第61話【後編・第1話】 新しい旅立ち
【前書き】
いつも応援ありがとうございます!
無事に前編(第60話)が完結いたしました。
本日から、いよいよ「波有伝説~海をゆく虹色の鱗【後編:不老不死の秘薬】」のスタートです!
前編から続いていく人魚姫たちの新たな旅路、そしてさらなる波乱の展開をぜひお楽しみください。
後編も毎日17時20分に更新していきますので、引き続きお付き合いいただけたら嬉しいです^^
※後編のスタートに合わせて、作品タイトルを【後編:不老不死の秘薬】に変更いたしました。
窓の隙間から白っぽい朝の光が差し込み、あちこちから雄鶏の鳴き声が聞こえてきても、まだ熱い議論は続いていた。
ギィ、と扉が開き、和白が部屋に入ってきた。
「おやおや、君たち一晩中寝ずに話し込んでいたのかい?」
彼は決まり悪そうに苦笑いした。
「若いってのは本当にいいねぇ。俺や藍じゃあ、とても真似できないよ。ましてや師匠なんて、毎日十時間は寝ないとダメだし、その上にお昼寝まで必要なんだから」
「さあ、師匠がお呼びだよ。朝ご飯を食べたら話したいことがあるそうだ」
伊貴が慌てて声を上げる。
「和白神使! 実は、驕盧が都で何か恐ろしい陰謀を企んでいるんじゃないかと睨んでいるんです」
彼は、人魚島の禁術の秘籍に関する推測を手短に伝えた。
和白は少し考え込むように顎に手を当てた。
「なるほど……。よし、ご飯を食べ終わったら俺から師匠に詳しく報告しておこう。藍がもうご飯を作って待っているはずだよ。お腹がペコペコだ、早く行こう、早く!」
用意されていた朝食は昨日と同じだった。
ジャガイモで作った自家製麺の上に、香ばしく焼かれた目玉焼きが二つ、刻んだ青ネギが散らされていて、部屋に入る前からたまらない香りが漂っていた。
けれど、これからの大仕事が頭から離れず、誰もが食事に集中できない様子だった。
いつもなら大食いの伊蘭ですら、急いで麺をかき込むと、すぐに箸を置いてしまった。
―――
食後、彼たちはじっと仙尊を見つめた。また昔話の続きが聞けるのだろうか、それとも、もっと重要な話があるのだろうか。
仙尊はボロボロの竹の椅子に深く腰掛け、手にした扇子をサッと一振りした。
すると、伊貴たちは目に見えない不思議な力に引っ張られるようにして、前の方から一列に整列させられてしまった。
列の先頭は小亀だった。
隣にいた和白が、彼に木製のコップを差し出す。
昨日も飲んだ、雪黄花のお茶だ。
和白はニコニコと微笑んでいる。
「師匠がこの中に、百年分の霊力を注入してくださったんだ。一人一杯ずつ、しっかり飲むんだよ」
小亀や後四はともかく、伊貴たちは、まるで口の中に茹で卵でも詰め込まれたかのように、あんぐりと大口を開けて固まってしまった。
人間の寿命は短い。
中には、少しでも延ばそうとあらゆる汚い手段に手を染める者だっているというのに、大師匠様のお茶を一杯飲むだけで、寿命が百年も延びるというのだ。
まさに天から降ってきたとんでもない大ごちそうだった。
藍も嬉しそうに笑う。
「実はね、君たちがここ数日で食べたり飲んだりしていたものは、どれも霊力がたっぷり詰まった最高級の栄養食なんだ。来たばかりの頃に比べたら、みんなの法力は見違えるほど強くなっているはずだよ!」
それを聞いて、誰もが顔を輝かせた。
仙尊は扇子をパタパタと仰ぎながら、小亀を呼び寄せた。
「おい、ちび草亀。お前の持っておる小さな羅盤を、ワシに見せてみよ」
『ちび草亀』なんて呼ばれて彼は真っ赤になっていたけれど、何か良いことをしてくれるのだと察して、素直に羅盤を差し出した。
案の定、仙尊は表面を指でさっと撫でてから、小亀に突き返した。
「よし、ちょっと細工をしておいたぞ。中の空間を以前よりかなり広げておいた。これからは、物を仕舞い込むだけでなく、いつでも外に飛び出させて武器として使える」
