たち
伊念は星を数え続けたい気持ちもありつつ、二人がコソコソと何を話しているのか気になって仕方がなかった。
少し迷った後、顔を向けて小亀に声をかける。
「ちょっと、 私にも聞かせなさいよ」
小亀はわざとらしく首を傾げてみせた。
「あれ? 師兄たちから聞いた話だと、伊念師姉は昔、無口でいつも一人で本ばかり読んでいる人だったって言ってたのになぁ。どうして最近、僕みたいにおしゃべりになっちゃったの?」
伊念は不満そうに唇を尖らせた。
「あんたに刺激されたせいに決まってるでしょ!まあ、自分でも不思議なんだけどね。……性格まで変わっちゃったのよ。後四ってあんまり喋らないじゃない? 以前は静かで居心地が良いから一緒にいるのが好きだったんだけど、最近はみんなでこうやってワイワイ言い合うのも、なんだか楽しいなって思えるの」
波有がくすくすと言葉を添えた。
「ふふ、いいことだね! いつか後四のカタブツな性格まで変わったら、私たちは本当に血のつながった家族みたいになれるかも」
笑い声を聞きつけて、近くにいた他のメンバーもにやにやしながら集まってきた。
伊蘭が楽しそうに割り込んでくる。
「おいおい、自分たちだけで楽しむのはずるいぞ! 俺たちも混ぜてくれ!」
すかさず伊念がチクる。
「聞いてよ大師兄、私が星を数えていたのに、この金魚のフンが邪魔しにきたのよ」
後四も悪ノリして変な声をあげた。
「金魚のフンー!」
伊蘭はわざとらしく深いため息をつき、彼女に言った。
「念ちゃん、本当に空気が読めないなぁ。邪魔をしているのはどう見ても、小師弟(小亀)と小師妹(波有)の甘い時間を引き裂いたお前の方だろう?」
小亀は顔を真っ赤にしてガタッと起き上がり、今にも掴みかからんばかりの勢いで拳を握った。
伊貴が慌てて間に入り、ハハハとなだめる。
「はいはい、ストップ! 冗談はそこまでだ」
小亀の肩をポンと叩いた。
「甲ちゃんも分かっているだろう? 彼らはただ、お前をからかって楽しんでいるだけだ。本気にするんじゃないぞ」
小亀はふんっと鼻を鳴らしつつ、小さく頷いた。
「分かってるよ。僕は今夜寝る時は少し気をつけてねって、師姉に注意を促していただけなんだ」
言葉を聞いた瞬間、伊貴の表情から引き締まった。
「……確かにその通りだな。冗談は終わりにして、ここからは全員警戒を強めてくれ。一見静かに見えるけれど、オアシスの近くにどんな危険が潜んでいるか分からない」
「よし、前半の夜番は俺と甲ちゃんが引き受ける。後半は大師兄と後四、頼んだぞ。波有と念ちゃんは眠っておくれ」
満場一致で夜の防衛体制が決まった。
―――
安全を最優先にするため、横になる場所は湖から少し離れた、トーチのような形をした低木の茂みの中に決めた。
波有が眠りについてから、どれほど時間が経っただろう。
不意に、小亀に肩を優しく揺すられて目を覚ました。
(……何かあったんだ)
直感した彼女は、一言も発さずに小亀の後ろを這うようにして、息を潜めて兄たちのいる場所まで移動した。
全員がじっと息を呑んで見つめている先――静まり返った湖の方へと視線を向けた。
師兄たちが目を皿のようにして集中しているのも無理はなかった。
なんと、夜の湖畔で数人の美女たちが髪を洗ったり、身だしなみを整えたりしていたのだ。
幸いなことに、彼女たちは全員、足元まで隠れる白いロングローブを身に纏っている。
数えてみると、全部で五人いた。
美女たちはどことなく大柄で健康的、均整の取れたスタイルをしており、衣服で肌を一切露出していないにもかかわらず、衣服の下に隠された圧倒的なプロポーションが見て取れた。
長い黒髪を水面に垂らしてゴシゴシと洗っている者もいれば、水瓶で水を汲み、仲間の頭に優しく注いで手伝っている者もいる。
小亀は面白くなさそうな顔で、波有の耳元でボソッと囁いた。
「……あの水、まだ飲めると思う?」
波有は思い切り眉をひそめた。
「さあね……。少なくとも、私はもう絶対に飲まないかな」
伊蘭は鼻の下を伸ばしながら、感心したように声を漏らす。
「ほう……砂漠の女の子っていうのは、あんなにスタイル抜群なのか?」
伊貴も深くため息をついた。
「本当に、すごいボリュームだな……!」
