第57話 男四人の決意
藍と雲英がせっせとテーブルを拭いたり食器を洗ったりしているのを見て、波有たちは申し訳なさそうにソワソワし始めた。
見かねた伊貴が歩み寄り、声をかける。
「藍神使、何か手伝うことはありませんか? ほら、僕たち若手はみんな体力が有り余っていますし、手も空いていますから。何でも遠慮なく言ってください! 昔は師父と一緒に旅回りをしていましたから、大抵の仕事なら経験済みです!」
藍は遠慮することなく、にっこり笑った。
「それは助かるな! じゃあ二手に分かれて、片方は豚小屋、もう片方は鶏小屋の掃除をお願いできるかい? 排泄物はすべて菜園の横にある大きな樽に集めておいてほしい。後で堆肥にするからね」
甘やかされて育った後四は別として、他のメンバーは小さい頃から苦労を重ねてきた子供たちだ。
多少汚い仕事だろうと、へっちゃらだった。
全員で一斉に手を動かすと、誰もが気持ちいい汗を流した。藍は嬉しそうに声を弾ませる。
「やっぱり人数が多いと違うね。いつもなら結構な時間がかかるのに、これっぽっちの時間できれいになっちゃったよ」
伊念は、雪狼の化身である藍の顔立ちが整っているからか、それとも性格が穏やかだからか、すっかり彼と話すのが気に入ったようだった。
不思議そうに首を傾げて尋ねる。
「神使様、どうして法術を使わないんですか? その方がずっと早くて楽なのに」
すると、藍は少しうつむき、声を潜めて教えてくれた。
「師匠がダメだって言うんだよ」
(あのボロじじい、どんだけ横暴なんだよ……)
みんなは心の中で、気の毒な狼に深い同情を寄せるのだった。
―――
体を動かした後の温泉は、格別に気持ちがよかった。
伊貴が結界の向こうの女湯に向かって、少し声を張り上げた。
「和白神使が戻ってきたら、星盤仙尊が助けてくれようがくれまいが、俺たちはここを出発して師父たちを救いに行こうと思う。そう考えているんだけど、みんなはどうかな?」
女湯の方から、三人の女の子たちの声が揃って返ってきた。
「二師兄に従います」
小亀が少し心配そうに口を開く。
「でも、雲英姉さんや師姉は女の子だし、ここに残った方が安全だよ」
伊貴は少し考えて頷いた。
「確かに。前にも話した通り、もし今の都の支配者(光驕盧)が、昔話に出てきた『心魔』なんだとしたら、一番危険なのは波有だ。絶対に連れていくわけにはいかない」
波有が結界越しに尋ねる。
「私たちが留守番をするとして、二師兄に何か具体的な作戦はあるの?」
伊貴は黙り込んでしまった。しばらくの沈黙の後、ぽつり、と力のない声が響く。
「……まだ、何も思いつかない。もしかしたら、俺たちの力じゃどうしようもないのかもしれないな」
後四ががっくりと肩を落とした。
「どうなろうと、男四人で行くしかないさ」
伊蘭も暗い表情で苦笑いをもらす。
「そうだな……俺たち四人だけで行くか」
そこから、また全員が黙り込んでしまった。
もともと、みんなは星盤仙尊に一縷の望みを託していたのだ。
光如意羅漢の生涯の親友というのだから、きっと強くて優しくて、正義感に溢れたすごい力を持つ仙人に違いない、悪を憎んで一緒に師父たちを助けてくれるはずだ――そう信じ込んでいた。
なのに、実際の仙尊は想像とはまるで違っていた。
自分のことしか考えていないように見えるし、波有たちがここへ来てからも、今までの経緯や捕まった光仮羅たちの状況について、何一つ聞いてこようとしない。
それどころか、「この件には関わらない」ときっぱり言い切ってしまった。
なんて冷情で自分勝手なおじいちゃんだろう。
せっかく羅漢様の親友で、それほど高い法力を持っているというのに、手を貸そうともしないなんて。
これではまるで、若い自分たちに「卵で岩にぶつかれ」と言っているようなものだ。
