第51話 通天山からの神使
今の波有は、どこへ行っても注目の的、まさに超人気者だった。
金魚のフンみたいについてくる小亀だけでなく、戦家の一家も、四六時中彼女の周りを取り囲んでいる。
特に、戦大と戦小のちびっこ緑人コンビがすごかった。
二人に右から「波有王女様!」、左から「王女お姉様!」と連呼され、波有は恥ずかしくてたまらなかった。
おまけに、丸子人の集落の人たちからも「なんだなんだ?」とジロジロ見られてしまう。
さすがに耐えかねた波有は、戦家兄弟に真面目な顔でお願いすることにした。
「他の人と同じように『波有』って呼んでくれない? 今は人魚島にいるわけじゃないし、みんな人間の姿をしているんだから。そう呼ばれると、すごく目立っちゃって恥ずかしいの」
すると、父親の勇が深く腰を折って一礼した。
「王女様のお言葉は絶対です! これからは、王女様のことを『波有様』とお呼びいたしましょう」
息子二人に鋭い視線を向ける。
「お前ら、わかったな?」
戦大は嬉しそうにぴょんぴょん跳ね回った。
「はーい! 波有姉ちゃん! こっちの名前の方が可愛くて好き!」
そんなやり取りをして賑わっていると、テントの幕がバッと開き、背の高い一人の男が中に入ってきた。
それを見た首領の阿達は、パッと顔を輝かせて嬉しそうに出迎えた。
「これは珍しい貴客のお越しだ! 通天山の和白神使、我が丸子族へようこそおいでくださいました!」
白い長衣をまとった男は、両手を合わせて丁寧に一礼した。
「星盤仙尊が、人魚の王女様一行がここへ到着したことをお知りになりましてね。我々を遣わし、王女様たちを通天山までお迎えに上がったのです」
言い終わるか終わらないかのうちに、もう一人の男がテントに入ってきた。
こちらは灰色の長衣を身にまとっている。すらりと背が高く、完璧に整った美しい顔には、切れ長の澄んだ瞳がはめ込まれていた。
優しげに見えるの瞳の奥には、どこか妖しげな緑色の光がゆらめいている。
「阿達、久しぶりだな」
男は首領を見つめ、ニッコリと微笑んだ。
―――
すると、さっきまであんなにガタイが良くて威厳たっぷりだった首領が、なぜかモジモジと体をくねらせたかと思うと、いきなり男にがばっと飛びついたのだ。
「兄ちゃんーーーっ!!」
叫び声は、今にも泣き出しそうなほど感極まっていた。
あまりの光景に、周囲はシーンと静まり返った。
なるほど、集落と通天山がどうしてこんなに仲が良いのか、ようやく合点がいった。
集落のお兄さまが、通天山で神使を務めていたのだ。
とはいえ、首領もすぐに我に返った。
みんなの視線が一斉に自分に突き刺さっている。これでも一族を率いる長なのだ。
「兄ちゃん、ここ数年は元気にしてたのか? 用事でもなきゃ、俺たちに会いに帰ってきてくれないもんなぁ……」
普段は凶暴そうに見える首領が、お兄ちゃん子で子供っぽい顔を見せるなんて、誰も想像していなかった。
首領の奥さんは、阿秀という名前の、美人だけどものすごく気が強い、いわゆる最強の姉御肌だった。
夫の情けないクマちゃんみたいな姿を見て、今すぐにでも頭にパコンと一発食らわせてやりたい気分だった。
「ちょっと阿達! せっかく和白神使と藍神使が部族に遊びに来てくれたんだから、早く上座へご案内しなさいよ!」
彼女はすぐさま娘にもテキパキと指示を出す。
「努爾、突っ立ってないで、早く上等なお酒とご馳走を持ってきな!」
娘の努爾は、母親の阿秀にそっくりで、誰もが振り返るような美少女だった。引き締まった細い腰に、すらりと伸びた長い足が健康的だ。
彼女はさっきから、顔をりんごのように真っ赤に上気させていた。
というのも、美しい瞳が、藍神使の姿から一秒たりとも離れないのだ。
初めて会う伯父さんだったけれど、まさかこれほど若くて、イケメンだなんて思ってもみなかった。集落にいる同世代の男の子なんて、足元にも及ばない。
阿達は二人の神使を一番良い上座の席へ案内し、波有たちを紹介した。
全員は一人ずつ立ち上がり、ペコペコと頭を下げて挨拶を交わす。
その時、突如としてテントの外のあらゆる方向から、狼の遠吠えが響き渡った。
――オオォォーーーゥ、オオォォーーーゥ。
それはどこか、耳を突き刺すように切なく、哀愁を帯びた声だった。
本物の狼の遠吠えを聴いた伊蘭たちは、あまりの不気味さにビクッと体を震わせた。
特に雲英たち女の子は、恐怖のあまり腰を抜かして場にペタンとしりもちをついてしまい、小さな顔を真っ白にさせている。
丸子人の集落では、数え切れないほどの雪狼が飼われていた。
どの家のテントにも数匹ずつ暮らしており、ここでは狼は家畜ではなく、大切な家族であり友人なのだ。
ここへ入る前、伊念がみんなにこっそり教えてくれていた。この部族には人間族だけでなく狼族も混ざっており、首領の阿達の正体も、実はもの凄く大きな雪狼なのだ、と。
―――
「怖がらなくて大丈夫ですよ。彼らは歓迎の挨拶をしているだけですから」
藍が、波有に向かって優しく声をかけた。
それから弟に向き直る。
「阿達、師匠(星盤仙尊)が上でお待ちだ。食事をいただいた後、すぐに王女様たちを連れて帰らねばならない。見送りには及ばないぞ」
言い終えると、藍は波有の隣に座っていた小亀の席の前へと歩み寄った。
「少年、ちょっと席を替わってくれないか? 王女とはずいぶん久しぶりだから、少しお話をしたいんだ」
(なんだ!このものすごいイケメンは! 前にいた後一よりも、何倍も危険な香りがするぞ……!)
