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波有伝説~海をゆく虹色の鱗【前編:人魚涙のブレスレット】  作者: 唯紅蓮真美(いちべにまみ)
第二章 雪嶺の逃避行

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第55話 ブサメンとボロじじいの物語・続き



 星盤仙尊が「お腹が空いた」と言って行ってしまったので、藍も慌てて後を追いかけた。


 残された彼らは仕方がなく、温泉から上がって服を着ることにした。




 お屋敷では、雲英が藍の手伝いをしてご飯を作り始め、伊蘭たちは波有を囲んで、捕まった師父や伯父をどうやって救い出すか話し合っていた。



 一番に口を開いたのは伊念だった。


 「師妹が光如意羅漢様の一番弟子だったなら、昔のすごい法力を取り戻せたらいいのにね」



 後四がしみじみと呟く。


 「まさか波有ちゃんが、母ちゃんの師姉だったなんてなぁ。じゃあ、これからは君のことを『おばさん』って呼ばなきゃいけないのかな」



 伊貴が手を叩いて爆笑した。


 「大師匠様が言っていた通りだよ! 確かに世代の話はややこしすぎる。やっぱり今まで通り名前で呼ぶのが、絶対に間違えなくて一番いいって!」



 小亀はというと、全く別のことを考えていた。


 「……師姉、やっぱり前世の姿には戻らない方がいいよ。世の中の男が僕の恋敵になりそうで怖いもん」



 すかさず波有が小亀の額を小突いた。


 「あんたは何をボケたこと考えてるの! 師父たちがいまも助けを待ってるんだよ!」



 伊蘭が困り顔でため息をつく。


 「でもさ、大師匠様は『助けてやらん』って言ってたじゃないか。これからどうすればいいんだろう?」



 伊貴がなだめるように言った。


 「そう焦らないで。大師匠、口は悪いけど本当は優しい人だと思うんだ。じゃなきゃ、どうしてわざわざ羅漢様の過去話を聞かせるのさ? きっと最後には力を貸してくれるよ」



 伊蘭の顔には「本当かよ」と疑いが丸出しだった。


 「あのおじいさんがのんびりでも、俺たちは一刻を争うんだ。今日一話、明日一話なんてペースで昔話をされたら、師父たちを救いに行くのがいつになるか分からないよ」



 伊貴は少し考えてから言った。


 「確かに師兄の心配ももっともだね。よし、あと二、三日待ってみよう。和白神使が戻ってきても大師匠が首を縦に振らないようなら、和白神使と藍神使の二人に、直接お願いできないか頼んでみよう」




 それから、声を潜めてかれらの顔を見回した。


 「……ねえ、どう思う? 今、都を牛耳っているあの男って、やっぱり大師匠が話していた『心魔しんま』なのかな?」



 その問いは、場にいる全員の胸にズシリと突き刺さった。




 ―――




 小亀が心配そうに波有を見つめる。


 「もし本当に心魔なら、師姉が人魚王女の生まれ変わりだってことにまだ気づいていないから、僕たちに手を出してこないのかも」



 伊貴がしばらく考え込んでから呟いた。


 「今はまだ疑っている段階なのかもしれない。だけど、もし正体がバレたら、波有はもの凄く危険なことになるぞ」



 小亀が慌てて身を乗り出した。


 「そうだよ、その通りだよ! 師姉、やっぱり一緒に都へ戻るの、やめようよ! 通天山に残った方がいい。ここなら大師匠様がいるから安全だし。僕たちが師父たちを救い出したら、すぐにここまで迎えに来るからさ!」



 波有はあからさまに不満そうな顔をした。


 「でもさ、もし私が昔の力を取り戻せたら、心魔ってやつと対等に戦えるんじゃないの?」



 「誰が前世の力を取り戻せるなんて言ったかのう?」


 突如として、仙尊の声がすぐ耳元で響いた。




 びくりとするみんなの前で、仙尊は話を続ける。


 「お前が前世、人魚の王女として光如意の門下にいた頃はな、すでに五百年もの修行を積んでおった。その後、解脱院でさらに五、六百年は修行したんじゃ。」


 「それに比べて今の姿はどうじゃ? たとえ海音鈴を使えたとしても、昔のような法力は逆立ちしても出せん。前世の力を完全に取り戻したければ、最低でもあと七、八百年は修行し直さねば無理じゃな!」



 容赦ない正論に、波有はぐうの音も出なくなってしまった。




 仙尊はケロッと表情を変え、彼らに手招きをした。


 「さあさあ、鶏鍋が美味しく煮えたぞ! ワシの可愛い狼ちゃんの料理の腕前を、みんなで味わうが良い!」



 簡素な木目のテーブルの上には、湯気を立てて食欲をそそる香りを漂わせる、キノコと鶏肉の大きな鍋が二つ、どんと置かれていた。




 ―――




 星盤仙尊は本当に気取らないおじいちゃんだった。


 自分が大師匠という偉い立場であることなんてこれっぽっちも気にしておらず、若者たちの中にどっかりと混ざって座ると、みんなが箸をつけるのも待たずに、真っ先に一番大きな鶏の骨付き肉を自分の椀へとキープした。



