第52話 語られた因縁
話が弾まないのを察した波有は、そっと体の向きを変えて小亀に話しかけた。
「ねえ師弟、今日は疲れちゃった?」
小亀は、彼女がもう藍の方を向かずに自分に話しかけてくれたのを見て、一瞬にして心の曇り空がパァッと晴れ渡った。
「ううん、僕は全然疲れてないよ! 師姉こそ疲れてない? よければ、あっちのベッドで少し横になって休んだら?」
彼の頭の中には、ただ一つの作戦しかなかった。
(あのイケメン神使は二度と師姉と喋らせないぞ! 彼女があっちで寝ちゃえば、他の誰とも話さなくて済むもんね!)
「疲れてないの? なんだか頭がクラクラするから、お言葉に甘えてちょっと横になろうかな」
ちょうどその時、雲英も「私もなんだか頭がふわふわする」と言い出したため、首領の美人な娘・努爾が、彼女たちを連れて後ろのベッドへと案内してくれた。
歩きながら、努爾が優しく声をかける。
「うちのお酒はすごく強いのよ。あなたたちみたいな可愛い体だと、一口飲んだだけでもクラクラしちゃうわ。でも心配いらないわよ、一晩寝ればスッキリ治るから。」
「お父ちゃんから聞いたけれど、ずっと過酷な海を旅してきたんでしょう? このお酒は強いけれど、体にもの凄く良い成分が入っているから、旅の疲れを癒やすのにはぴったりなのよ」
―――
一方、宴席の方では、藍が和白に話しかけていた。
「王女たち、本当に疲れが溜まっているようです。仕方ありませんね、今日のところはゆっくり休ませて、明日、みんなが目を覚ましてから通天山へ戻ることにしましょう」
和白も「そうですね」と、静かに頷くのだった。
女の子たちが部屋の奥へ引っ込むと、男たちの制約は完全になくなった。
彼らはここぞとばかりに、大ぶりの肉を貪り、酒をあおって、おお盛り上がりで楽しんでいた。
藍はすでに首領の阿達と隣同士に座り、兄弟二人で昔を懐かしみながら、ぐびぐびと酒を喉に流し込んでいる。
娘の努爾は、彼らの杯に甲斐甲斐しくお酒を注ぎながら、やっぱりチラチラと格好いい藍の姿を盗み見ていた。
そんな中、和白は楽しそうに飲みながら、トコトコと小亀の隣へ移動してきた。
「なぁんか、お前のこと、どこかで見たことがあると思ってたんだよ。そうか、仮羅の体に一枚だけあった、亀の甲羅なんだな」
小亀はビクッとして、警戒の眼差しを和白に向けた。
今の彼は、周りの男が全員ライバルに見えてしまうほど疑心暗鬼になっているのだ。
「……神使様、何か用?」
「お前の主人は元気にやってるか? 四不像の驕盧の野郎に、まさか殺されちゃいないだろうな?」
その口ぶりからして、この神使は主人とかなり親しい間柄のようだし、最近起きた色々な事件についても全て知っているみたいだった。
「うん。主人は今、驕盧によって都に閉じ込められているけれど、僕には主人の気配がちゃんと伝わってくるから大丈夫」
「そいつは良かった! お前が仮羅の分身なら、彼の宝物『鶴羽扇』のことは知っているだろ? あれはな、俺があいつにプレゼントしたもんなんだ。俺の体から抜いた羽で作ったんだぞ」
それを聞いた瞬間、小亀の顔にもの凄い尊敬の念が浮かび上がった。
彼は懐から、真っ白で細長い一本の羽を、まるで宝物を扱うように、おずおずと両手で捧げ持った。
「これ、主人が僕にお守りとしてくれたんだ。僕たちはこの羽の力があったから、秀麗山から北海まで逃げてこられたんだよ」
「へえ、マジで?」
和白はかなり酔いが回ってきたようで、へらへらと笑い声をあげた。
「この羽、思ったよりやるじゃん!」
彼はいたずらっぽく眉を上げて、さらに問いかけた。
「お前は仮羅の分身で、俺の分身(羽)を持っている。なぁ、将来、この羽もお前みたいに意思を持って、人間の形に化けたりすると思うか?」
小亀は手の中の羽をじっと見つめた。
「わあ! 僕みたいになるの?」
和白は瞳をキラリと輝かせた。
「もし女の子に化けたら、お前の嫁さんにしてやるよ。どうだ?」
その言葉は、今の小亀にとって完全に地雷だった。
一瞬で顔色を変えて手を振った。
「ダメ! 絶対ダメ! このままがいい!」
―――
和白は最初からからかって遊んでいただけなので、ワハハと大爆笑した。
「人魚の王女様は、生まれ変わってきても、やっぱり男たちを狂わせちまうんだなぁ。まったく、大したお人だよ!」
小亀は不思議に思って尋ねた。
「神使様たちは、昔から師姉のことを知っていたの?」
和白は視線をテントの天井へと泳がせ、ぽつりと呟いた。