少年たちが夜のオアシスの美景にすっかり心を奪われていた、その瞬間だった。
背後から、伊念の冷酷極まりない一撃が振り下ろされ、男たちの甘い妄想は粉々に打ち砕かれた。
「師兄たち、一体何をボケッと見とれてるの? 私の『陰陽眼』には、女たちの正体がバッチリ透けて見えてるわよ」
「あれ、ラクダの妖怪が化けてるだけだから。胸の膨らみ、全部コブよ」
伊念の言葉は、男たちの脳内に、何とも言葉に表せないシュールで恐ろしい映像を強制的に植え付けた。
伊蘭の顔から一瞬で血の気が引いた。
「……やめてくれ、想像したら吐き気がしてきた……」
伊貴は慌てて彼の口を大きな手で塞ぎ、「シーッ!」と人差し指を口元に当てた。
まさかラクダの妖怪だったとは。
現実はいつだって夢を壊すものだ。
けれど、衝撃のおかげで男たちの興奮はすっかり冷め、静まり返った湖畔から、彼女たちの話し声がかすかに風に乗って聞こえてきた。
―――
「みんな、少し急ぎなさい。大王様から、もうすぐ昔馴染みの古い友人が客としてお見えになるとお達しがあったわ。私たちもしっかり綺麗に着飾って、お客様をちゃんとおもてなししなければね」
五人の中で最も背が高く、体格のしっかりした美女が、どうやら彼女たちのリーダー格のようで、次々と指示を出している。
すると、少し髪の毛の茶色い美女が、甘ったるい声をあげた。
「やっぱり皇后様はいいですねぇ、大王様は何でもあなたに相談されるんだから。私たち、お妃の扱いなんて見てくださいよ。普段の大王様ったら、用がある時しか話しかけてくれないし、一言も余計なことは教えてくれないわ。今日も『さっさと行って綺麗に洗ってこい!』って一言だけで、私たちを追い出したんですから」
隣にいた少し小柄な美女が、脇腹をツンと小突いた。
「お姉様が大王様の正妻(皇后)になってくれたからこそ、私たちだってこうして側室(お妃)になれたんじゃない。四の五の言わずに、大人しく髪を洗いなさいよ。おしゃべりが多すぎるわ!」
残りの二人もそれに同意して頷いた。
「そうよ! 少しは満足しなさいな。お姉様のおかげで良い思いができているんだから、お姉様と自分を比べるなんておこがましいわよ」
一番背の高い、皇后である長姉は、背筋をピンと伸ばして威厳たっぷりに言った。
「妹たちよ。大王様はもともと、無駄口を叩く者を嫌うお方だ。私は長年あの方に仕えてきたけれど、目の前で口うるさく喋りすぎたせいで、跡形もなく消されてしまった者を何度も見てきたわ」
「あんたたち、自分の口にはしっかりと戸締りをしておきなさい。もし何かあっても、知らないからね」
四人の美女は慌てて腰を落とし、恭しく頭を下げた。
「皇后お姉様のお言葉、肝に銘じます。決して余計な口は叩きません」
彼女たちはまだ楽しそうに髪を梳かしている。
一方、低木の茂みに隠れている波有たちは、指一本動かすことができなかった。
五匹のラクダの妖怪、どうやら法力も相当高そうだ。
何より、自分たちは法宝を借りに来た身。
ここで揉め事を起こして戦いになってしまっては、貸してもらえるものも貸してもらえなくなる。
(それにしても、彼女たちの言う『大王様』っていうのは、きっと鷹王のことだよね……。でも、鷹王の女の人たち? なんだか呼び方が、都の皇帝の奥さんみたいに『皇后』とか『お妃』とか呼んでる。どうしてそんな大層な名前を使っているんだろう?)
波有たちの頭の中にはたくさんの疑問が浮かび上がったけれど、今は息を殺して、静かに湖畔の様子を見守るしかなかった。
やがて、湖畔のラクダ美女たちは髪をまとめ終えると、白いローブの背中についているフードをすっぽりと頭に被った。
皇后の長姉が妹たちを促す。
「準備はいいわね? ――それじゃあ、呼び出すわよ!」
彼女たちが一斉に頷いた。
低木の陰では、全員の視線がリーダーである伊貴へと集中した。
次の指示を待っているのだ。
伊貴は目を丸くしながら、声を出さずに口の動きだけで「……後を追うぞ」と伝えた。
それから小亀を指さす。
彼はすぐに意図を察し、音を立てずにそっと鶴の羽を取り出した。
五人は静かに白鶴の背へと飛び乗り、夜空へと舞い上がった。