「例えば、お前が回収した赤狐の香灰じゃ。あの灰には『三味真火』という強力な妖火が含まれておるからな。その辺の雑魚妖怪なら、もうお前の敵ではない。もし自分より強い相手に出くわしても、頭を使って上手く使えば、相手の技をそのまま跳ね返してやることができるぞ」
小亀は嬉しさのあまり、何度も畳に頭をこすりつけてお礼を言った。
次に呼ばれたのは波有だった。
彼女が大きな杏の形をした瞳を見開くと、まるで夜空の星が瞬いたかのようだった。
雪のように白い首元には艶やかな黒髪が流れ、可憐な鼻の下には桜の花びらのような唇が覗いている。
息を呑むほどの絶世の美少女だった。
―――
仙尊は小さくため息をもらした。
「王女よ、もう少し近くへ。ワシの目の前まで来なさい」
波有は何をされるのか分からず、少し不思議そうに、おずおずと足を進めた。
すると仙尊は、彼女に向かって空中に手を伸ばし、何かを掴み取るような仕草をした。
パッと返すと、そこにはピカピカと眩しく輝く、四つの『海音鈴』が握られていた。
仙尊は手のひらを波有の目の前に差し出した。
四つの小さな巻貝の鈴には、人の心を奪うほどの眩い光が宿っていた。
「これは……?」
波有がよく見てみると、巻貝の尖った先端部分に、キラキラと透き通った小さな石が埋め込まれている。
光を放っているのは、その石だった。
「これは金剛石じゃ。世で最も硬い石の一種だな」
仙尊は優しく微笑んだ。
「はるか昔、ワシは光如意羅漢から『波有王女と四不像は、お互いに想い合っているようだ』という話を聞いてな。その時は、綺麗なお嬢さんなら、キラキラな宝石が好きなはずじゃ、と思った」
「光如意の手からお前に贈らせようと考えておったのじゃが……まさかその後、あんな悲しい事件が立て続けに起きるとはな」
仙尊はまたしても静かにため息をついた。
「今、この石をお前の鈴に埋め込んでおいた。これで、法宝の強度はとてつもなく頑丈になったぞ」
波有は仙尊の手から海音鈴を受け取った。
胸が熱くなるほどの喜びに包まれ、その場に綺麗にひざまずく。
仙尊は優しく手を伸ばして彼女を立ち上がらせた。
「ワシも随分と長い間、人の運命を占う(占卜)ことをしていなかった。……よし、テーブルの上に、何か好きな文字を一つ書いてみなさい」
横で見ていた和白が、心底羨ましそうな声を漏らす。
「王女様は本当に果報者ですね。師匠は、俺や藍にさえ一度も占いなんてしてくれたことがないんですよ」
藍も羨ましそうに目を丸くしている。
「師匠は占いの最高権威ですからね、滅多なことでは人の運命なんて占いません。昔は王女の師匠である光如意羅漢様だけ、今は君の番というわけだ」
仙尊はへそを曲げたように不機嫌そうな声をだした。
「ぶつぶつ喧嘩するな、お前たちは本当に口が減らんやつらじゃ! ワシの占いがどれほど有名か知っておろう、そう簡単に人に授けられるか。これは今、どうしても必要だからやっておるんじゃ」
二人の弟子は師匠が本気で呆れているのを見て、慌てて口を閉じた。
波有は、一体何の文字を書けばいいだろう、としばらく考えた。これから沙の谷へ行って蓋紅砂を借りるのだから、『沙』という文字にしよう。
彼女は指先に少し茶水をつけると、木製のテーブルの上に滑らかに文字を書いた。
仙尊はそれをじっと見つめ、満足そうに微笑んだ。
「なるほど、実によい! 水が少なくて土地が干からびておる」
「この卦象(占いの結果)が示す通り、お前たちが向かう場所は、間違いなく水が極端に不足している場所じゃ」
「だがお前は人魚の王女、属性は『水』そのもの。沙漠へ行けば、まさに土地の渇きを癒やす救いの存在となれる。どうやら、今回の沙の谷への旅は、お前が一緒でなければ成し遂げられんようじゃな」
―――