期待が大きかった分だけ落胆も激しく、次第にみんなの心には、モヤモヤとした憤りが込み上げていた。
―――
伊蘭は悔しさのあまり、頭を湯船にすっぽりと沈めた。ぷくぷくと虚しい気泡が浮かび、次の瞬間、ザパーッと激しく水面から顔を出して荒い息を吐く。
「あー、イライラする! 今すぐここを出ていきたい気分だよ!」
勢いよく顔を上げたものの、すぐ目の前に、綺麗なアイスブルーの瞳と爽やかな笑顔があることに気づいて、伊蘭は息を呑んだ。
いつの間にか湯船のすぐそばに来ていた藍が、優しい声で話しかけてきた。
「みんなが師匠に文句を言いたくなる気持ちはよく分かるよ。でもね、僕から一つだけ言葉を贈らせてほしい。――そう焦らずに落ち着いて、ってことさ。うちの師匠は一見冷たくて薄情に見えるけど、本当はすごく情に厚い人なんだ」
「考えてもごらんよ。もし彼が君たちの言うような冷酷な人なら、わざわざ僕と和白師兄に、丸子族の村まで迎えに行かせる必要なんてないだろう?」
「本当に冷たい人なら、それこそ知らんぷりを決め込んでいるさ」
「もしそうなっていたら、君たちの実力じゃあ、あと百年経っても通天山の山頂には辿り着けなかったはずだよ。ここに来ることさえできなかった。それにね、万が一自力で山頂まで来られたとしても、師匠がちょっと結界を張るだけで、お屋敷なんて形も匂いも完全に隠されてしまう。絶対に見つけられなかったんだよ」
その筋の通った言葉に、誰も言い返せなくなってしまった。
波有が納得したように頷く。
「藍神使の言う通りだね。私たちは自分の都合ばかり考えちゃダメだわ。それに、もし光驕盧が本当に心魔なんだとしたら、彼の法力はもともと光如意羅漢様のものだったってことでしょう? 星盤仙尊だって、絶対に勝てるっていう保証はないのかもしれないし……」
小亀も言葉を引き継いだ。
「師姉の言う通りだよ! だからこそ、あの男は羅漢様の法宝を使いこなせるんだ。彼の心魔なんだから、法力がとてつもなく高いのは当たり前さ。伯父たちが敵わなかったのも無理はないよ」
そんな恐ろしい相手なら、師伯たちですら惨敗したのだ。自分たちのような若輩者が向かったところで、近づく前に命を落とすのがオチだろう。
一体どうやって戦えばいいというのか。
みんなの顔にどんよりとした曇り空が広がる。
とはいえ、ずっとこの場所に引きこもっているわけにもいかない。
―――
タッタッタッ、と、お馴染みの足音が近づいてきた。
あのハスキーな、しゃがれ声が響き渡る。
「お前たち、まだ浸かっておるんか? 知らん人間が見たら、塩漬けの卵を作っとるのかと思うわい」
藍が慌てて笑顔を作った。
「師匠、目が覚めましたか」
仙尊は藍をじろりと睨みつけた。
「お前が作った麺、ちょっと塩辛すぎたんじゃ。喉が渇いて目が覚めたから、お茶でも飲もうと探したんじゃが、誰もおりゃせん。……と思ったら、全員で塩漬け卵になりにきとったわけじゃな」
それを聞くや否や、藍は「大変だ!」とばかりに脱衣所へと駆け出した。
走りながら、彼らに向かって振り返る。
「みんなも早く上がりなよ! 美味しいお茶を淹れてあげるからね。すっごく香りがいいんだ!」
部屋に戻ると、一人一人の前に琥珀色の美しい紅茶が配られた。上品な香りがふわっと鼻をくすぐり、口に含むとまろやかな甘みが広がる。
藍は木製のコップを手に、ニコニコしながらお茶をすすった。
「どう? この花は通天山の特産でね、『雪黄花』って言うんだ。年に一度しか咲かない上に、もの凄い絶壁のところにしか生えないんだけど、師匠の大好物だから、僕と師兄でたくさん摘んで貯蔵してあるんだよ」
すると、仙尊がフンと鼻で笑った。
「そんなことをこ奴らに説明してどうする? 違いの分かるようなタマじゃなかろうて! どうせ温泉に浸かりすぎて脳みそまで湯水が入り込み、ワシへの愚痴で頭がいっぱいになっとる頃じゃろうてな」




