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波有伝説~海をゆく虹色の鱗【後編:不老不死の秘薬】  作者: 唯紅蓮真美(いちべにまみ)
第二章 雪嶺の逃避行

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第59話 無光国師



 夜になると、波有はゆっくりと目を覚ました。



 枕元では、小亀が目を腫らして大泣きしている。



 すぐ隣で見ていた伊念が、とうとうしびれを切らした。


 「もう、甲ちゃん! 波有が目を覚ましたんだから、あんたも早く自分の部屋に戻りなさいよ。いつまでもここでメソメソしてるから、私たちまで全然休めないじゃない」



 小亀はカチンときて、涙目で睨み返した。


 「師姉がやっと目を覚ましたっていうのに、自分の睡眠の邪魔だなんて言うの!? 伊念師姉はなんて薄情なんだ!」



 伊念はぷいっと口を尖らせる。


 「だって、大師匠様だって大丈夫って言ってたじゃない」



 「大丈夫だったら、気絶するわけないだろ!」




 見かねた雲英が慌てて二人の間に入った。


 「こらこら、あんたたち、喧嘩はやめなさい! 波有は目が覚めたばかりなんだから、きっとお腹が空いているわ。甲ちゃん、厨房へ行って何か食べるものをもらってきておくれ」



 小亀が慌てて部屋を飛び出していくと、彼女は伊念の方を向いた。


 「彼が普段から波有をどれだけ大切にしているか、あんたも知っているでしょう? それにさっきの気絶はみんな本当に心配したんだから、そんな冷たい言い方をするもんじゃないよ」



 伊念はまだ納得いかない様子で言い返す。


 「私はただ、あいつの態度が鼻につくだけです。見てくださいよ、頭の中は、波有のことばっかり。私も彼の師姉なのに、一度だって心配する言葉なんてかけてもらったことありません」




 雲英は驚いて目を丸くした。


 「あら……念ちゃん、普段はおとなしいのに、もしかして甲ちゃんのことが好きなの? 波有にヤキモチを焼いているのかい?」



 伊念は呆れ果てて、天を仰いだ。


 「雲英姉さん、違うってば! はぁ……なるほど、今日じいちゃんが『温泉に浸かりすぎて脳みそまで湯水が入り込んだ』って言ってたけど、本当にその通りね」



 今度は雲英が真っ赤になって「あんたの脳みそこそ湯水が入ってるのよ!」と言い返す。




 二人がまだ言い争っているところへ、小亀がスープの入ったお椀を大事そうに抱えて戻ってきた。


 彼は波有の体を優しく起こすと、鶏のスープを一口ずつ、こぼさないようにゆっくりと飲ませてあげた。


 「師姉、少しは楽になった?」



 波有は小さく微笑んで頷いた。


 「うん、ありがとう。もうすっかり平気だよ」



 すると小亀は、部屋にいた三人に弾んだ声で言った。


 「そういえば、さっき和白神使が戻ってきたよ! 二師兄たちは、もう大師匠様の部屋に集まってるんだ。師姉の具合がいいなら、僕たちも行ってみよう!」



 三人はすぐに賛成した。



 波有は小亀に肩を貸してもらい、少し引きずり気味の足取りで、伊念や雲英と一緒に仙尊の部屋へと向かった。




 ―――




 部屋には全員が集まっていた。



 もともと狭くて古びたワンルームなので、これだけの人数が押し寄せるとすき間もない。


 見かねた藍が法術を使い、空間をぐるりと一回り大きく広げた。


 それでも、新しく出現した幾つの丸椅子で、すぐにすし詰め状態になった。




 みんなが席につくと、仙尊は和白に声をかけた。


 「どうじゃ? あの悪党と一拳交えてきたか?」



 和白は出発した時と変わらず、優しげで整った顔立ちに笑みを浮かべて答えた。


 「いえ、師匠の言いつけ通り、戦家の方々を人魚島までお送りした後、すぐに都へ忍び込んで情報を集めてまいりました」


 「皇宮に潜入したところ、驕盧のやつめ、仮羅師弟たちを御花園にある石塔の地下に閉じ込め、上から『琉璃如意塔』を据えて封印しておりました。私の力不足で、救い出すことは叶いませんでした」



 仙尊はボロボロの竹の扇子をパタパタと仰ぎながら、眉をひそめた。


 「光如意のところの小僧どもめ! ここへ来てからずいぶん経つというのに、挨拶一つしに来おらん。目上の者を敬わん罰じゃ、自業自得じゃな! 羅漢が旅立ってからというもの、自分たちが天下無敵だとでも思い上がっておったんじゃろう。構わん、良い薬じゃから、しばらくあそこで頭を冷やさせておけ」



 和白は苦笑いしながら「おっしゃる通りです」と話を合わせた。



 仙尊はさらに尋ねる。


 「それで、あの悪党の顔は見たんか?」



 和白は首を振った。


 「不甲斐なくも、今回は驕盧の姿を見ることはできませんでした。皇宮の内殿には非常に強力な結界が張られており、破ることができなかったのです。しかし、奴がそこに潜んでいるのは間違いありません」



 仙尊は呆れたように首を左右に振った。


 「お前という子は、人は救えんわ、悪党には勝てんわ……。一体何をしに行ってきたんじゃ?」




 和白はへらへらと悪戯っぽく笑った。


 「師匠のご指摘、ごもっともです! 確かに仮羅師弟たちは救えませんでしたが、彼の本命の法宝である『鶴羽扇』は私の羽で作ったもの。そのため、私たちは離れていても意識を通じ合わせることができるのです」