「そうさ。昔、お前の師姉――波有王女が人魚島からやってきて、光如意羅漢の門下に弟子入りしたんだ。七色の鮫紗を身にまとってな、手首や足首にホロホロ貝の鈴をつけて歩くんだよ。シャンシャンって、それがもう良い音でさぁ。あの頃の容姿は本当に全盛期で、今の姿よりも何倍も美しかったんだぞ」
小亀は完全に聞き惚れて、呆然としてしまった。
師姉が羅漢さまの弟子だったなんて。
ということは、自分の主人にとっても「師姉」にあたるわけだ。
本当に信じられない話だった。
「和白神使、師姉が本当に羅漢さまの弟子だったなら、どうして僕の主人や、後霊伯母、胡の伯父はそのことを知らないの?」
和白はかなりお酒が回っているようで、楽しかった昔の思い出に浸っていた。そこを突然遮られたものだから、少し不機嫌そうに顔をしかめた。
「ちび亀の甲羅め、ちょっと待て、俺の話を最後まで聞け!」
「当時はな、光如意羅漢だけじゃない、四不像の驕盧も藍も、もちろんこの俺も、師匠(星盤仙尊)だって、みんな彼女の美しさにド肝を抜かれたんだ。男なら、彼女に骨抜きにされないやつなんて一人もいなかったんだよ」
小亀の心の中に、津波のような衝撃が押し寄せた。
師姉の美しさは、それほどまでに絶対的なものだったのだ。
彼は恐る恐る、続きを尋ねた。
「……それで、その後はどうなったの? 僕の主人は? 当時はまだ羅漢さまの弟子じゃなかったの?」
和白の意識はすでにウトウトと混濁し始めており、生返事で気だるそうに答えた。
「仮羅の話かぁ? 人魚王女が入門したときは、まだあいつはいなかったよ。後から光如意が解脱院に拾ってきたんだ。でも、その頃の彼はまだ人間の姿になれなくてさ、ただの不細工なクサガメだったんだ。毎日、食って寝るだけのな……。」
「いやぁ、思い返せばあれも因縁だな。当時、もしも王女があいつを可愛がって守ってやらなきゃ、お前の主人は今頃、占いの道具(焼き甲羅)にされて消えちまってたさ。そしたら、今のオマエも存在しなかったわけだ。」
小亀は背筋が凍りつくような衝撃を受けた。
「お願い、神使様、もっと詳しく教えて……!」
震える声で頼んだけれど、和白はすでに頭をコテッと横に倒し、机の上に突っ伏して爆睡してしまっていた。
結局のところ、小亀一人が頭の中に大量の疑問符を抱えて不眠症になるハメになり、それ以外のメンバーは全員、床に雑魚寝で泥のように眠りこけるのだった。
―――
翌日の朝食後、波有たちは身の回りを簡単に整えて、すぐに出発することになった。
集落の入り口では、首領の阿達が泣きそうな顔で、兄ちゃんや波有たちとの別れを惜しんでいた。
娘の努爾も、藍伯父を名残惜しそうにじっと見つめている。
和白は小亀をちょっと物陰に引っ張っていくと、キョロキョロと辺りを気にしながら、もの凄く焦った様子で囁いてきた。
「おい、俺、昨日の夜、酔っ払った勢いで何かお前に話したような気がするんだよ。頼むから、あれは全部デタラメだと思って、絶対に誰にも言わないでくれよ、な? !」
「師匠からはいつも『酒は飲んでも飲まれるな』ってきつく言われてるんだ。もし昨日の失態がバレたら、俺の自慢の羽を全部むしり取られちまう!」
怯える姿がなんだか面白くて、小亀もクスッと笑って答えた。
「安心してください。僕、口はもの凄く堅いんだ。たとえ昨日の夜、聞いちゃいけないような秘密をいくつか耳にしていたとしても、絶対に他の人には言わないからさ」
和白はようやくホッと胸をなでおろし、頭をかきながら言った。
「よかった、本当に助かったよ!」
二人の神使が、ここで本来の姿へと変身した。
現れたのは、とてつもなく巨大な一羽の白鶴。
そして、同じくもの凄く巨大な一匹の雪狼だった。
雪狼は誇らしげにツンと頭を上げると、高傲に言い放った。
「僕の背中には、王女様と人魚一族(戦家)の者しか乗せない。それ以外の奴らは、師兄の背中に乗りな」
それを聞いた小亀は、心の中で冷たい笑いを浮かべた。
(なるほど、人間たちがよく言う『おおかみ男』ってのは、こいつみたいな大スケベ狼のことを言うんだな。僕だって本来の姿に戻れば、師姉を乗せて走れるのに!)
けれど、目の前にそびえ立つ、雲を突き抜けるような険しい氷の峰を見上げると――。
小亀は、ちょっと気おされてしまった。
(……まあいいや。ここは一つ、大人の対応ってやつをしておこう。一応、あっちの方が年上だしね。今回は主役の座を譲ってあげることにしようっと)