小亀は心の中で激しい嫉妬の炎を燃やし、ムカムカが止まらなかった。
(久しぶりって、一体いつの話だよ!? 師姉が人魚の美しい姿に戻った途端、どいつもこいつもハエみたいに群がりやがって……!)
波有の反対側に座っていた伊蘭が、小亀の様子を見てニヤニヤとからかった。
「おいおい、甲ちゃん、落ち着きなよ」
彼は立ち上がると、藍に向かって微笑んだ。
「藍神使、子供の言うことですから気にしないでください。どうぞこちらへ。俺が席を替わりますよ」
藍はフッと口元を緩めると、伊蘭と席を替わって波有のすぐ隣に腰掛けた。
「王女様、お美しさは昔のままですね。相変わらず、どこへ行っても男たちがメロメロになって付き従うようだ」
波有は何も分からず、ぱちくりと大きな杏のような目を丸くした。
「……あなたも私のことを知っているの? どうして最近、こういう人ばかりに会うんだろう。私、昔そんなに有名人だったの?」
藍は、目の前にある俗世離れした清らかな小顔をじっと見つめた。
「王女様は、まだ昔のことを思い出せないのですね? まあ、無理もありません。あの時から、とうに千年以上もの歳月が流れてしまったのですから」
波有はガクンと固まった。
「せ、千年前……? 私が人魚の王女だったってこと? じゃあ、私、伯父たちの師匠――光如意羅漢様にも会ったことがあるの?」
藍は小さくため息をついた。
「会ったことがあるどころか……羅漢様がいなければ、あなたは今頃……はぁ、本当に一言では言い表せない因縁ですよ」
すると、向かい側の席に座っていた和白が、藍の言葉をピシャリと遮った。
「これ、藍。ご先祖様や目上の出来事を、我々のような若輩者がとやかく口にするものではない。師匠に聞かれたら、またお説教を食らうぞ」
『師匠』という二文字を耳にした瞬間、藍の顔色が青くなったり白くなったりと激しく変わった。
彼は慌てて和白に向かって深く一礼すると、酒杯を掲げて一気に飲み干した。
「おっしゃる通りです。余計な口を叩きました、罰として私が一杯頂きます」
和白はクスクスと二回ほど笑うと、楽しそうにため息をついた。
「まあ、我らはいつも山の上で師匠のお供をして清修に励み、座禅ばかりしているからな。山には肉はあっても、酒はない。ここぞとばかりに好きなだけ飲むといい、言い訳などいらんさ」
藍は顔を赤くして、恥ずかしそうに苦笑いした。
「ははは、やはり師兄が一番の理解者ですね」
隣で見ていた弟の阿達が、気の毒そうに言う。
「兄ちゃん、苦労してたんだな……」
妻の阿秀が横から夫をなだめた。
「何事も、得るものがあれば失うものもあるのよ。当時、星盤仙尊が集落から神使を選ぶとき、お兄さまが一目で気に入られたんじゃない。心が真っ直ぐで、容姿端麗、その上性格も温厚で明るいってね。」
「阿達、あんたあの時、集落中の若い男たちがどれほどお兄さまを羨んだか覚えてる?」
阿達は遥か昔の出来事に思いを馳せた。
「当然覚えているとも! あの頃の兄ちゃんは、集落全員の憧れのヒーローだったんだ」
―――
そんな中、小亀は隣の席で、食事の味なんてこれっぽっちも分からなくなっていた。
さっき口に放り込んだお肉を、奥歯でこれでもかとグチャグチャのボロボロになるまで噛み潰している。
(このイケメンと師姉の会話を止めたい! でも、二人が何を話しているのか内容も気になる……!)
あまりの葛藤に、小亀はウサギのように耳をピンと尖らせて盗み聞きに全力を注いでいた。
藍は優しく穏やかな声で、波有に語りかけた。
「本当は、あなたともっと昔話に花を咲かせたかったのですが……せっかく生まれ変わってきたというのに、過去の記憶を失ってしまっているとは。天のいたずらかもしれませんね。」
「これ以上は、私の口からはとても恐れ多くてお話しできません。明日、師匠にお会いになってからお聞きください」
(どうして彼も『話せない』なんて言うの? 戦勇たちもそうだし、この人まで……!)
波有は要領を得ないまま、コクコクと木訥に頷くしかなかった。
(なんだかこの藍神使って人、物言いが思わせぶりで気味が悪いなぁ。きっと、一筋縄ではいかないタイプだぞ)
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