 「彼が教えてくれました。かつて光如意羅漢が亡くなられた(坐化)際、肉体は朽ちることなくそのまま残りました。弟子たちは師匠を偲ぶため、羅漢の肉体の周りに木彫りの外殻を被せ、屏風山の奥深くに奉っていたのです」


 「今、驕盧はその内殿を丸ごと皇宮の中に移築してしまいました。都の人間たちを騙すため、皇帝に自分を『国師』へと任命させ、内殿を皇帝すら立ち入り禁止の禁地と定めたそうです。自らを『無光(むこう)国師』と名乗っているとか」




 そこまで聞くと、仙尊は深く頷いた。


 「無光、無光か……。光が無いということは、すなわち闇じゃ。あの悪党め、どこまでも傲慢なやつよ! ワシの親友、羅漢は光明と正義の象徴じゃった。心魔たる奴がそんな名を名乗るとは、これからは堂々と闇の悪事を働いてやる、という宣言に他ならん!」




 和白は表情を引き締めた。


 「師匠の仰る通りです。現在、不老国の都では大規模な土木工事が行われており、北海をはじめとする各地から珍しい財宝が集められています。師匠、奴は修行の身でありながら、一体何のためにそんなことをしているのでしょうか?」



 仙尊はしばらく考え込んでから口を開いた。


 「奴はもう変わってしまったのじゃ。光如意の心魔から、ただの『独裁者』へと成り下がった。権力の蜜の味を覚え、手放せなくなったのかもしれんし、あるいは、もっと別の陰謀を企んでおるのかもしれんな」



 そして、和白をじっと見つめた。


 「あの悪党は今、光如意の肉体を手に入れておる。お前の目から見て、このワシなら奴に勝てると思うか?」



 和白は一瞬言葉に詰まり、藍と視線を交わしながら、口をもごもごさせた。


 「いえ……師匠のお手を煩わせるまでもありません。まずは私たち二人が、心魔の鼻を明かしてやろうと思っております」



 仙尊は満足そうに頷いた。


 「お前たち二人がワシに仕えてから、もう千年も二千年も経つ。法力が弱くないことは分かっておる。だがな、ワシが聞きたいのはそこではない。奴が持つ『琉璃如意塔』と『如意錫杖』を、お前たちは一体どうやって破るつもりじゃ?」




 ―――




 部屋にいる全員が、仙尊と和白の会話を息を呑んで見守っていた。



 そこへ、波有がたまらずに手をぴっと高く挙げた。


 「大師匠様、お許しください。一つだけ、発言してもよろしいでしょうか?」



 仙尊が顎を引いて促す。



 「都にいた時のことなのですが、私が『海音鈴』に合わせて歌った時、なぜか琉璃如意塔が二回も反応して、不思議な変化を起こしたんです。理由については私にも分からないのですが……」



 それを聞いた仙尊は、ポンと自分の太ももを叩いた。


 「おおっ! なんということじゃ、ワシとしたことが、そんな大事なことをすっかり忘れておったわ! 琉璃如意塔のてっぺんには、大きな宝珠がはめ込まれておるじゃろう。あれはお前の『人魚の涙』なんじゃよ」


 「昔、光如意が塔を作る際、一番大きな涙をそこに使い、残りを数珠つなぎの手輪にして人魚族へ返したんじゃ」




 藍が嬉しそうに声を上げた。


 「なるほど! 波有王女がいてくだされば、琉璃如意塔は破れますね!」



 しかし、仙尊はさらに問いかける。


 「確かにそうじゃ。だが、もう一つの如意錫杖はどうするつもりじゃ?」



 和白は眉をひそめて考え込んだ。


 「錫杖の底にある黒い穴……中には非常に強力な法陣が仕込まれており、凄まじい風と雷が荒れ狂っています。人間だろうが妖怪だろうが、一度中に落ちれば一瞬で肉片に変えられてしまう。確かに、極めて厄介な法宝です」




 仙尊は意味深な笑みを浮かべた。


 「鶴ちゃんよ、一つヒントをくれてやろう」


 「この世に存在する三大能のうち、南方の解脱院にいた光如意はもうおらん。そして北方の通天山にいるこのワシも、ご覧の通り天人五衰(寿命が尽きかけること)を迎え、今日明日をなんとなく生き延びておるだけじゃ」


 悪戯っぽく目を細めた。


 「西方にある『砂の谷』の話を、ワシが前にしたのを覚えておるか?」



 和白はハッと目を見開いた。


 「分かりました! 西方の砂の谷に住む鷹王(たかおう)は、世界のあらゆるものを飲み込む『蓋紅砂(がいこうさ)』という秘宝を持っています。もしあれを借りてくることができれば、如意錫杖の力を打ち破れるはずです!」




 仙尊は「ハハハ!」と大笑いした。


 「物分かりが良いな、さすがワシの弟子じゃ」




 それを聞いて、伊貴たちもようやく目の前がパッと開けたような気持ちになった。



 すると仙尊は、またボロボロの竹の扇子をパタパタと仰ぎ始め、あからさまに「お開き」のオーラを出し始めた。


 「それにしても鶴ちゃん、お前、こんな夜更けに戻ってきて、これだけの人だかりをワシの部屋に溜め込むことはなかろうて。ほら、もう解散じゃ、解散! 狼ちゃん、こやつに何か食い物を作ってやれ。腹が減ったままでは寝つきが悪いでな」



 波有たちは、今や仙尊への尽きない敬意を胸に、全員で揃って深くお辞儀をし、静かに部屋を後にするのだった。

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