 和白が持ってきてくれた革のボトルはまだもう一本残っていたようで、仙尊はまず酒をグビッと一口煽り、鶏肉をガブリと囓った。


 口をもぐもぐさせながら、ふがふがと言った。


 「先んずれば人を制す、じゃ! モタモタしとったら、美味いところは全部ワシが食うてしまうぞ! ほれ、遠慮せんと早く食え、早く食え!」




 みんなが呆気にとられて固まっているのを見て、藍が苦笑しながら声をかけた。


 「師匠の言う通りですよ、遠慮しないで。一日中歩き回って、そのあと温泉に浸かったんだから、お腹がペコペコでしょう。さあ、食べてください」



 とはいえ、大先輩が目の前にいるのだ。


 みんなは行儀よく、お上品に少しずつ鶏肉を口に運び、スープをすすった。




 それにしても、一体どんなキノコを使って煮込んだのだろう。肉厚で信じられないほど濃厚な旨味があり、鶏のダシが出たスープは五臓六腑にしみわたる美味しさだった。


 一口飲むたびにお腹の芯からポカポカと温かくなり、全身に力がみなぎってくるのがはっきりと分かった。




 雲英が彼たちの幸せそうな顔を見て、嬉しそうに微笑んだ。


 「美味しいでしょ! さっき藍神使と一緒に、お屋敷の裏の斜面に行って、生えていたキノコをたくさん採ってきて鍋に入れたの。神使様の話だと、ここのキノコは美味しいだけじゃなくて、体にもの凄く良い栄養が詰まっているんですって」




 ―――




 大の鶏肉好きな波有は、南海にいた頃の楽しかった出来事を思い出していた。


 「胡の伯父もここにいれば良かったのになぁ。ここの鶏鍋、南海で食べたやつよりも美味しいもん。彼なら、絶対に大喜びでペロリと平らげちゃうよ」



 すると、仙尊が波有の顔をじっと見つめ、深くため息をついた。


 「王女のお優しすぎる性格、本当に昔からちっとも変わっておらんなぁ。見なさい、そうやって周りの男全員に分け隔てなく優しくするから、とんでもない誤解を生むのじゃ」



 「ところで、お前たち、腹はいっぱいになったか?」


 仙尊が尋ねた。



 「はい、お腹いっぱいです!」


 みんなの元気な声が響く。



 「よし、じゃあ……昔話の続き、まだ聞きたいか?」



 「聞きたいです!」


 今度も全員の声がピタリと揃った。



 「よろしい! ええと、ワシはさっきどこまで話したかのう? ――狼ちゃんよ」




 波有たちがここへ来て以来、仙尊に事あるごとに名前を呼ばれるものだから、藍はそのたびに顔を真っ赤にして縮こまっていた。


 彼はうつむき加減に、消え入るような小声で答えた。


 「……師匠、光如意羅漢に心魔が生まれてしまい、その対策を相談しに、師匠のところへやってきた、というところまでお話しされました」




 仙尊は「おう、そうじゃった」と声をあげた。


 「あのブサメン和尚がワシのところへ、いや、ボロじじいのもとへ相談にやってきたのはな、別にボロじじいの法術が優れていたからではないのじゃ。和尚は元来、他人に心を開かん冷徹な性格じゃったから、他に頼れる友達がおらんかっただけのこと。」


 「……ふむ、あとは、今後の運命を占ってほしかったのじゃな」



 「そこでボロじじいは、和尚のために(けい)を立ててやり、一つの言葉を贈った。――『誠敬之心(せいけいのしん)』じゃ。世のあらゆる万物に対して、偽りのない誠実な心と、敬う心を持って向き合いなさい、とな。」


 「執着を捨て、与えることを知れば、すべての苦しみから解き放たれる。そうすれば過去の罪も消え去り、心魔などという恐ろしい存在も、最初から消えてなくなるはずじゃった」




 ―――




 仙尊の深遠な教えを耳にして、藍は深く感動し、思わず場にひざまずいて何度も頭を垂れた。




 しかし、仙尊はボロボロの竹の扇子をパタパタと仰ぎながら言った。


 「これ、邪魔をするでない。ワシは今、いいところで物語をしておるのじゃぞ」



 「ボロじじいのアドバイスを受けた和尚は、自分の庵へと戻り、二人の弟子を呼び出した。――美しい人魚の王女と、若く英俊な四不像の少年じゃ」


 「こう告げた。『お前たちは誰もが羨むお似合いのであり、年齢もぴったりじゃ。さあ、夫婦になりなさい』とな」


 「和尚はな、二人を結婚させてさっさと目の届かない場所へ追いやってしまえば、眼が汚れずに済み、心の病も少しずつ治るのではないかと考えたのじゃ」




 「ところがじゃ! 驚いたことに、それを聞いた人魚の王女は、きっぱりと言い放ったのじゃ。『師兄のことを男として好きになったことは一度もありません。ずっと、師兄も師匠のことも、本当の家族のようにしか思っていません』とな。……これには和尚も四不像も、完全に呆気にとられてしまった。」


 「散々ドロドロと悩んでおったが、蓋を開けてみれば、なんのことはない。ただの男二人の『壮大な勘違い』じゃったわけな!」




 全員が「ええーっ!?」と身を乗り出し、物語の続きに最高にワクワクしてきた、まさにその瞬間。


 仙尊はピタッと口を閉ざしてしまった。




 彼は大きなお口を開けて、ふわぁーあ、と盛大にあくびを一つ噛み殺した。


 「あーあー、話は長くなるから、今日はもうこれでおしまいじゃ。ワシは眠くなった、寝る! 寝る!」


 言い終わるや否や、またしても体をゆらゆらと揺らしながら、のそのそと奥の部屋へ戻っていってしまった。



 仙尊のあまりにもマイペースな振る舞いに、ようやく慣れてきたようで、「ああ、また始まった」と苦笑いしながら見送るのだった。



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