仙尊はまた竹の椅子に戻り、腰を下ろした。
「ワシはもう年老いた、遠出はできん。最初に『お前たちを助けてやることはできん』と言ったのは、決して意地悪や嘘ではないのじゃ。本当に、もう体が動かんのだよ」
すかさず和白が、みんなに向かって静かに説明を添えた。
「師匠は最近、寿命が尽きかける『天人五衰』の時期に入られているんだ。法力も以前に比べたら大幅に落ちてしまっている。今の状態で驕盧と命がけの戦いをしたとしても、勝てる見込みは決して高くはないんだ」
そういうことだったのか。
仙尊は自分たちを助けたくないわけではなく、ただ、もう心身ともに限界を迎えていたのだ。
伊貴たちの胸の内に、切ない寂しさがじわりと広がっていった。
どれほど天に届くような法力を持っていようと、何千年も長生きしようと、生きとし生けるものはいつか必ずこの世界を去る時が来る。
光如意羅漢が旅立ち、そして今は星盤仙尊の番が近づいているのだ。
「これこれ! お前たち、何をそんなお葬式みたいな顔をしておるんじゃ! このボロじじいは、まだまだ元気いっぱいじゃぞ。和白が持ってきてくれた強い酒なら、一気に丸ごと飲み干せるわい!」
仙尊は藍を呼びつけた。
「ほら狼ちゃん、早くこ奴らにお茶を飲ませなさい。時間を置きすぎると霊力が抜けて弱くなってしまうわい」
兄弟弟子たちは順番に、仙尊から贈られた百年分の霊力が詰まった雪黄花のお茶を飲み干した。
すると体中から凄まじいエネルギーが満ち溢れてくるのを感じた。
試しに少し法術を使ってみると、誰もが以前とは比べものにならないほどの威力を発揮することができた。
伊貴たちは深く感動し、再び深く一礼した。
仙尊は面倒くさそうに扇子を振った。
「やれやれ、また丸一日お前たちに振り回されて、大事なお昼寝の時間を無駄にしてしまったわい。あとは自分たちで勝手にやりなさい。ワシは疲れた」
これ以上お邪魔しては申し訳ないと、彼らは細心の注意を払いながら、よろよろと千鳥足で部屋へと戻っていく仙尊の後ろ姿を見送った。
おじいちゃんが部屋に入った後、伊貴が真っ先に口を開いた。
「神使の御二人、これからはどう動けばよろしいでしょうか? ご指示をお願いします」
和白はいつものへらへらした表情を消し、真剣な顔つきで答えた。
「君の言った、心魔が人魚島の禁術を盗み出そうという話、これが一番の生命線だ」
「実は師匠もかねてから嫌な予感がされていたようでね」
「俺がこの前、戦家の人たちを送り届けた際、島の人たちには『万が一の時は、秘籍を驕盧の手に渡すくらいなら、自分たちの手で滅ぼしてしまえ』ときつく伝えておいたんだ」
「けれど、あの人魚族の連中は頑固でね、『ご先祖様の大切な遺物を壊すなんてとんでもない』と、まるで聞き入れないんだよ」
「今さっきそのことを師匠に報告したところ、俺と藍の二人で人魚島へ向かい、彼らを助けて秘籍を死守せよ、との命が下った。もし驕盧が直々に盗みに来たとしても、秘籍自体に強力な結界がある。それに俺たちが加われば、奴の足止めくらいは十分にできるはずだ」
伊貴は深く頷いた。
「なるほど、それは心強いです。では、お二人に人魚島の方をお願いするとして、沙の谷へ行って蓋紅砂を借りてくる役目は、私たちにお任せください」
和白は、透き通った氷の結晶で作られた、美しい白い傘を取り出した。
「鷹王は、昔一度だけ師匠と面識があってね」
「『砂漠はとにかく暑くて敵わん。万年解けない氷の結晶でもあれば、持って帰りたいものだ』とこぼしていたらしいんだ」
「そこで後年、師匠の命令で俺がこの『氷晶傘』を作った。砂の谷に到着したら、傘を鷹王に見せるといい。師匠の顔に免じて、一度くらいは会ってくれるかもしれない。……ただ、本当に蓋紅砂を貸してもらえるかどうかは、君たちの運命と縁次第だけどね」




